7 建國の詔勅に現はれた大精神

建國の詔勅に現はれた大精神

 ぎに日本にっぽん精神せいしんの面目を最も明快に、最も莊嚴そうごんに、發揮はっきせられたのは、神武じんむ天皇建國けんこく大詔おおみことのりである。げんにいふと、建宮けんぐうみことのりである。それは、大和國やまとのくに橿原かしはらに宮を建てたもうたおり勅語ちょくごで、德富とくとみ蘇峰そほう氏は、本詔ほんしょうはいして、「皇威こういを四かいとどろかし、皇化こうか宇內うだいに及ぼすものにして、皇道こうどうを世界に宣揚せんようする日本にっぽん精神せいしん淵源えんげんは、まさしくこれにあるとはねばならぬ」とつてをられる。ここに一げんしたいのは、すでに『思想社會しゃかい篇』でもれてゐる問題だが、神武じんむ天皇御東征ごとうせいといふ事だ。史家萩野はぎの由之よしゆき氏は、東征とうせいについて、「あんずるに、太祖たいそ神武じんむ天皇筑紫つくしより中州ちゅうしゅうらせたまひしこと、舊史きゅうし多く東征とうせいの字を用ゐたるによりて、のち昧者まいしゃあるい此擧このきょを以て、天孫てんそん人種が長髓彥ながすねひこの大和人種を亡ぼして、中國ちゅうごく占略せんりゃくせしものの如く考ふるものあり。誣妄ふもうはなはだしきものなり。これ天祖てんそ皇都こうとあきらかにせずして、ひたすら天孫てんそん降臨こうりんは、海外よりせしものなりとの妄想に起因するところにして、おおい國體こくたいけがし、國史こくしそこなふものなり」と述べてゐる。萩野氏の見解と同じ立場にゐて、東征とうせいの意義を正解したのは、齋藤さいとう竹堂ちくどう靑山あおやま佩弦はいげん(延光)の二であつた。にこれを引用する。

  神武じんむ東征とうせい恢復かいふくなり。窮武きゅうぶ遠略えんりゃくの兵にあらず。何ぞや。天下の地、東をくびとなさば、西はすなわちそのなり。くびを以てを制するは常にやすく、を以てくびこうするは常にかたし。日向ひゅうが極西きょくせいにあり。の地最尾さいびとなす。ていこれよって起り、ほこふるつて東に向ふ。これ至難のいきおいなり。しかして掃蕩そうとう剗平さんへいこうす、はなはすみやかなり。ゆえなくしてしからんや。けだ天祖てんそ大和やまとすることひさし。皇孫こうそん西征せいせいいて日向ひゅうがみやこし、多く年所ねんしょたり。王綱おうこう解弛かいし邑君ゆうくん村長そんちょうたがいあい凌轢りょうれきし、饒速日にぎはやひの如きは、故都こ と據有きょゆうし、あえ皇命こうめいほうぜず、ゆえてい諸兄しょけいと一たんふるつてかえりみず、以ての地をふくせんとほっするなり(中略)われ當時とうじいきおいして以て天祖てんその大和にみやこし、しかしててい(神武天皇)の東征とうせいすなわこれ恢復かいふくせしことを知れるなり。(齋藤竹堂)

