11 皇道を世界に宣布せよ

皇道を世界に宣布せよ

 かく歷代れきだい詔勅しょうちょくおいて、敬神けいしん愛民あいみん精神せいしんを表明せられ、つ皇室においてそれが實現じつげんに努められたことにたい國民こくみんは深く感激せざるを得ないのである。それが勤王心きんのうしんとなつて、さんとして發揚はつようし、祖國そこく愛となつて、心の花咲く現象を始終しじゅう見るのは他邦たほう立優たちまさ所以ゆえんであらねばならない。大義たいぎ名分めいぶんげんとして輝くもとにあつて、かく美しく、かくなごやかな君臣くんしんたいの姿をじょうの上で見るのは、ひとり、日本にのみそんする現象だといつても差支さしつかへなからう。

 藤田ふじた東湖とうこは、『弘道館こうどうかん記述義きじゅつぎ』において、左樣そ うした美しく、和やかな君臣一たいの姿(情の上に於て)を讃美し、「臣下しんか君上くんじょうに於けるや一たいなり。子孫の祖先そせんに於けるや一なり。臣子しんしすで德行とっこう道藝どうげいを修めて、以て君父くんぷつかふ。人君じんくん衆思しゅうし群力ぐんりょくを集め、以て祖宗そそうに報ず。すなわ君臣くんしん上下、の道を推弘すいこうする所以ゆえんのもの、いずれかこれよりだいならん。祖宗そそうこころざしここにおいてかちず。神皇しんこうれい感格かんかくせざるのあらんや。しかれどももともとむれば、ただ我が躬行きゅうこうつつしみ、我が君父くんぷつかふるのみ。もとよりぶんおかし、とうえ、高遠こうえんするにあらざるなり」とつた。すなわ東湖とうこは「日本の國體こくたいでは、天子てんし臣民しんみんとの關係かんけいが、一身同たい所謂いわゆる一つのからだである」とし、「天皇にあらせられては、天下萬民ばんみん思慮しりょと世論とをかえりみ、そのぜんとする所を採用せられて、天照大御神あまてらすおおみかみ及び神武じんむ天皇御恩澤ごおんたくむくたまひ、臣民しんみんにおいては、忠孝ちゅうこうの道によつて德性とくせいきたへ、その才藝さいげいを以て、皇室に忠實ちゅじつつかたてまつるならば、君臣くんしん・上下共に日本にっぽん精神せいしん皇道こうどうを世にひろめることが十分に出來で きる」といふ意味を述べたのである。

 上來じょうらい、述べたところにより、詔勅しょうちょくあらはれた日本精神せいしんあおぐと、道の實踐じっせん實行じっこうの上に最も重きを置かれてゐることが分明わ かる。すなわ道義どうぎ建國けんこくといふことが根本で、聖天子せいてんしにおかせられては、道義どうぎを以て、日本を善化ぜんかし、進んで世界を美化しようとせられてゐる思召おぼしめしそんすることが諒得りょうとくせられる。手短かにいへば、それは皇道こうどう發揚はつよう宣布せんぷである。この重大な使命のもとに、聖上せいじょう仁慈じんじ大孝たいこうとの御心みこころ發揚はつようせられ、臣民しんみん忠孝ちゅうこうを以て、君父くんぷに奉仕するといふのが、日本の特質である。

 ぎに日々あらたに自彊じきょうやまないところの日本の進運しんうんを助長するにあたり、文化向上の上で、中正ちゅうせい不偏ふへんの旨と輳合そうごう・調和のおもむきとを以てし、何處迄どこまでも、日本中心に、世界の美所・長所を採用するのが、一つの特質である。ひかへると、歐米おうべい模倣もほうでなしに、日本獨自どくじの文化を創造し、進んで世界を指導するといふのが本來ほんらい面目めんぼくだ。更にうちにあつては、上下すべてが互助ごじょ的であり、外に向つては、自主を旨とすると同時に、世界一家の博大な愛を表明して、國際こくさい上、「協和きょうわ」を旨とするのが、日本にっぽん精神せいしんの一特色だとへる。

 つ、いつ、いかなる場合にも、上下共に明朗めいろう性を失はないで、難局に善處ぜんしょし、あらゆる國難こくなんにめげず、飽迄あくまでも、道の實現じつげんへ歩みをつづけてやまぬ。それには、國民こくみん一同、皇室を中心としてあおぎ、天皇現人神あらひとがみとしてあがめ、絕對ぜったい平和を標目ひょうもくとしてゆかねばならぬが、一面、國防こくぼうのためには、尙武しょうぶ精神せいしんを失つてはならぬ。本來ほんらいは侵略のためのものでなく、平和を保持し、正義を護衞ごえいするところの支柱しちゅうである。いかに平和を强調きょうちょうしようとも、正義を尊重しようとも、その支柱(力)がなければ、意味をさない。「やいばちぬらずして天下をたいらげん」とおおせられた神武じんむ天皇御言葉みことばは、あきらかに本來ほんらい性を明示めいじしてをられる。が平和護持ご じのためのものである事を確言されてゐる。ゆえに正義に反するものがある時はむなく膺懲ようちょうせねばならぬ。この意味で、一旦、有事ゆうじの日にしょすべく、を重んじ、ることが必要である。明治天皇の軍人勅諭ちょくゆはいするものは、の意義を十分に知得ちとくするであらうが、尙武しょうぶすなわち平和護持ご じのための武備ぶ び尊重は、國民こくみん全般に共通的であらねばならない。明治天皇が「一旦、緩急かんきゅうあれば、義勇ぎゆうこうほうじ、以て天壤てんじょう無窮むきゅう皇運こううん扶翼ふよくすべし」とおおせられたのは、右の意義にほかならない。

