8 政治とは敎化なり

政治とは敎化なり

 神武じんむ天皇以後、日本にっぽん精神せいしん發揮はっきに最も力をつくされたのは、崇神すじん天皇である。アメリカの哲學てつがく者として、日本研究に熱心なメエソン氏は、崇神すじん天皇讃仰さんごう者で、その著『かむながらの道』第六章において、「崇神すじん天皇神道しんどう復興ふっこう」と題する文章中、天皇敬神けいしんについて謹記きんきし、「天皇は日本國民こくみん暗黑あんこく時代から導き出し、君主と天照大御神あまてらすおおみかみ神鏡しんきょうとの同殿どうでん居住をはいし、天の統治者と地上の君主との間に何らの區別くべつを設けぬといふ主義を破られた…上代じょうだい記錄きろくによれば、崇神すじん天皇は六十七年間、統治にあたられたが、この時代は、神道しんどうに取つては、日本歷史れきし中、最も收穫しゅうかく多き時期だつた。崇神すじん天皇は、神道しんどうに於ける最も偉大な天才であられた。天皇は大きい獨創どくそう精神せいしん强烈きょうれつなる意志とを有し、つ新しき進歩の道を開かれた」と述べた。

 更にメエソン氏は、崇神すじん天皇功業こうぎょうに及び、「天皇國民こくみん福祉ふくしめに、物質的狀態じょうたいを改善しようとして、人間的努力の模範を示し、人民に福利ふくりあたへようと思召おぼしめされた。敎育きょういくの事、戸口ここう調査の事、徵稅ちょうぜい組織の事、運輸うんゆ機關きかん發達はったつ、造船、農業の改善などにかんする國史こくし中、最初の記事は、すべて崇神すじん天皇の時代にぞくする」と述べてゐる。また『日本書紀』は崇神すじん天皇のことについて、「識性しきせい聰敏そうびんわかくして雄略ゆうりゃくこのみたまふ。すでそうにして、寬博かんはく謹愼きんしん神祇しんぎ崇重すうちょうたまふ。つね天業てんぎょう經綸お さめむとおぼす心あり」と記してゐるのは、最もようを得てゐる。天皇詔勅ごしょうちょくのうちで、こと日本にっぽん精神せいしん精要せいようを示されたのは、かかぐるところのものであつた。

 皇祖みおやもろもろ天皇すめらたち宸極あまつひつぎ光臨しろしめすことは、あにしんためならむや。けだ人神じんしん司牧しぼくして、天下を經綸お さめたまふ所以ゆえんなり。よよ玄功げんこうひろめ、とき至德しとくく。いまちん大運あまつひつぎ奉承ほうしょうして、黎元おおむたからめぐみやしなふ。いかにしてまさ皇祖こうそあと聿遵のべしたがひ、ながきわまりなきあまつひつぎたもたむ。群卿ぐんけいりょうなんじ忠貞ちゅうていつくし、共に天下あめのしたやすらかにせむことまたからずや。(『日本書紀』)

 天皇人神じんしん司牧しぼくするとおおせられたのは、神武じんむ天皇の時代に高調せられた祭政さいせい精神せいしんを一そう發揚はつようせらるるめだつた。また天下を經綸お さめるとおおせられたのは、日本を統治せらるると同時に、風化ふうかを海外にも及ぼさうとする御心みこころを示されたのである。天皇は特に敎化きょうか御心みこころを注がれ、「民を導くのもと敎化きょうかにあり」とのたもうた。それは短い御言葉おことばではあるが、意義深重しんちょうである。法令や、威力も必要であるが、それは外部的のもので、內部的に人心に浸潤しんじゅんするのは敎化きょうかである。敎化きょうかの基本は敬神けいしんであり、敬神けいしん精神せいしんが徹底すれば、敎化きょうかじつをあげることが出來で きる。ひかへると、神道しんどう土臺どだいとして、敎化きょうかき、とくを以て、民を導くならば、世はことごと靜平せいへいする。この意味を十分に重んじ、その實現じつげんに努められたのが、崇神すじん天皇であらせられる。曾澤あいざわ正志せいしは、『新論』長計ちょうけい篇で、敎化きょうかの重要性を力說りきせつし、崇神すじん天皇敬神けいしん大御心おおみこころについて、の如く感想を謹述きんじゅつした。

