10 歷代詔勅に現はれた敬神愛民の御精神

歷代詔勅に現はれた敬神愛民の御精神

 如上にょじょう詔勅しょうちょくあらはれた日本にっぽん精神せいしんについて、その主眼點しゅがんてん謹述きんじゅつした。右のほかに、歷代れきだい詔勅しょうちょく拜誦はいしょうして、最もにつくのは、(一)敬神けいしん(二)愛民あいみんについての大御言葉おおみことばで、ことに愛民の思召おぼしめしを表示せられ、その生活安定を心からいのられると同時に、政策の上にこれ實現じつげんされた場合を度々、はいする。ところが、プロレタリアのうちに、かうした事實じじつを知らないで、兎角とかく謬想びょうそういだきがちなものが往々あるのは、それらの詔勅しょうちょくについて存知ぞんちせぬからである。

 歷代の天皇が、臣民しんみん愛兒あいじの如く撫育ぶいくする大御心おおみこころを有せられたことは、度々、詔勅しょうちょくの上に明示せられてゐる。けだしそれは、皇室が日本國民こくみん總本家そうほんけであり、國民こくみんは、その分家ぶんけ支家し けたる密接の關係かんけいからきたつてゐるところが少くない。が、一つは、歷代の天皇仁慈じんじ御精神ごせいしんに厚く、暖かい人情味を抱有ほうゆうせらるるからである。今、左樣そ うした方面の大御言葉おおみことばを少しく拜載はいさいする。

黎元おおむたからめぐやしなふ。(崇神天皇

あめの下の公民おおみたからめぐたまひ、たまはんとなも、かむながらおもほしめさくとりたまふ。(文武天皇

⻝國おすくにあめの下をたまめぐたまふ事は辭立ことだつにあらず。人祖ひとのおや意能お の弱兒わくごやしなひたすことの如くおさたまめぐたまひ、わざとなもかむながら、おもほしめす。(元明天皇

ちん父母ふ ぼたり、何ぞ憐愍れんびんせざらんや。(聖武天皇

區宇く う母臨ぼりんし、黎民れいみん子育しいくす。(孝謙天皇

六合りくごう母臨ぼりんし、兆民ちょうみん子育しいくす。(淳仁天皇

ちんたみの父母となり、撫育ぶいくじゅつもとり、しずかこれおもひ、かえりてこころづ。(桓武天皇

ちん、民の父母たり、煩勞はんろうせしむることをほっせず。(平城天皇

たみあやううしてきみひとりやすく、うれひて父おもはざるものあらんや。(嵯峨天皇

ちん、民の父母となり、とくおおふことあたはず、はなはみずかいたむ。(後奈良天皇

將軍しょうぐん及び各國かっこく大小名だいしょうみょうみなちん赤子せきしなり。(孝明天皇

れ四かいうちいずれかちん赤子せきしにあらざる。(明治天皇

 かうして臣民しんみんたいする仁慈じんじ大御心おおみこころが深いめに、平等にこれを愛撫あいぶせられた。左樣そ うした間にあつて、生活苦になやむプロレタリアに向つては、常に救濟きゅうさいのことに御心みこころを注がれたのである。元來がんらい皇室におかせられては、貧富ひんぷの差別なく、すべての國民こくみん赤子せきしせられたのは申す迄もないが、富めるものは、生活上、みずから支持することが出來で きるので、いきお救濟きゅうさい御手み てを主として、プロレタリアに向けられた。時によると、おごれる富者ふしゃ・豪族らの專横せんおう制禦せいぎょすることに努められた場合も少くない。その方法として用ひられたのは、(一)金品をめぐ官稻かんとう貸與たいよせられること(二)課稅かぜいめんぜられること(三)課役かえきゆるうせられること(四)土地兼幷けんぺいを行ひ、もしくは暴利ぼうりむさぼるものをせいせられしことなどである。

方今このごろせいとぼし。しかるにいきおいあるもの、水陸たばたを分割して、以てわたくしの地とし、百せいあたへて、年々あたいもとむ。今より以後、地をるを得ず。みだりに主となりて、劣弱れつじゃくあわすることなかれ。(孝德天皇

頃者このごろ王公おうこう諸臣しょしん多く山澤さんたくを占め、耕種こうしゅを事とせず。きそひて貪婪たんらんいだき、むなしくさまたぐ。し百せいにして柴草さいそうる者あらば、りてを奪ひ、おおい辛苦しんくせしむ。しかのみならず、たまれる地、じつただ一二たもつのみ。これりて、みねえ谷にまたがり、みだりに境界きょうかいす。今より以後、さらしかることをざれ。(文武天皇

 以上の如き趣旨を詔勅しょうちょくの上に述べられた例は、にも少くない。中には、富豪ふごう・諸寺その他のものの暴利ぼうりおさむることをおごそかに禁ぜられたおおせもある。

