2 過去に於ける日本優秀說

過去に於ける日本優秀說

ぎに順序上、當然とうぜん解釋かいしゃくしなければならぬのは、「日本にっぽん精神せいしんとは何ぞや」といふことである。近時、到るところ日本精神がかれるやうになつたが、その內容について、明確な觀念かんねん把持は じせしむるに足るせつ存外ぞんがいすくない。それに、日本精神を說明せつめいするについては、一おう、日本とは、どんなくにかといふことを述べる必要がある。日本人たる以上、その祖國そこくを知らぬものは一人もない筈だが、明治初期以來いらい歐米おうべい崇拜すうはいが約七十年近くもつづいため、歐米おうべいとはどんなくにかといふことを知つてゐても、日本とは、どんな國かといふてんを明確に知らぬものが相當そうとうに多い。よし、多少、知つてゐても、存外、それを漠然たる概念のもとに意識してゐるものもある。何れにしても、一おうは、日本國そのものについて說くところがなければならない。

 神勅しんちょく以外、日本とは、どんなくにであるかを率先、いた一人は、英雄そう日蓮にちれんだつたと思ふ。れは「のめでたきは扶桑ふそう(日本)第一、月氏がっし(印度)第二」といひ、また「世界八まんくにすぐれた國」として、日本をた。當時とうじの日本は、今日の如く、擴大かくだい・膨脹してをらなかつたのみならず、まだ文化の上においても進歩してをらぬてんが少くはなかつた。それにくにの大きさや地位からいへば、まさ日蓮にちれんつた如く、粟散ぞくさん(小國)邊土へんど(片田舎)でもあつた。しか日蓮炯眼けいがんは、そのくにの生命、本質を破つて、日本的自覺じかくを促すべく、「世界八まんくにすぐれた國」としたところに、その卓越した識見しきけんが光つてゐた。

 これにいで、日本こくを正しく解釋かいしゃくした先覺せんかく者は北畠きたばたけ親房ちかふさである。れは、『神皇じんのう正統記しょうとうき』において、「大日本だいにっぽん神國しんこくなり。天祖てんそはじめてもといをひらき、日神にっしんながくとうつたたまふ。我國わがくにのみ此事このことあり。異朝いちょうにはそのたぐひなし」と述べ、次ぎに印度いんど支那し ななどには、易世えきせい・革命のことが度々起るけれども、日本のみは『天地ひらけし初めより、今の世の今日に至る迄、日嗣ひつぎを受けたまふ事、よこしまならず。一種せいの中におきても、おのづからそばよりつたへたまひしすら、なおまさかえる道ありてぞ、たもちましましける。これしかしながら、神明しんめい御誓おんちかひあらたにして、餘國よこくにことなるべきいはれあり」と記した。國體こくたい尊嚴そんげんといふことに力點りきてんを置いて、日本の特質をあきらかにしようとしたところに、親房ちかふさの非凡性が見える。

 が、日本を各方面から說いて、何人にも、これを理解しやすからしめようとした先驅せんく者の一人は、山鹿やまが素行そこうである。素行そこうといへば、ぐに武士道がくの創建者であるとされるが、れは、ただ武士道がく元祖がんそたるにとどまらない。儒學じゅがくの上でも古學こがくを唱へて、新生面しんせいめんを開き、更に日本主義を發揚はつようして『中朝ちゅうちょう事實じじつ』を書いた。『中朝事實』の中には、日本とは、どんなくにかといふことが、いろいろのてんから書かれてある。元來がんらい素行そこうは、最初からの日本精神せいしん主義者ではない。『中朝事實』自序じじょで、彼れは、「中華ちゅうか文明(日本)のに生れて、いまの美を知らず、もっぱ外朝がいちょう經典きょうてんこのみ、嘐々こうこうとして、の人物を慕ふ、何ぞそれ放心なるや、何ぞそれ喪志そうしなるや」とつてゐるが、彼れが、左樣そ うした自覺じかくに到達する迄は、一時、印度いんど支那し な經典きょうてん心醉しんすいした時代がある。彼れの『配處はいしょ殘筆ざんぴつ』を見ると、その心の歷史れきしを語つて、たくみに推移の理由を表明してゐる。

 さて『中朝ちゅうちょう事實じじつ』において、發表はっぴょうした素行そこうの日本かんは、必ずしも周到、精細せいさいではないが、在來ざいらいの日本かんにくらべると、確かに說明せつめいの上において進歩のあとが見える。れは、中國章ちゅうごくしょうのうちで、日本こくに言及し、「本朝ほんちょうただ洋海うかい卓爾たくじし、天地の精秀せいしゅうけて、四時しいじたがはず、文明以てさかんなり」といひ、更に中華ちゅうか(文明の中心國)としょうすべきは、ひとり支那し なのみではなく、日本もまた中華であることを宣揚せんようし、「天地のめぐるところ、四時しいじまじはるところ、ちゅうればすなわ風雨ふうう寒暑かんしょかいかたよらず。ゆえ水土すいどゆたかにして人物せいなり。これすなわ中國ちゅうごくしょうすべく、萬邦ばんぽうおおき、ただ本朝及び外朝がいちょう支那ちゅうを得たり(中略)本朝の中國ちゅうごくたるは天地自然のいきおいなり。神々かみがみあいしょうじ、聖皇せいこう連綿れんめんとして、文武ぶんぶ事物じぶつ精秀せいしゅうじつに以て相應あいおうず」とつた。ここに少しく、支那し なを尊重したてんが見えるが、しか素行そこうは、必ずしも、支那し な崇拜すうはいおちいらないで、「外朝がいちょう支那またいま本朝ほんちょうの如くしゅうしんならず」とだんじ、の如く、支那缺陷けってんを指摘してゐる。

