9 日本精神を高調せられた明治天皇

日本精神を高調せられた明治天皇

 崇神すじん天皇以後、特に感銘が深いのは、大化改新時代に於ける諸詔勅しょうちょくである。『思想社會しゃかい篇』におさめた「かねはこもうくるのしょう」「土地兼幷けんぺいを禁ずるのしょう」「直言ちょくげんを求むるのしょう」などは、いづれも、公平な愛民あいみん精神せいしん如實にょじつあらはれてゐる。その、制度の一大革新にかんする詔勅しょうちょくは、これを『政治經濟けいざい篇』におさめ、當時とうじ豪族の跋扈ばっこ專横せんおうおさへて一くん萬民ばんみんの政治を徹底せられるに努められた尊い叡慮えいりょのほどを謹述きんじゅつした。

 それ以後、歷代れきだい詔勅しょうちょくおいて、日本にっぽん精神せいしん宣揚せんようはいし、感激を深め得た場合が少くはないが、神武じんむ天皇時代の宏謨こうぼを再び想起そうきせしむる詔勅しょうちょくいずれに求めるかといへば、明治天皇の時代にはいすることが出來で きる。明治天皇は、江戸幕政ばくせいの腐敗・墮落だらくを一ぱいして、皇政こうせい復古ふっこ實現じつげんせられ、更に進んで、一切を革新せられ、興國こうこくの基礎をゑられた。その土臺どだいとなり、中樞ちゅうすうとなつたのは日本精神である。

 それについて、明治天皇が特に仰慕ぎょうぼせられたのは神武じんむ天皇で、當時とうじ道義どうぎ建國けんこく大精神だいせいしんかんしては、感銘をあらたにされたところがあつたと拜察はいさつする。久しい武家專制せんせい政治のために、日本にっぽん精神せいしんこと道義どうぎ建國けんこく旨趣ししゅは、おおむ沈衰ちんすいしてゐたが、明治天皇に至つて、その新興しんこうを見ることが出來で きたのは國民こくみん至幸しこうとするところである。すなわ神武じんむ天皇宏謨こうぼのっとられて、一くん萬民ばんみんの政治のもとに、一切の情弊じょうへいを去り、新局面を展開されたのが明治維新だつたと思ふ。左樣そ うした偉大・卓越の叡思えいしは、明治元年渙發かんぱつせられた五箇條かじょう御誓文ごせいもんの上に如實にょじつに浮び出てゐる。

 一 ひろ會議かいぎおこシ、萬機ばんき公論こうろんけっスベシ

 一 上下しょうかこころヲ一ニシテさかん經綸けいりんおこなフベシ

 一 官武かんぶ庶民しょみんいたまでおのおのそのこころざし人心じんしんヲシテマザラシメンことよう

 一 舊來きゅうらい陋習ろうしゅうやぶ天地てんち公道こうどうもとづクベシ

 一 智識ちしき世界せかいもとおおい皇基こうき振起しんきスベシ

 以上、一くん萬民ばんみんを基礎とする政治哲學てつがくの原理が明白に示されてゐる。更に明治元年、維新のみことのりはっせられて、

  往昔おうせき列祖れっそ萬機ばんきみずかラシ、不臣ふしんノモノアレバ、みずかしょうトシテこれせいたまヒ、朝廷ちょうていまつりごとすべ簡易かんいニシテ如此このごとく尊重そんちょうナラザルユヱ、君臣くんしんあいしたシミテ、上下しょうかあいあいシ、德澤とくたく天下てんかあまねク、國威こくい海外かいがいかがやキシナリ。

のたまひ、進んで積極的に興國こうこくのため、固く決意せられた叡慮えいりょそんするところを諭さとたまひて、

  ちんここニ百かん諸侯しょこうひろ相誓あいちかヒ、列祖れっそ御偉業ごいぎょう繼述けいじゅつシ、一しん艱難かんなん辛苦しんくとわズ、みずかラ四ほう經營けいえいシ、なんじ億兆おくちょう安撫あんぶシ、ついニハ萬里ばんり波濤はとう拓開たっかいシ、國威こくいヲ四ほう宣布せんぷシ、天下てんか富岳ふがくやすキニおかントほっス。

おおせられたことを五箇條かじょう御誓文ごせいもん對照たいしょうして、拜誦はいしょうすると、明治天皇雄大・崇高な御精神ごせいしん拜察はいさつすることが出來で きる。要するにすべては、天壤てんじょう無窮むきゅう神勅しんちょく土臺どだい道義どうぎ建國けんこく精神せいしん依據えきょし、それにのっとつて、時のよろしきに合致しようと遊ばされたのである。明治天皇が「天地の公道」とのたまはれたのはつまり、積慶せっけい重暉ちょうき養正ようせいの三大綱だいこうを基本とするといふ意味であらうと思ふ。

 けだし江戸幕政ばくせいは、武斷ぶだん專制せんせいで、公論を輕視けいしし、文武ぶんぶいづれも背離はいりしたのみならず、舊來きゅうらい陋習ろうしゅう拘泥こうでいしために人心をましめたことが多く、結局、國威こくいを外に失墜しっついせんとするに至つた。それは、日本にっぽん精神せいしん自覺じかくいたからだ。それゆえ明治天皇は、日本精神を基礎とし生命とし中樞ちゅうすうとする皇道こうどうを以て、すべてを率ゐようとせられ、公論を重んじ、經濟けいざいを大切にし、採長さいちょう補短ほたんの意味から、海外文化を攝取せっしゅして、時勢の進運に適應てきおうしようとなされた。かくの如くにして、「萬里ばんり波濤はとう拓開たっかいし、國威こくいを四方に宣布せんぷ」することが出來で きる。