◯先に禁斷きんだんありしにかついまあらためず。しか京內きょうないの諸寺、利潤りじゅんむさぼり求め、たくを以てしちに取り、𢌞まわしてもとす。ただ綱維こういの法をゆるのみにあらず、そもそまた官司かんし阿容あようす。何ぞたるの道ならんや。すなわ王憲おうけんたがふ。(桓武天皇

 次に飢饉ききん及び疫病えきびょうの流行などにあたつて、免稅めんぜいせられ、あるい醫療いりょうほどこし、あるい榖類こくるいなどをめぐまれたについての詔勅しょうちょくは、度々、拜誦はいしょうするところである。

大恩たいおんくだして、貧乏のものをあわれみ、以て飢寒きかんきゅうす。(天武天皇

およ負債者ふさいしゃにてとりとし天武天皇十四年)より以前の物はおさむるなかれ。(持統天皇

いま課役かえきを減じ、もっ產業さんぎょうを助けん。その左右兩京りょうきょう及び畿內きないこくならび今歲ことし調ちょうめんじ、自餘じ よの七どう諸國しょこくまた當年とうねんえきとどめよ。(元正天皇

れ天下百せいふ所の租稅そぜい未納言上ごんじょう、及び調庸ちょうよう未進みしんの者は、左右畿內きない弘仁こうにん十年以前、七どう諸國しょこくは九年以前、ならびに多少を論ぜず、蠲除けんじすべし。(嵯峨天皇

よろしく一々もんいたり、こくきゅうし、くすりあたへ、そんさいせしむべし。(淳和天皇

 それから地震・洪水その他の天災について賑恤しんじゅつを加へられたについての詔勅しょうちょくも少くない。それは明治・大正の時代と同じく、周到しゅうとう切實せつじつであつた。また場合によりほとけいのつて、天災をはらひのけようとされたこともある。後奈良ご な ら天皇左樣そ うした思召おぼしめしから、みずか般若はんにゃ心經しんきょううつされた。勅書ちょくしょではないが、その祈禱きとう御言葉みことばである。

 ◯頃者このごろ疫疾えきしつ流行し、民庶みんしょ憂患ゆうかんす。ちん不德ふとくかえりみ、寤寐ご びやすんずる無し。よっ弘仁こうにん遺塵いじんを追ひ、般若はんにゃ心經しんきょう妙典みょうてんうつたてまつる。あおねがわくば、天、丹誠たんせい懇篤こんとくなるに感じ、國家こっか蒼生そうせい多艱たかんし、すなわ法界うかい平等びょうどう利益りやくを致さん。

 その他、臣民しんみん窮苦きゅうくに同情して、これを救ふため特に節儉せっけんにつとめ、服御ふくぎょ常膳じょうぜんを減ぜられた際の詔勅しょうちょくも度々、拜誦はいしょうするところである。

あおいで前烈ぜんれつかんがへ、とくよこしまを除き、うちこれを心に求む。そもそ挹損ゆうそんすべし。ちん服御ふくぎょの物ならび常膳じょうぜんならびよろしく省減せいげんすべし。(仁明天皇

を責めて寅畏いんいいまところを知らず、ちん服御ふくぎょ常膳じょうぜんとうの物ならび減撤げんてつすべし。(淸和天皇

ちんぬる仁和にんな五年二月二十日、服御ふくぎょ常膳じょうぜんつとめて省約せいやしたがはしむ。所司しょしきゅうじゅんじ、四ぶんして一ぷくげんぜり。こころこころねず、おもいおもいを再びせず、懷露かいろせきげんことを願ひ、まさ禮節れいせつを成さんとせり。はからんや、水旱すいかん兵疫へいえきしきりにわざわいあり。諸國しょこくおのずか調ちょうようぎ、百かんしたがつて俸祿ほうろくなし。天をうらまず、人をとがめず、きらはず、かみめず。ちん無道むどうひとみずかこれを取るのみ。今かさねて服御ふくぎょの三ぶんの一をげんじ、あらたとし雜物ぞうぶつなかばはぶき、用度ようど中分ちゅうぶんして以てせっせよ。(宇多天皇

 かく皇室が愛民の精神せいしんを最も力强く、表明せられた場合は、の場合にも多くある。以上はその一端に過ぎない。更に一般に向つて、勤勞きんろうすすめ、農業にいそしむやうはげまれたことも、度々だつた。繼體けいたい天皇臣民しんみんのすべてに勞働ろうどうすすたまひ、上下一たいとなつて、共に働き、額に汗してつとむべきことを諭さとされたのは、最も顯著けんちょな一例だつた。

ちん聞く、當年とうねんにして耕さざるものあるときは、すなわち天下うえを受くることあり。じょ當年とうねんにしてまざるものあれば、天下こごえを受くることあり。ゆえに帝王みずから耕して農業をすすめ、后妃こうひみずかこがひて桑序そうじょを勉めたまふ。いわんや百寮もものつかさより萬族おおみたからいたるまで、農績のうせき廢棄はいきして、しかして殷富いんぷいたらんや。(繼體天皇