  およ外朝がいちょうは、封疆ほうきょうはなはひろく、四連續れんぞくし、封城ほうじょうようなし。ゆえ藩屏はんぺい屯戍とんじゅはなはだ多く、やくを守ることを得ず。しつ、これ一なり。近く四に迫る。ゆえ長城ちょうじょう要塞のかため、世々よ よ人民をろうす。しつ、これ二なり。守戍しゅじゅあるいえびすに通じて難を構へ、あるいえびすはしつてじょうらす、しつ、これ三なり。匈奴きょうど契丹きったん北虜ほくりょ、そのすきうかがやすし。しばしば以て却奪きゃくだつす。しつ、四なり。ついくにけずり、せいとりかへて、天下じんひだりにす。大失だいしつの五なり。いわんや河海かかい遠くして、魚蝦ぎょかの美、運轉うんてんらず。ゆえに人物またぞくことにす。牛羊ぎゅうようくらひ、毳裘ぜいきゅうて、榻床とうしょうするが如き、以てこれつべし。(『中朝事實』中國章)

 以上によると、素行そこうの地理的眼識がんしきすぐれてゐること、政治家として支那し なを見てゐることが分明わ かる。彼れは、かく支那缺點けってん・弱味をげてから、日本の長所に及び、祖國そこくのために、萬丈ばんじょうを吐いた。

  本朝ほんちょう(日本)は、天の正道せいどうあたり、地の中國ちゅうごくを得たり。南面なんめんくらいただしうして、北陰ほくいんけんにす。上西じょうさい下東かとう、前に數州すうしゅうようしてはうみし、うしろ絕峭ぜっしょうりて大洋に望み、每州まいしゅうことごと運漕うんそうようあり。ゆえに四かいひろきも、ほ一つづまやかなるが如し。萬國ばんこく化育かいく、天地の正位せいいに同じうして、さかい長城ちょうじょう支那萬里の長城)のろうなく、戎狄じゅうてきつことなし。いわんや鳥獸ちょうじゅうの美、林木りんぼくざい布縷ふ るこう金木きんぼくこうそなわらずといふことなきをや。聖神せいしん稱美しょうびたんむなしからんや。昔、大元だいげん世祖せいそ外朝がいちょうを奪ひ、いきおいじょうじて本朝ほんちょうち、大兵たいへいことごとく敗れて、くにかえる者わずかに三人のみ。の後、元主げんしゅしばしばうかごうて、我が藩籬はんりをもおかすことを得ず。いわんや高麗こ ま新羅しらぎ百濟くだらは、本朝ほんちょう藩臣はんしんたるをや。(『中朝事實』中國章)

 江戸時代に於て、寬文かんぶん年間にかく卓越した日本かん發表はっぴょうして、日本的自覺じかくを促した素行そこうの功は、偉大だとはねばならぬ。素行そこうのあとに出て、一そう、平易に科學かがく的な味をも加へて日本の特質を說明せつめいしたのは西川如見じょけんであつた。れは長崎の人で、漢學かんがく・天文・曆算れきさんなどに通じ、著述もまた多い。享保きょうほ年中、江戸幕府に召されて、諮詢しじゅんあずかつたこともある。その著『日本水土考すいどこう』は、地理・氣候きこう風致ふうち人文じんぶんなどの上から日本の特質をあきらかにし、日本とは、どんなくにかといふことについて、大衆的にわかり易く敍述じょじゅつしてゐる。けだ如見じょけんは、一面、科學知識を有し、他面、漢學の素養があつたから、在來ざいらいにくらべて、そのくところが一方に偏らない。

 如見じょけんは、づ日本の位置に言及して、「此國このくに萬國ばんこく東頭とうとうにあつて、朝陽ちょうよう始めて照すの地、陽氣ようき發生はっせいの最初」といひ、ぎに國民こくみん性については、「くに艮震こんしん極端きょくたんの地にして、陽氣ようき發生はっせいはじめなり。陽物ようぶつ初めて生ずるは、しつ穉弱ちじゃくに、强壯きょうそうなり。ゆえに日本の人、仁愛じんあいの心多きは、震木しんぼく發生はっせいくること篤きなり」と語り、更に(一)性質上、淸麗せいれい・潔白の物を好むこと(二)歲旦さいたん・婚姻等の賀儀が ぎ庶人しょにん禮式れいしき嚴重げんじゅうにすること(三)平生へいぜい怡悅いえついろを好み、哀愁のさまむこと(四)女人にょにんに美容のもの、孝順こうじゅん貞烈ていれつのもの多きことなどをげてゐる。次ぎに如見じょけんは、氣候きこう上、日本は四時しいじ中正ちゅうせいくにであるとし、日本は、實質じっしつ上、大國たいこくで、粟散國ぞくさんこく(小國)とするのあやまりなることを言明げんめいしたのち、「日本の限度ひろからず、またせばきにあらず。の人事・風俗・民情相齊あいひとしく混一にしておさめ易し」とし、要害のてんでも、世界中、日本の如くすぐれた地位にあるくにはないと解釋かいしゃくした。ここに至つて、はじめて、日本の各方面に於ける特色が大分だいぶあきらかにせられたのである。

 以上の人々の日本かんを要約すると、(一)日本國體こくたいの優秀無二なこと(二)氣候・風土共にちゅうを得てゐること(三)海の幸・山の幸にゆたかなこと(四)容易に他國たこくによつて攻め落されないこと(五)國民こくみん性の優秀なことなどである。その他、風光ふうこう明麗めいれい及び海外文化の長所を採取すること、武勇に優れ、正義と平和とを愛することなどを加へると日本とは、どんなくにであるかがぼ判明しよう。