 以上、歷代れきだい詔勅ごしょうちょくはいして得た感想の一端で、述べてつくさず、語つて到らぬところが多いのを、何よりも遺憾いかんとする。更に國史こくし上の事件、主題などと一々、對照たいしょうして、一そう深義しんぎ發揮はっきせねばならぬてんについて、紙數しすう關係かんけい上、わずかに一しょう部分にしかれ得なかつたのを殘念ざんねんに思ふ。けれども、詔勅しょうちょくに表現せられた大精神だいせいしんの內容は、大體だいたいにおいて、これを明白にし得たかとも考へる。要するに、詔勅ごしょうちょくを幾度も繰返して、拜誦はいしょうし、そこから偉大な精神せいしん感得かんとくすることが、第一義的だとはねばならぬ。それと共に、日本にっぽん精神せいしん運動なるものが、日本のための創造運動で、世界に寄與き よすべき日本文化の闡明せんめいと日本文化の獨自どくじ的建設を意味するものなる事を明確に意識して置きたい。例へば、神道しんどうの如きは、基督敎キリストきょう佛敎ぶっきょうあい併行へいこうしてあまりある大宗敎であるが、在來ざいらい、それが日本國民こくみん直觀ちょっかんの上に生き、各自が默識もくしき意會いかいしてをつたに過ぎない。すなわただ日本人同志の宗敎として存在し、ひろくこれを歐米おうべい宣傳せんでんするところ迄至つてゐない。

 メエソン氏の如きは、それを最大の遺憾いかんとしてゐる。氏は、「神道しんどうし組織的に說明せつめいせられ、體系たいけい的に打建うちたてられ、哲學てつがく科學かがくの方面から、歐米おうべい人を分明わ かるやう、かるるならば、世界の謎の如く、また軍國ぐんこく主義者の如く誤想ごそうされつつある日本は、はじめて、そのよき本質をあきらかにし、軍國ぐんこく主義のくにとされるやうなことは、絕對ぜったいになくなる」とつてゐる。

 ところが、現在、神道しんどうについては、メエソン氏の要求せるが如き意味において、かれてをらぬ。勿論もちろんここにいふ神道しんどうとは、古神道こしんどうのことで、『古事記』『日本書紀』『祝詞のりと』『萬葉集まんようしゅう』などを基本としての神道しんどうである。それは儒意じゅい佛意ぶついを加へない純粹じゅんすい性に生きる神道しんどうなのである。左樣そ うした意味に於ける神道しんどうは、淸朗せいろう快活かいかつ・素朴・純潔・至誠しせいの各要素を具備ぐ びし、最もく日本獨自どくじの宗敎たることを示してゐる。この古神道こしんどう哲學てつがく的に科學かがく的に組織立てて闡明せんめいすることが、やがて歐米おうべいに一大光明をあたへ、歐米おうべい人をして、はじめて、日本の偉大さを知得ちとくせしめる大きい原動力となる。のみならず、歷代の詔勅しょうちょくにおいて、敬神けいしんの意義にれ、日本の神々かみがみ崇敬すうけいせられることを例外なしに示されてゐる以上、この日本神道しんどうの世界的闡明せんめいと世界的進出とは、最も必要とせられる。この事は、すでに佐藤信淵のぶひろらが、かつて高調し、力說りきせつしたところで、大國おおくに隆正たかまさの如きも、やはり、信淵のぶひろの主張に共鳴したのである。

 ぎに、日本が、その獨自どくじの文化的各要素を創建し、整理して、これを世界に知らしめ、世界に寄與き よすることが最も必要である。過去において、日本は印度いんどから、また支那し なから精神せいしん文化的にえきを受けた。更に近代にり、歐米おうべいから物質的文明についてえきを受けた。自然科學かがくについて、歐米おうべいからせられたところが少くない。ゆえに日本は報恩ほうおん的な意味で、日本獨自どくじの文化各要素を明示めいじし、その創造運動によつて、世界に利益りえきあたへなければならぬ義務をにのうてゐる。したがつて、日本にっぽん精神せいしん運動は、世上せじょう一部のものが誤想ごそうしてゐる如きものではなく、非保守的、非御國おくに自慢的であり、非軍國ぐんこく的である。保守よりも進歩へ、御國おくに自慢よりも正しき省察しょうさつへ、軍國ぐんこく的よりも國際こくさい平和的へと歩むのが、日本精神せいしん的である。すなわちそれは有力な文化創造運動にほかならない。日本が、今後、一そう天壤てんじょう無窮むきゅう神勅しんちょくの意義を擴大かくだいしゆくがためには、以上の如き抱負・理想と正しい認識の上に起つべきである。(完)