4-2 德川家茂に賜へる宸翰 孝明天皇(第百二十一代)

德川家茂に賜へる宸翰(第二段)(維新史料)

醜夷しゅうい征服せいふく國家こっか大典たいてんつい膺懲ようちょうおこさずんばあるからず。しかりいえども、無謀むぼう征夷せいいこのところらず。しかるゆえにその策略さくりゃくしてもっわれそうせよ。われその可否か ひろんずる詳悉しょうしつもって一てい不拔ふばつ國是こくぜさだむべし。われまたおもへらく、いにしえより中興ちゅうこう大業たいぎょうをなさんとするや、其人そのひとりといえども、當時とうじ會津あいづ中將ちゅうじょう越前えちぜん中將ちゅうじょう伊達だ て前侍從さきのじじゅう土佐と さ前侍從さきのじじゅう島津しまづ少將しょうしょうごときは、すこぶ忠實ちゅうじつ純厚じゅんこう思慮しりょ宏遠こうえんもっ國家こっか樞機すうきにんずるにる。われこれあいすることごとし。汝等なんじらこれしたしともはかれ。嗚呼あ あわれなんじちかっ衰運すいうん挽囘ばんかいし、かみ先皇せんこうれいほうじ、しも萬民ばんみんきゅうすくはんとす。怠惰たいだして、成功せいこうなければ、ことこれわれなんじつみなり。天地てんち鬼神きじんこれきょくすべし。なんじこれつとめよ。これつとめよ。

【字句謹解】◯醜夷 醜惡しゅうあく異國人いこくじんの義で、君子國くんしこくである我が日本にたいしておおせられた言葉 ◯國家の大典 我が日本國家こっかの大きな方針 ◯膺懲の師 我を輕視けいしする異國人いこくじんらすための軍隊、とはここでは皇軍こうぐんをいふ ◯無謀之征夷 十分な計畫けいかくもとに行はない異國人いこくじんへの征討せいとう ◯策略 軍の計畫けいかく方針 ◯詳悉 全部の策戰さくせん計畫けいかくを詳細に論義すること ◯一定不拔の國是 一定不變ふへんの根本となる國家こっか方針 ◯中興の大業 中興ちゅうこうとは中途の時代に於いておおいいきおいもり返す意で、ここでは攘夷じょういじつを指す ◯當時 現在と同じ ◯會津中將 會津あいづ二十八萬石まんごくの領主松平まつだいら容保かたもりのこと ◯越前中將 越前福井三十二萬石まんごくの領主松平慶永よしながのこと ◯伊達前侍從 伊豫い よ宇和島うわじま萬石まんごくの領主伊達だ て宗城むねきのこと ◯土佐前侍從 土佐高知二十三まん二千ごくの領主山內やまのうち豐信とよのぶのこと。世に容堂ようどうごうは名高い ◯島津少將 薩摩さつま鹿兒島かごしま七十七まん八百こくの領主茂久しげひさの父、久光ひさみつの事 ◯忠實純厚 忠義の心が厚く曲事きょくじを嫌ふ事 ◯思慮宏遠 時世にかんする考へが遠くひろく、目先だけではない ◯國家の樞機 國家こっかの最も重要な政務 ◯衰運を挽囘し 國家こっかおとろへたのを恢復かいふくする ◯先皇 御先代仁孝にんこう天皇を初め御先祖ごせんぞ御靈みたまのこと ◯萬民の急 國民こくみん一般の急な場合 ◯怠惰 なまける。おこなふことをなまけて行はない義 ◯殛す 極刑を加へる意 ◯旃を勉めよ 懸命になつてちんの意をほうぜよとの御意ぎょいで、『書經しょきょう』などによく見える句である。

【大意謹述】一たい我國わがくにみだ醜惡しゅうあく異國人いこくじんたいらげることは、我が國家こっかにとつて古來こらいからの根本方針で、今囘こんかいもそれにしたがひ、われ輕侮けいぶするやから打懲うちこらす目的で軍を編成するのは當然とうぜんである。が、いたずらに異國人いこくじん排斥を口にしても十分な策戰さくせん計畫けいかくがなければ、じつあがらず、それなしに軍をはっすることは、朕の好む所ではない。ゆえにこの際幕府に於いて、策戰さくせん計畫けいかく熟議じゅくぎの上、決定し、擧兵きょへい以前に朕にまで奏上そうじょうするがよい。朕はそれに接した上で詳細に批判し、一定不變ふへんな方針を國家こっかの名の下に決定しよう。又、朕はこんな事をも考へてゐる。古來こらい國家こっかの勢力を中外にふるふ大事業をおこなふに際しては、必ずそれに相當そうとうする程の大人物が中心となつて遂行すいこうあたつた。現在この事業をよく行ふ人物が幕臣ばくしん中に居ないとはいはないが、朕のる所では、會津あいづ松平まつだいら容保かたもり、越前の松平慶永よしなが伊豫い よ伊達だ て宗城むねき、土佐の山內やまのうち豐信とよのぶ及び薩摩さつま島津しまづ久光ひさみつの五人などは、非常に忠義に厚く、人物が正しく、目前の小策しょうさくとらはれて遠大な計畫けいかくを忘れることのない者共ものどもで、我が日本の重要な政務を行はせる責任を持たせても差支さしつかえないと思ふ。朕はこれらの人々を子のやうに愛してゐる。汝等なんじら幕府側はこの者共ものどもと親しみ合ひ、事々に相談して國策こくさくを建てるがよい。

 ああ、ちんはここになんじと誓ひ、公武こうぶ一致した勢力で我が國家こっかおとろへた現狀げんじょう昔時せきじ光輝こうきある姿に恢復かいふくさせ、かみ先帝せんてい始め御先祖ごせんぞ御靈みたまに成功のむねを報告し、しも國民こくみん一般の急場を救ひたいと切に考へてゐる。まん一、當然とうぜんおこなふことを行はないで、そのために事が不成功に終れば、全くそれは朕と汝とが責任を負はなければならず、天地の神々かみがみ及び各人のれいは、憤怒ふんぬあまり、必ず兩人りょうにんを極刑にしょするに相違ない。汝は以上朕の意を了解し、出來で きる限りの努力をしんではならない。懸命になつて事に從事じゅうじしなければならない。

【備考】當時とうじ、幕府の云爲うんいは、左支さ し右吾う ごして、その經綸けいりんの上に見るべきものすくなく、一定不拔ふばつ國是こくぜを定めることが出來なかつた。この事は、孝明こうめい天皇が最も遺憾いかんとされたところで、特に鞭韃べんたつを加へたまふのである。けれども幕府の無能、こと家茂いえもちの無能は、この最大の難局に善處ぜんしょすべく、國是こくぜを定め得なかつたのみならず、その日暮しに終始したのは何としても、そのせめを逃れることが出來ない。