 救恤きゅうじゅつに、勸業かんぎょうに、歷代れきだい天皇まこと傾注けいちゅうせられたことは、以上の如くであるが、更に罪囚ざいしゅうに向つても、仁慈じんじを以て、これをぜんに導かうと努められた。

今者このごろ有司ゆうし奏言そうげんす、諸國しょこくの罪人すべて四十一人、ほうじゅんならびりゅう以上にあたるものなり。そうを聞くごとに、ちんはなはこれあわれむ。萬方ばんぽうつみあらば、われにんにあり。よろしくそうするところの罪人つみびとならびしたがふもの、咸皆ことごとく放免ほうめんし、安撿あんけんするなかれ。(元正天皇

 以上のうちで、「萬方ばんぽうつみあらば、われにんにあり」とおおせられた御言葉みことばに、如何い かにも深く民生みんせいを愛せられた思召おぼしめしのほどがあらはれてゐる。のみならず非常に臣民しんみんたいして、寬大かんだい御心みこころゆうせられ、治道ちどう精勵せいれいせられた叡慮えいりょのほどがうかがはれて、恐懼きょうくのほかがない。

 それから旅行が不便を極めた奈良時代に皇室におかせられて、萬民ばんみん苦艱くかんさっせられ、これに出來で きだけの便宜をあたへることを旨とせられたことも、往々、詔勅しょうちょくの上にはいするところである。

諸國しょこく役夫えきふ、及び運脚うんきゃくのもの、ふるさとかえるの日、粮⻝りょうしょく乏少と ぼしく、達するをるによしなしと。よろしく郡稻ぐんとういて別に便地べんちたくわへ、役夫えきふの到るにしたがつて、ほしいまま交易こうえきせしむべし。又行旅こうりょの人をして、必ずぜにもたらしてもとつて重擔おもにろうやすめ、またぜにを用ふるの便べんなることを知らしめよ。(元明天皇

◯聞くならく、諸國しょこくよう調ちょう脚夫きゃくふことおわりてふるさとかえるに、みちとおうしてかてえ、又行旅こうりょの病人、したしく恤養じゅつようすることなく、飢死が しまぬがれんと欲して、口をのりし、せいり、ならびに途中に辛苦しんくして、つい横斃おうへいを致すと。ちんれをおもひて、深く憫矜びんきょうす。よろしく京國けいこく官司かんしおおせ、粮⻝りょうしょく醫藥いやくはかきゅうし、つとめて檢校けんこうくわへ、本郷ふるさとに達せしむべし。(孝謙天皇

 要するに愛民あいみんといふことは、歷代れきだい天皇眼目がんもくとせられ、天職てんしょくとせられたところで、それが例外なく、徹底的に行はれ、窮民きゅうみん罪囚ざいしゅう行路こうろ病者びょうしゃその他一切に慈仁じにんが及んだのである。すなわ萬民ばんみんの苦痛とするところを苦痛とせられ、萬民ばんみんうれふるところをうれひとせられ、彼等の生活安定と幸福こうふく增進ぞうしんとを始終しじゅう、念頭に置かせられた。それらの思召おぼしめしは歷代の詔勅しょうちょくの上に治民ちみん治道ちどうかんする御精神ごせいしん、御方針を明快に表示され、元正げんしょう天皇は「ちんかいに君臨して、百せい撫育ぶいくし、家々貯積ちょせきし、人々安樂あんらくならんことを欲す」とのたまひ、桓武かんむ天皇は「たみくにもとなり。もとかたければくにやすし」とおおせられ、仁明にんみょう天皇は「國家こっか隆泰りゅうたいは民をますにあり」と申された。また文德もんとく天皇は「ちん寡德かとくを以て、かたじけな鴻基こうきべ、旰日かんじつ休むことなく、乙夜いつやぬることをわする」とのたまひ、光孝こうこう天皇は「ちん前王ぜんのう綜覈そうかくし、曩制のうせい捜羅そうらしてただ宵衣しょういしたがひ、旰⻝かんしょくつとめ、みずか慈儉じけんおこなひ、ひと富庶ふしょいたるを思ふ」とのたまわせられた。宇多う だ天皇に至つては、「百せい單寒たんかん見るに忍びず。すで富國ふこくぼうなし。ただてい貧民ひんみんがっせんのみ」と迄、おおせられてゐる。かうした御精神ごせいしんを以て、救恤きゅうじゅつ勸業かんぎょう專心せんしんせられたのである。ここ日本にっぽん精神せいしん醇要じゅんようとするところ、すなわち道の實踐じっせん實行じっこうの旨が切實せつじつに表示せられてゐる。