1-5 太子を誡むるの書 花園天皇(第九十五代)

太子を誡むるの書(第五段)(元德二年二月 伏見宮御記錄)

凡學之爲要、備周物之智、知未萌之先、達天命之終始、辨時運之窮通、若稽于古、斟酌先代廢興之迹、變化無窮者也。至如暗誦諸子百家之文、巧作詩賦、能爲議論、群僚皆有所掌。君主何强自勞之。故寬平聖主遺誡、天子入☐不可消日云々。近世以來、愚儒之庸才可學、則徒守仁義之名、未知儒敎之本、勞而無功。馬史之所謂博而寡要者也。

【謹譯】およがくようたる周物しゅうぶつそなへ、未萌みぼうせんり、天命てんめい終始しゅうしたっし、時運じうん窮通きゅうつうべんじ、ここいにしえかんがへ、先代せんだい廢興はいこうあと斟酌しんしゃくし、變化へんかきわまりなからん。諸子しょしぶん暗誦あんしょうし、たくみ詩賦し ぶつくり、議論ぎろんをなすがごときにいたりては、群僚ぐんりょうみなつかさどところあり。君主くんしゅなんひてみずかこれろうせん。ゆえ寬平かんぴょう聖主せいしゅ遺誡いかい天子てんしにゅう☐、すべからず云々うんぬんと。近世きんせい以來いらい愚儒ぐじゅ庸才ようさいまなぶべく、すなわいたずら仁義じんぎまもり、いま儒敎じゅきょうもとらず、ろうしてこうなし。馬史ば しはゆるはくにしてようすくなきものなり。

【字句謹解】◯學の要たる 學問がくもん要點ようてん ◯周物の智を備へ すべての物に通ずる知識を所有すること ◯未萌の先を知り いまだ事が表面にあらはれない以前にそれの本質をよく知ること ◯天命の終始に達し 人間の本性ほんせいを十分に理解すること。天の命にしたがつて少しもそむかないのが人間の本性ほんせいで、それをよく了解實行じっこうするのが學問がくもん要點ようてんの一だとの意である。〔註一〕參照さんしょう ◯時運の窮通を辨じ 時勢がる時にはきわまり、きわまればそれからひらける道が自然にあることを考へる ◯若に古を稽へ いにしえとは堯舜ぎょうしゅんの時代をいふ、この語は『書經しょきょう』の堯典ぎょうてんにある。かんがへは深く考察すること ◯先代廢興の迹を斟酌し 過去に於ける國家こっか興隆こうりゅうしたり廢亡はいぼうしたりした事跡じせきを考へて參考さんこうにする ◯詩賦 詩とと、とは六の一で心に感じたままを比興ひこうを用ひないでいふもの ◯群僚 多くの役人 ◯寬平聖主の遺誡 寬平かんぴょう聖主せいしゅとは宇多う だ天皇御事おんこと、この御遺誡ごいかいは現在「寬平かんぴょう御遺誡ごいかい」として知られてゐるものと同一であるかいなか不明。現存げんそんのは缺字けつじが多いが、ここに引用されてゐる句は見當みあたらないやうである。したがつてここにある一字の缺字けつじおぎなひ得ない ◯日を消す 何もしないで暮すこと ◯愚儒 後世腐儒ふじゅといふものと同じで、儒敎じゅきょうまなびながらもその根本となる主張に通じない者 ◯仁義の名 じんは同情、は是非の區別くべつである。これはその意義だけを知つて實行じっこうしないこと。〔註二〕參照 ◯勞して功なし 骨折つてもその甲斐がない ◯馬史 『史記し き』の著者司馬し ばせんのこと。〔註三〕參照 ◯博にして要すくなき者 知識がひろいのみで要點ようてんを得ない者。

〔註一〕天命の終始に達し 天命てんめいとは宇宙の支配者であり、天地萬物ばんぶつ創造のかみである天の命令の意。『中庸ちゅうよう』の朱熹しゅき章句しょうくには「天の命ずるこれせいひ、せいしたがこれを道とひ、道をおさむるこれおしえふ」とある。なほ參考さんこうまでに、支那人しなじん古來こらい天に就いてくだした五種の解釋かいしゃくを次に示す。

(一)形體けいたいてん形而下けいじか的の意で、我々があおぐ大空をいふ。『詩經しきょう大雅たいがの「とび飛んで天にもどる」のたぐいである。

(二)形容的天―天を形容的にいつたもので、しょくを民の天といひ、夫を妻の天といふたぐいである。

(三)科學かがく的天―天を機械的に解し、人間と何等關係かんけいのないものとした解釋かいしゃくで、荀子じゅんしなどの主張である。

(四)哲學てつがく的天―上代じょうだいの『えきかん老莊ろうそう思想、六朝りくちょう佛敎ぶっきょう思想の見た天で、宇宙根本の實在じつざいと解するもの、宋代そうだい儒者じゅしゃは多く天にたいしてこのやうに考へた。