  上古じょうこの世、天祖てんそけだかつ中洲ちゅうしゅうおさたまへり。しかれどもすでの事を神異しんいにす。ゆえに後世あえて論述するものなし。その後、天孫てんそんちん西海さいかいうつす。天祖てんそまさこれさずくるに舊土きゅうどを以てせんとし、群神ぐんしんをしてこれ蕩平とうへいせしむ。天孫てんそんよろしくすみやかにこれおもむくべくしておもむかず。あいいで西海さいかいほうずるもの四せいけだし待つ所あるなり。何となれば、天祖てんそ舊土きゅうどおさめ、天祖てんそ鴻業こうぎょうおおいにし、群豪ぐんごう統馭とうぎょし四ほう鎭定ちんていするは、至難しなんにあらずとふべからず。命世めいせいえいにあらずば、いずくんぞにんへんや。神武じんむに至るに及びて、器宇き う恢廓かいかくにして諸兄しょけい超絕ちょうぜつす。ゆえ葺不合尊ふきあえずのみことの三けいこれを立つ。三けいまたの意を知り、心をかなへて輔翼ほよくす。皇族こうぞく輯睦しゅうぼくして將士しょうし薺整せいせいす。ここおいてか東征とうせいきょあり。天兵てんぺいの指す所、降附こうふせざることなし。(中略)嗚呼あ あていを以て中洲ちゅうしゅうを定めて、たっとぶのもとい立つ。しかしてこう天祖てんそするは、かみたっとぶのまこといたれるなり。かみたっとび、たっとび、つい萬世ばんせい大本たいほんす。これ寶祚ほうそ無窮むきゅうつたふる所以ゆえんなる(靑山佩弦)

 以上によつて、東征とうせいの意義が分明ぶんめいする。このとうと恢復かいふくぎょうのち神武じんむ天皇は、橿原かしはらに宮を建てられた。山鹿やまが素行そこうは、この事について、「つつしみてあんずるに、これ中州ちゅうしゅう營都えいとの初めなり。(中略)けだてい、天下の蒼生そうせい平章へいしょうするを以て大任たいにんたまひ、天帝てんてい授命じゅめいの重きを守り、天孫てんそん悠久ゆうきゅうぎょうを開く事を切にはかたまひ、つい東征とうせいして、以て中州ちゅうしゅうを制し、始めて都宮みやこの地をし、後世ののりを建て、以てくらい萬々世ばんばんせいながくす」と所感を謹述きんじゅつした。すなわ建國けんこく大詔たいしょうの如くであつた。

  三月やよい辛酉かのととりついたち丁卯ひのとうみことのりを下してのたまわく、ひんがしちしよりここ六年むとせになりぬ。皇天あまつかみいきおいこうむりて凶徒あ だどもころされぬ。邊土ほとりのくにいましずまらず。餘妖のこりのわざわいこわしといえども、中州うちつくにの地、風塵ふうじんなし。まことよろしく皇都みやこひらひろめ、大壯みあらかはかりつくるべし。しかして今、ときわかくくらきひ、おおみたからこころ朴素すなおなり。み、穴に住む。習俗しわざつねとなれり。大人ひじりのりを立つる、ことわり、必ず時にしたがふ。いやしくもおおみたからあらば、何ぞひじりわざたがはむ。まさに山林をひらはらひ、宮室おおみやおさつくりて、つつしみて寶位たかみくらいのぞみ、以て元元おおみたからしずむべく、かみすなわ乾靈國あまつかみのくにさずけたまふのうつくしびに答へ、しもすなわ皇孫すめみまただしきやしなたまふ心をひろめむ。しかしてのち六合くにのうちを兼ねて以て都を開き、八紘あめのしたおおひていえむことからざらむ畝傍山うねびやま東南たつみのすみ橿原かしはらところれば、けだ墺區もなかならぬ。みやこつくるべしと。つきすなわ有司つかさみことおおせて、帝宅みやこつくはじむ。