 それに明治天皇は、特に敬神けいしんに重きを置かれ、明治のはじめには、神道しんどう興隆こうりゅうに最も力をつくされた。それについての詔勅しょうちょくは、『神祇しんぎ佛敎ぶっきょう篇』におさめてあるが、明治三年にはっせられた「惟神かむながら大道だいどう宣揚せんようするの勅語ちょくご」は、祭政さいせいの旨、治敎ちきょう同歸どうきの意義をあきらかにせられ、崇神すじん天皇神道しんどう興復こうふくにつとめられた盛事せいじ聯想れんそうせざるを得ない。その勅書ちょくしょのうちにおいて、の如くおおせられた。

  祭政さいせい億兆おくちょう同心どうしん治敎ちきょうかみあきラカニシテ、風俗ふうぞくしもうるハシ。しかシテ中世ちゅうせい以降いこうとき汙隆おりゅうアリ、みち顯晦けんかいアリ、治敎ちきょうあまネカラザルヤひさシ。いま天運てんうん循環じゅんかんシ、百維新いしんス。よろシク治敎ちきょうあきラカニシテ、もっ維新いしん大道たいどう宣揚せんようスベキナリ。

 思ふに、政治は敎化きょうかである。かみつかへる心、かみを祭る心を以て政治にあたるところに祭政さいせいの意義が實現じつげんせられ、敎化きょうか旨趣ししゅ具體ぐたい化される。かむながらの道は、大自然隨順ずいじゅんした公道こうどうであり、生命主義による日新にっしん創造の大經たいけいである。明治天皇が、かむながらの道を宣揚せんようすべきことを命ぜられたのは、けだし以上の精神せいしんもとづくのである。

 かくおおいだされた大御言葉おおみことばはいするものは當然とうぜん中正ちゅうせい公明こうめい日本にっぽん精神せいしんによつて、一切を統制し、解決しなければならなかつたにかかわらず、明治十五年前後からは、「智識ちしきを世界に求めよ」とおおせられた一てんに心を傾けすぎ、歐米おうべい崇拜すうはいおちいつたものが最も多かつた。それらの日、一歐米おうべい文明を急激に輸入ゆにゅうしなければならぬ事情もあつたが、それは必ずしも、極端に走る必要のあらう筈がなかつたのである。しか有識者の大半さへが、歐米おうべい崇拜すうはいおちいり、日本精神を沒却ぼっきゃくしたので、明治天皇は深くこれうれたもうた。すなわち日本精神を根本生命とし、國民こくみん絕對ぜったい的な標目ひょうもく中樞ちゅうすうとすべき道を敎示きょうじされようといふ御決心をなされた。かうした思召おぼしめしのもとに、渙發かんぱつせられたのが敎育きょういく勅語ちょくごである。

 それは、中外ちゅうがいを通じ、上下を通じての精神せいしん生活に於ける最高・最大の指導原理である。敎育勅語については、『道德どうとく敎育きょういく篇』において詳しく感想を謹述きんじゅつして置いたが、ここの方面から一げんもうし述べたいと思ふ。古來こらい日本にっぽん精神せいしんを基本とした詔勅しょうちょくは、相當そうとう多いが、その各要素を輳合そうごう的に結晶した詔勅しょうちょくは、いまかつてない。國體こくたい根幹こんかんとし國民こくみん性を分枝ぶんしとして、すべてが遵守じゅんしゅすべき心的生活上の指導原理を明白にされたのは、敎育勅語を以て始めとする。それは個人としても、社會しゃかい人としても、國際こくさい人としても、當然とうぜん行ふべき正徑せいけいを示されてゐる。

 のみならず、それは、日本國民こくみんの指導原理たるばかりでなく、道德どうとく倫理りんりの最高標準として、歐米おうべい人もまたこれをあおがねばならぬ。何となれば、唯物ゆいぶつと理論偏重へんちょうとに中毒して、精神せいしん的破產にひんせる歐米おうべいにおいては、その指導原理を歐米おうべい以外に求めねばならぬのだ。したがつてそれを東洋に求むるとするならば、いきお情意じょういを主とした日本の道德・倫理におしへを求むるのが最も適切だと思ふ。その最高指標たる敎育きょういく勅語ちょくごは、行詰ゆきづまつた歐米おうべい人の精神せいしん生活に向つて、必ず新生命をあたへるにちがひない。

 敎育きょういく 勅語ちょくごのほかに戊申ぼしん詔書しょうしょがあり、大正天皇精神せいしん作興さっこうについての詔勅しょうちょくがある。それらは、精神せいしん生活の光明こうみょうであるが、いずれかといふと敎育勅語に含まれてゐる意味の一面を更に新しい表現を以てかれたものと拜察はいさつする。その根本は、すべて敎育勅語にある。したがつて上下すべてを通じて、敎育勅語心讀しんどくし、始終しじゅう、それを光明としてあおぎ、進むことが、何より肝要であると思ふ。