(五)宗敎しゅうきょう的天―支那し な古來こらい宗敎しゅうきょう思想は、いずれのくにも例外ないやうに自然崇拝すうはいであり、名山めいざん大川たいせん風雨ふうう雷電らいでんなどの自然現象をかみとし、これらを主宰しゅさいする最高神さいこうじんを天だと見た。この意味の天はたいの上では天といひ、ゆうの上ではていといひ、皇天こうてん上帝じょうていなどと呼んでゐる。この天は宇宙萬物ばんぶつの創造主で、天と萬民ばんみんとは親子の關係かんけいにある。天はその萬民ばんみん統御とうぎょするために聰明そうめいな人を見出し、命令して民の君師くんしとさせ、天に代つてその任にあたらしめる。ゆえに帝王、君師くんしの資格は絕對ぜったい的ではなく、し任を怠つて天命に背けば、天災地變ちへんつてこれいましめ、それでも改めなければ、天がつみして、その任を奪ひ、の天命を得た人に天下を支配させる。これが支那し なの革命思想である。これと反對はんたいし帝王が自己の任務をつくして天下が永く太平となれば、天は各種の瑞祥ずいしょうくだして賞揚しょうようする。次に臣民しんみんは天につかへると同じ態度で帝王に奉仕しなければならない。この服從ふくじゅうの義務は、ただし、帝王が天命を保つてゐる間に限られ、し帝王が暴虐ぼうぎゃくで天命がそれから去れば、その義務は解消する。ところが、支那し ないん時代以後は、この革命を避けるために、帝王だけがみずから天の子として天を祭り、諸侯しょこうは領地內の山川さんせんを、人民は祖先そせんを祭ることに定めた。しかしその後も度々革命が行はれたから、支那し なに於ける君臣の關係かんけいは、我國わがくにに於けるやうに絕對ぜったい的とはなり得なかつた。要するに、天の信仰は支那し なでは政治・道德どうとく宗敎しゅうきょうの基礎として重大されてゐた。

〔註二〕仁義の名 ここでは『孟子もうし』のうちから仁義にかんしたニ三の重要な部分を引用する。

(一)「孟子もうしいわく、人の禽獸きんじゅうことなる所以ゆえんの者は幾希すくなきなり。庶民しょみんこれを去り、君子はこれそんす。しゅん庶物しょぶつあきらかにして人倫じんりんを察す。仁義にりておこなふ。仁義をおこなふにあらざるなり」(離婁章下)

(二)「孟子もうしりょう惠王けいおうまみゆ。王曰おういわく、そうとおしとせずしてきたる。亦將またまさもっくにすることあらんとするかと。孟子もうしこたへていわく、おう何ぞ必ずしもはん。また仁義あるのみ云々」(梁惠王上)

(三)「先生せんせいもっしんの王にき、しんの王、よろこびて、もって三ぐんめば、れ三むることをたのしみてよろこぶなり。人のしんたる者、いだきてきみつかへ、人のたる者、いだきての父につかへ、人のていたる者、いだきてけいつかへば、君臣くんしん父子ふ し兄弟けいていついに仁義を去り、いだきてあいせっするなり。しかしこうしてほろびざる者は、いまれあらざるなり。先生せんせい仁義を以てしんの王にき、しんの王、仁義をよろこびて、しかして三軍の師をめば、れ三軍の士むることをたのしみて仁義をよろこぶなり。人のしんたる者、仁義をいだきて以てきみつかへ、人の子たる者、仁義をいだきて以ての父につかへ、人のていたる者、仁義をいだきて以てけいつかへば、君臣くんしん父子ふ し兄弟けいてい、利を去り仁義をいだきて以てあいせっするなり。しかしこうして王たらざる者は、いまれあらざるなり。何ぞ必ずしも利とはんと」(告子章下)

〔註三〕馬史 あざ子長しちょう龍門りゅうもんの人で、壯年そうねんに諸方を遊歷ゆうれきしてのちかん武帝ぶていつかへ、父の後をいで太史たいしとなつた。會々たまたまつてつみせられ、發憤はっぷんして『史記し き』百三十かんあらはした。

【大意謹述】すべ學問がくもんをする以上は、その要點ようてんを知ることが大切である。學問がくもん要點ようてんは、いにしえから樣々さまざまかれてゐる。すべての物に通ずる知識を養ふこと、いまだ事物が表面に出ない先にその本質を知ること、人間の本性ほんせい自覺じかくし天の命に背かない修養しゅうよう方法をまなぶこと、時世がきわまると、その間におのずから開ける道を發見はっけんすること、堯舜ぎょうしゅん時代の有樣ありさをよく研究すること、過去に於ける國家こっか盛衰せいすいの理由を調査して參考さんこうにすることなどがかれ、無限に多樣たようである。聖人以來いらいの樣々のの主張を一々記憶し、巧妙に文章や詩などを作り、又は議論をさかんおこなふことなどは、多數たすうの役人中、各自の專門せんもんまかせればいので、帝王たる人が無理に骨折つて行ふようはない。ゆえ宇多う だ天皇に於かせられても、その御遺誡ごいかい中に「天子は☐にり、無駄に日を費してはならない」とおおせられてゐる。近來きんらい人々は魂の腐つた平凡な儒者じゅしゃを手本とする者が多く、仁義の語を形式的に解するだけで、聖人がく如くに、じんは同情、は正義として、これを實行じっこうまで移さない。つまり、この人々には儒敎じゅきょうの本質が了解出來で きず、こんな心では如何い かに骨折つても何も效果こうかはない。『史記し き』の著者、司馬し ばせんが、「知識がひろいのみで要點ようてんを得ない者」とあざけつたその人々と同一である。

【備考】學問がくもん範圍はんいは、際限なくひろい。それをきわめてゆくことは、却々なかなか、容易でない。が、ひろく通じ、ひろく知ることも必要である。勿論もちろん博通はくつうといひ、博學はくがくといひ、よい事にちがひないけれども、學問がくもんの根本原理をしつかりつかんで、その要點ようてん確實かくじつに知ることが、何よりも必要だ。いかにひろくとも、要點ようてんいっして、枝葉しようにのみ走つて全く意義をさぬ。花園はなぞの天皇はこのてんを深くいましめられたのである。