1-8 太子を誡むるの書 花園天皇(第九十五代)

太子を誡むるの書(第八段)(元德二年二月 伏見宮御記錄)

而近簡所染、則小人所爲、唯俗事。性相近習則遠。縱雖有生知之德、猶恐有所陶染。何況不及上智也。立德成學之道、曾無所由、嗟呼悲乎。先皇緒業此時忽欲墜。余雖性拙智淺、粗學典籍、欲成德義興王道。只爲宗廟不絕祀。宗廟不絕祀在太子德。而今廢道而不脩、則全所學之道一旦塡溝壑、不可亦用☐所、胸哭泣呼天大息也。五刑屬三千、而辜莫大於不孝。不孝☐不如於絕祀。可不愼可不恐乎。

【謹譯】しかしてちかごろかんむるところは、すなわ小人しょうじん所爲しょいにしてただ俗事ぞくじのみ。せいあいちかならいすなわとおし。たと生知せいちとくありといえども、陶染とうせんするところあるをおそる。なんいわんや上智じょうちおよばざるをや。とくがくすのみちかつところなし。嗟呼あ あかなしいかな。先皇せんこう緒業ちょぎょうときたちまちんとほっす。性拙せいせつあさしといえども、ほぼ典籍てんせきまなび、德義とくぎ王道おうどうおこし、宗廟そうびょうめにまつりたざらんとほっす。宗廟そうびょうまつりたざるは太子たいしとくにあり。しかしていまみちはいしておさめざれば、すなわまったまなところみちたん溝壑こうがくうずむるや、またもちふべからず☐ところむね哭泣こっきゅうしててんんで大息たいそくするなり。五けいぞく三千、しかしてつみ不孝ふこうよりだいなるはなし。不孝ふこうつにかず。つつしまざるけんや。おそれざるけんや。

【字句謹解】◯簡に この語は異本いほんには「かつて」とある ◯染むる所 從事じゅうじすること、皇太子が行はれること ◯小人 學德がくとく共にあさうすい人。これは君子とたいした語で、『論語ろんご』には「いわく、君子は人の義を成す、人のあくを成さず。小人しょうじんこれに反す」(顏淵)とあるほか、非常に多く用ひられてゐる ◯俗事 役にも立たないこと ◯性相近く習は則ち遠し 人間の本性ほんせい何人なにびとでもほとんど同じであるが、習慣の善惡ぜんあくによつて賢愚けんぐ遠く離れて區別くべつされるに至ること。『論語ろんご』に「いわく、せいあいちかきなり、ならいあいとおきなり」(陽貨)とあり、人に學問がくもんすすめてゐる ◯生知 少しも學問がくもんしないですべてを知ること ◯陶染 から感化される ◯上智 うまれながら何事をも知り、決してに感化されない者。ここでは生知せいち上智じょうちとを區別くべつし、前者はの感化を受け後者はそれを受けないとした。『論語ろんご』に「いわく、上知じょうち下愚か ぐとは移らず」(陽貨)とあるのがこの意で、同じく「いわく、君子は上達じょうたつす、小人しょうじん下達かたつす」(憲問)とあるのは、この場合參考さんこうとなる ◯曾て由る所なし 今までその方法を採つたことがない ◯先皇の緒業 御先祖ごせんぞ代々の大きな功績 ◯墜ちん 地上にちる義で、その功績を失ふこと ◯ 天皇御自身をおおせられた言葉 ◯性拙に 本性ほんせいぜんと遠いこと、御謙辭けんじである ◯ 大體だいたいの意 ◯典籍 儒敎じゅきょうの書物 ◯王道 帝王のとくを以て天下を統治するといふ儒敎じゅきょう精神せいしん ◯宗廟 御先祖ごせんぞ代々の御靈殿ごれいでん ◯ 先祖せんぞれいを祭りなぐさめること ◯溝壑 こうはみぞ、がくは谷間の義、再び出られない場所に落ちこむこと ◯胸に哭泣して 心中おおいに悲しむこと ◯天を呼んで大息する 絕望ぜつぼうの余り天をあおいで歎息たんそくする ◯五刑の屬三千 五けいつて代表される三千の罪の義で、一切の罪をいふ。五けいとは『書經しょきょう』の舜典しゅんてんにはぼく(いれすみ)・(はなきり)・(あしきり)・きゅう(去勢)・大辟たいへき(死刑)とあり、『周禮しゅらい』の大司寇たいしこうには、野刑やけい(農業を怠る罪)・軍刑ぐんけい(軍中で上官の命に從はない罪)・郷刑きょうけい(不孝その他の非爲を行ふ罪)・官刑かんけい(官吏の職を怠る罪)・國刑こっけい(國家の秩序を亂す罪)とある ◯祀を絕つ 先祖せんぞれいを祭らず、その敎誡きょうかいを守らないこと。

【大意謹述】しかも皇太子の樣子ようするのに、近頃從事じゅうじする方面は、學德がくとく共に十分でない所謂いわゆる小人しょうじんと同じで、世間の役に立たないものばかりである。「人間の本性ほんせいは誰でもほとんど同じで、ただ習慣につて賢愚けんぐ區別くべつしょうずる」と聖人はかれてゐる。生れた時から別に學問がくもんをしないでも相當そうとくとくがある人すらも、からのわるい感化を受けないと誰が保證ほしょうし得よう。太子は聰明そうめいであるが、絕對ぜったいに何の感化を受けない上智じょうちの人といふことは出來で きない。それにもかかわらず、帝王としてのとくを立て學問がくもんを完成する道に少しも努力しないのは、じつに悲しいことではないか。過去御代々ごだいだい天皇の建てられた功績は、太子が卽位そくいすると同時に地にちようとしてゐる。

 性來せいらいの方面にも優れず、あさい知識だけを持ち合はせてゐるにすぎない。それでも大體だいたい儒書じゅしょまなんで、帝王のとくと義とを完成させ、民を德化とっかする王道國家こっかおこし、御先祖ごせんぞ御靈殿ごれいでんを祭つて、その敎誡きょうかいそむくまいと常々考へてゐる。今後、御先祖ごせんぞ御靈殿ごれいでん引續ひきつづき祭るのは全く皇太子の責任で、御身おんみとく如何いかんる。しかるに太子は現在道にこころざさず、努力もせずに居る以上、全くまなんだ道もみぞや谷間に落ちたのも同樣どうよう、死んでしまつて再び用ひられるものではない。ちんは心中にこえをあげて泣きたい氣持きもちで、天をあおぎつつおおきな歎息たんそくをするよりほかはない。昔から五けいつて代表されるすべての罪のうちで、不孝ふこう以上に大きなものはないとしょうせられてゐる。不孝ふこううちでも御先祖ごせんぞまつりやし、その功業こうぎょうを消失させるのは最も重いものである。皇太子はここにいて身をつつしみ、一きょどう天命てんめいそむくまいと注意深くすることが何よりも大切である。