5-3 再び德川家茂に下し給へる宸翰 孝明天皇(第百二十一代)

再び德川家茂に下し給へる宸翰(第三段)(元治元年正月二十七日 維新史料)

去年きょねん將軍しょうぐんひさしく在京ざいきょうし、今春こんしゅんまた上洛じょうらくせり。諸大名しょだいみょうまた東西とうざい奔走ほんそうし、あるい妻子さいし其國そのくにかえらしむ。むべなり、費用ひよう武備ぶ びおよばざること。いまよりはけっしてしかるべからず。つとめて太平たいへい因循いんじゅん雜費ざっぴ減省げんしょうし、ちからおなじうし、こころもっぱらにし、征討せいとうそなえ精銳せいえいにし、武臣ぶしん職掌しょくしょうつくし、なが家名かめいはずかしむることなかれ。嗚呼あ あなんじ將軍しょうぐんおよび各國かっこく大小名だいしょうみょうみなちん赤子せきしなり。いま天下てんかことちんともに一しんせんことほっす。たみざいつくことく、姑息こそくおごりことく、膺懲ようちょうそなえげんにし、祖先そせん家業かぎょうつくせよ。もし怠惰たいだせば、とくちんそむ而已の みあらず、皇神こうしんれいそむくなり。祖先そせんこころたがふなり。天地てんち鬼神きじんまた汝等なんじらなにとかいわ

 文久ぶんきゅう四年甲子春きのえねのはる正月二十七日

【字句謹解】◯去年 文久ぶんきゅう三年のこと ◯在京 京都にとどまる意 ◯東西に奔走し せわしく諸方面にかけめぐる事。とは江戸、西とは京都を主として指されたもの ◯宜なり 無理もないといふ程の內容である ◯費用の武備に及ばざること の方面に多くの費用がかかつて軍備にまでそれが及ばないこと ◯因循の雜費 舊習きゅうしゅうを守つて一歩もそれから出ないこと。雜費ざっぴは諸方面の費用 ◯減省 省略すること ◯武臣の職掌 を以てきみに奉仕する者の當然とうぜん責任を持つ方面 ◯家名 家としての名譽めいよ ◯赤子 國民こくみんの義 ◯一新 一大改革 ◯姑息の者 時世の動きを理解せずに古い思想で人民と自己とを別に見て贅澤ぜいたくな生活をすること ◯膺懲の備 惡人あくにんらしめる用意 ◯祖先の家業 祖先そせん以來いらい引繼ひきついだ武人ぶじんとしてのいえ代々だいだいの仕事 ◯皇神の靈 皇室の御先祖ごせんぞ代々の御靈みたま ◯祖先の心 各自の祖先そせん報國ほうこくのために護國ごこくの鬼となつた心 ◯何とか云ん哉 何といつて非難するか分かるものではなからう。

【大意謹述】去年は將軍しょうぐんが長い間、京都にとどまつたが、今年の春もまた京都にのぼつた。諸大名もる者は將軍しょうぐんしたがつて江戸と京都を中心として諸方面をはしく往來おうらいし、る者は參覲さんきん交代こうたい制がゆるんだので、江戸に置いた妻子を國元くにもとかえらしめた。これらに要する費用はすこぶる大きいから、軍備の方面に手が𢌞まわらないのも當然とうぜんであらう。ちんが今後さうした事があつてはならないと思ふ。出來で きる限り太平につて萬事ばんじ重々しくなつたふるい習慣からくる費用を省略し、各自が力をあわせ、に何事も思はず、まん一の場合に十分、異國人いこくじん擊退げきたい出來るだけの軍備にけることなきやうにし、を以て奉仕する職業の本質をつくし、永久に家の名譽めいよけがしてはならない。

 ああ、なんじ家茂いえもち及び各國かっこく大小名だいしょうみょうは、一人ものこらずちんがために忠實ちゅうじつしんである。現在の世の中は、朕と協力して萬事なんじに大改革が加へなければならない。ゆえに一同の者は國民こくみん財物ざいぶつ徵發ちょうはつしすぎることなく、ふる觀念かんねんに支配されて贅澤ぜいたくな生活にふけることなく、狡猾こうかつ異國人いこくじん征伐せいばつする用意をげんにして少しも手落ちなく、祖先そせん傳來でんらいの家業に從事じゅうじするがよい。し朕の敎誡きょうかいを意にかけず、おこなふ事をなまけて行はないならば、たんに朕の意を裏切るのみでなく皇室の御先祖ごせんぞ代々の御靈みたまそむき、汝等なんじら各自の祖先そせん報國ほうこくの念ともことなつたものになる。その時は天地の神々かみがみ及び各人のれい打揃うちそろつて、汝等なんじらに非難のこえをあびせるであらう。

 文久ぶんきゅう四年甲子春きのえねのはる正月二十七日

【備考】當時とうじ、一番懸念けねんされたのは、國防こくぼうの上にある。日本やまと武士の意氣い き祖國そこくあいとは、流石さすがほ一方においておとろへなかつたが、國防こくぼうの一てんになると、はるかに歐米おうべいの下にあつた。しかもこれが充實じゅうじつを計ることは、容易のわざではない。そこに、當局とうきょくの大きいなやみがあつた。孝明こうめい天皇におかせられて、輕擧けいきょいましめられたのも、つまり、ここに起因する。これを今日こんにちの日本に於ける國防こくぼうの進展と比較するとき、じつ今昔こんじゃくの感に打たれる。