6 副島種臣ニ賜ヘル宸翰 明治天皇(第百二十二代)

副島種臣ニ賜ヘル宸翰(明治十三年)

けい復古ふっこ功臣こうしんナルヲもっテ、ちんいまいたっなおそのこうわすレス。ゆえけい侍講じこうしょく登用とうようシ、もっちん德義とくぎみがことアラントス。しかルニけいみちこうスルなおあさクシテ、ちんいまそのおしえまなことあたハス。比日このごろらいけい病蓐びょうじょくありひさし進講しんこうク。ほのかク、けい侍講じこうしょくシ、さり山林さんりんいらントス。ちんこれきい愕然がくぜんヘス。けいなにもっここいたルヤ。ちんみちがくつとム、あに一二ねんとどマランヤ。まさ畢生ひっせいちからつくサントス。けいまたよろしちんおしヘテことなかルヘシ。しょくやまルカごとキハ、ちんあえゆるササルところナリ。さらのぞム、時々じ じ講說こうせつちんたすケテ晚器ばんきケシメヨ。

【字句謹解】◯復古ノ功臣 明治維新に際して國家こっか功勞こうろうのあつた人物、復古ふっことは王政復古の義で、天皇御親裁ごしんさいの政治が我がくにに再現した意となる ◯侍講 天皇學問がくもんを講義する役 ◯登用 採用する ◯德義ヲ磨ク事 帝王として十分なとくと正義とを益々ますます身に備へられること ◯日猶淺クシテ 幾日をもないで ◯比日來 近頃と同じ ◯病蓐ニ在テ 病氣びょうきのためにとこして ◯進講 御前ごぜんに於いて講義を行ふこと ◯仄ニ聞ク 噂にると ◯愕然 非常に驚く形容、事の想像外なのに天皇が驚かれたもうたのである ◯何ヲ以テ此ニ至ルヤ 何故なにゆえ侍講じこうの職をし山林にる決心などを致したのだらうか ◯畢生ノ力 一生涯の努力 ◯誨ヘテ 敎誡きょうかいする ◯晚器ヲ遂ケシメヨ としちょうじて學問がくもんつたちんをして、道の本體ほんたいを十分に理解し、向上こうじょう出來で きるやうに指導してくれよとの御意ぎょいである。

【大意謹述】けいは維新の囘天かいてん事業に從事じゅうじし、國家こっかのためにこうを建てた者であるから、ちんは現在でもけいの功績を忘れない。ゆえに朕は卿を朕の學問がくもん上の師として採用し、卿を通して、帝王としての朕のとくと正義とを一そう身に備へるに努めようとしたのである。それにもかかわらず、卿はこの職に就いて幾日もず、朕がそのおしえを十分にまなび得ないのに近頃卿は病床にして朕に講義をすることがない。噂に依れば卿は朕の師たるべき職をして故郷の田園にかえり、自適生活をしようとしてゐるとのことである。朕は非常に意外なのに驚かざるを得ない。何故なにゆえ左樣そ うした決意をするに至つたのか。元より朕は聖人の道を聞き學問がくもん從事じゅうじすることが、一二年で完成出來で きるとは考へず、朕としても一生の努力で道に達しようと覺悟かくごしてゐる。卿もまた朕の熱意と同じく、出來る限り長く朕を敎導きょうどうして、怠つてはならない。職をして故山こざんかえるなどのことは、朕は決して許可しない。朕は今後共に卿が時々講義を行ひ、としけてから學問がくもんを行ふ朕を指導し、天位につてもはずかしくないだけの人物としてくれるやう切望する。

【備考】明治天皇は、副島そえじま種臣たねおみ征韓論せいかんろんの破裂と共に在野ざいやの人となつたことをおしまれてゐた。それゆえ、明治十二年、再び副島を起用せられ、一等侍講じこうとせられたのである。左樣そ うした任務は副島にふさはしく、隨分ずいぶん忠誠ちゅうせいぬきんでた。ところが、副島の進講しんこうには、時々、當時とうじの政治上に於ける問題などを扱ふので、政府當局とうきょくでは、それを喜ばなかつた結果、黑田くろだ淸隆きよたかの如きは、手ひどく、副島を排斥した。そんなことから、副島もみずから考ふるところあつて明治十三年、辭表じひょうを提出するに至つたのである。それについて、明治天皇宸襟しんきんまやまされ、宸翰しんかんたもうて副島の辭職じしょくとどめられた。副島に取つてはまさに無上の光榮こうえいで、れは、深く感泣かんきゅうして、天恩てんおん優渥ゆうあくなことを拜謝はいしゃしたのである。