 本勅ほんちょく拜誦はいしょうして、誰もが氣付き づくであらう三つの要點ようてんがある。それは(第一)大人ひじりのりを立つる、ことわり必ず時にしたがふとおおせられたこと(第二)かみすなわ乾靈國あまつかみのくにさずけたまふのうつくしびに答へ、しもすなわ皇孫すめみまただしきやしなたまふ心をひろめむと宣說せんぜつせられたこと(第三)六合くにのうちを兼ねて以て都を開き、八紘あめのしたおおひていえむとのたまうたことなどである。第一は日新にっしん主義の表明で、時勢の進運につれ、諸制度も適宜てきぎ變更へんこう改革してゆくことの必要を認めてよいとせられたのである。すなわち根本の精神せいしん不變ふへんであるが、方法は時のよろしきにしたがふべきだといふ、進歩的な御心みこころを明白にされてゐる。第二は、御祖先ごそせん神々かみがみが、國土こくどの上にのこされた恩德おんとくを深く心にめいじて、天業てんぎょう恢弘かいこうに努めようとする御心みこころ皇子孫こうしそんが正義を護持ご じしてゆくための方法を考へられた御心みこころの表明である。過去を追うてははげみ、未來みらいを思うては、正しい用意を怠らぬ叡慮えいりょの程がうかがはれる。第三は、一こくを以て家とし、民を赤子せきしの如く愛撫あいぶして、皇道こうどうを內外にかうと思召おぼしめさるる旨のおおせである。それは、やがて道の上で、世界一家の人類愛に迄進展すべきことを明示めいじする。如上にょじょう養正ようせいは、積慶せっけい重暉ちょうきと共に、建國けんこくの三大綱だいこうとせられてゐることは、すでに述べた。

 ほ、(第三)について詳言しょうげんすれば、右のうち、八紘はっこうといふことは、一こく全體ぜんたいを家となすといふ思想から、更に世界全體ぜんたいを一つの家と見なすといふ人類愛の思想に迄展開せらるべきことが豫想よそうせられる。世上せじょう日本にっぽん精神せいしん排他はいた的なもの、偏狹へんきょうなものと誤解し、それが人類愛と併行へいこうし得ないと考へるものが往々おうおうある。が、それは全く見當けんとうちがひだ。祖國愛そこくあいと人類愛とは決して扜格かんかくしない。充實じゅうじつした祖國愛があつてこそ、はじめて充實じゅうじつした人類愛がある。祖國愛なくして、何の人類愛があらうか。このてんについて、局小きょくしょうへんした考へを持つのは大きい誤りである。八紘はっこう御言葉おことばは、祖國愛の肯定を基本としての人類愛への展開を意味してゐる。本來ほんらい、日本精神はすでに述べたやうに一方に偏ることをしない。それゆえに、祖國愛にしゅうして、人類愛を忘れるやうな片手落ちのあらう筈はない。それであればこそ、神武じんむ天皇は、八紘はっこうおおせられたのである。

 世上せじょう、西洋流の自由主義などにかぶれたものは、日本にっぽん精神せいしんふと、排他はいた的であり、野郞やろう自大じだい主義の權化ごんげであるかの如く曲解きょっかいするものがあるけれども、それは、日本精神の皮相ひそう撥撫はつむする以上に出ないからだ。聖德太子しょうとくたいしは「」といふことを重んぜられたが、とはすなわち平和のことである。絕對ぜったい平和!それが日本精神の目ざす標的であらねばならぬ。神武じんむ天皇が「れ必ず鋒刄つわものいきおいらずして、ながら天下あめのしたたいらげむ」とおおせられたのも、絕對ぜったい平和の大精神だいせいしんを表明せられたのである。勿論もちろん、いかに平和に眷々けんけんせられやうとも、正義の敵がむかつてくる場合は、止むなく、これをちゅうせられたのはいふ迄もない。が、「」の一字によつて進むことを原則とされたことは、神武じんむ天皇おおせや御行動ごこうどうによつても明白だ。すで絕對ぜったい平和が、日本精神の一標目ひょうもくである以上、世界を一家と見、全人類を同胞と見て、仁慈じんじを以てこれに向ふべきは當然とうぜん歸結きけつである。明治天皇はこのてんについて、その御製ぎょせいで四かい同胞の意味を高調せられ、道の上では、國境こっきょうを越えてひろがる人類愛の旨を宣示せんじなされた。したがつて、かの口先きばかりに博愛を唱へて、そのじつ、徹底的に侵略主義を實行じっこうする西洋のかたは、日本精神と一致せぬところがあるとはねばならぬ。