  崇神すじん天皇卽位そくいの初め、人、あるい背叛はいはんするものあり。ときまさ上古じょうこふうぎ、天祖てんそ殿內でんないに祭る。天皇敬畏けいいみずかやすんぜず。すなわち移して、神器しんき笠縫かさぬい奉安ほうあんし、顯然けんぜん、外に祭り、天下をして瞻仰せんぎょうするところあらしむ。敬事けいじ尊奉そんぽうする所以ゆえんの意、天下とこれを共にす。しかして天下みな天祖てんそたっとび、以て朝廷をけいするを知る。

  殿內でんないに祭るは、以て誠敬せいけいうちつくす。しかいまだ以て、尊敬するところのを天下にあきらかにすべからず。天皇すなわこれを外に祭り、公然、天下と共にこれ敬事けいじせらる。誠敬せいけいの意、天下にあらわれ、天下はずしてさとる。れ一身を以て誠敬せいけいつくす、ほ以て神明しんめいを感ずべし。いわんや天下の誠敬せいけいあつめ、以て一しんほうずるをや(『新論』長計篇)

 正志せいしは、ほ進んで、崇神すじん天皇御功業ごこうぎょうに言及し、「大物主おおものぬし倭國魂やまとのくにたまを祭りたまひ、土人どじん敬尊けいそんするところによつて、まつりついづ。しかして畿甸きてん民心みんしん繫屬けいぞくするところあり。以て同じく朝廷をほうず。大物主神おおものぬしのかみは、始めて國土こくどたいらげてこうあり。ゆえの孫をげ、まつりつかさどる。しかして朝廷の民心を以て心とすを知り、朝廷にのぞみしょくす、しかしてこれを祭るの義はすなわ周人しゅうじん所謂いわゆる大社たいしゃなるものとあい似たるところあり…の義をげて、これを四方に達し、天社てんしゃ國社こくしゃを定む。天下の神祠しんしべざるなし。しかして天下の民心、繫屬けいぞくするところあり。以て同じく朝廷をほうず」と謹記きんきした。けだ正志せいしは、神道しんどうを高調し宣揚せんようすることを以て、民心を正導せいどうする上に最も效果こうか的であることを信じ、「祭政さいせいは一致、治敎ちきょう同歸どうきにして、たみのぞみしょくするところあり。天下の神祇しんぎみな天皇誠意せいいの及ぶところなり。の意あれば、必ずれいあり。たみれによつてまた上意じょういむかふところを知り、感欣かんきん奉戴ほうたい忠孝ちゅうこうの心、かかるところあり」と述べてゐる趣旨から、こと崇神すじん天皇神道しんどう振興しんこうつくされたことに感激したのである。

 思ふに、政治とは敎化きょうかにほかならない。西洋流の政治は、これと敎化きょうかとを別に切り離してしまつて、政治とは、一種の技術であり事務であるとしてゐる。かうした精神せいしんによつては、すべてが機械化してしまつて、理想的な善政ぜんせい實現じつげんを望むことが出來で きない。何となれば、政治に生命力がなくなり、低調となつてしまふからだ。現に西洋では、政治運動をスポオツ化してゐる。スポオツは一個の遊戯で、政治とは餘程よほどおもむきことにする。左樣そ うした考へのもとに政治を行ふことは、これを遊戯化することをまぬがれない。ところが、政治とは敎化きょうかであるといふことになると、政治の上に崇高すうこう嚴肅げんしゅくな意味が加つてくる。祭政さいせいといひ、治敎ちきょう同歸どうきといふのは、この意味にほかならぬ。すなわかみを祭るおごそかな心を以て政治を行ひ、かみを祭るつつましい精神せいしんを以て、臣民しんみんを指導すれば、政治は正大せいだいなものとなつて、おのづから、德化とっかが四方に及ぶのである。崇神すじん天皇御敬神ごけいしんは、この意味において、「政治とは敎化きょうかだ」といふことを如實にょじつに示されたものと解釋かいしゃくしてよいと思はれる。