1-4 太子を誡むるの書 花園天皇(第九十五代)

太子を誡むるの書(第四段)(元德二年二月 伏見宮御記錄)

而庸人習太平之時、不知今時之亂。時太平則雖庸主可得而治。故堯舜生而在上、雖有十桀紂不得亂之。勢治也。今時雖未及大亂、亂之勢萌已久、非一朝一夕之漸。聖主在位則可歸無爲、賢主當國則無亂。若主、非賢聖、則恐、唯亂起數年之後。而一旦及亂、則縱雖賢哲之英主、不可朞月而治。必待數年。何況庸主鐘此運。則國日衰政日亂、勢必至于土崩瓦解。愚人不達時變、以昔年之泰平、計今日之衰亂、謬哉々々。近代之主猶未當此際會、恐唯太子登極之日、當此衰亂之時運也。非內明哲有之叡聰、外有通方之神策、則不得立於亂國矣。是朕所以强勸學也。今時之庸人未曾知此機、宜𢌞神襟。當此弊風之代、自非詩書禮樂、不可得而治。以是重寸陰、以夜續日宜研精。縱學渉百家口誦六經、不可得儒敎之奥旨、何況末學庸吏求治國之術。愚於蚊虻之思千里、鷦鷯之望九天。故思而學、學而思、精通經書、日省吾躬、則有所以矣。

【謹譯】しかして庸人ようじん太平たいへいときならひ、今時こんじらんらず。とき太平たいへいなればすなわ庸主ようしゅいえどおさむべし。ゆえぎょうしゅんうまれてかみれば、十のけつちゅうありといえどこれみだすをず。いきおいおさまればなり。今時こんじいま大亂たいらんおよばずといえども、らんいきおいきざすことすでひさしく、一ちょうせきぜんにあらず。聖主せいしゅくらいにあればすなわ無爲む いすべく、賢主けんしゅくにあたらばすなわらんなし。しゅ賢聖けんせいあらずんばすなわおそる、らん數年すうねんのちおこらんことを。しかして一たんらんおよばば、すなわたと賢哲けんてつ英主えいしゅいえど朞月きげつにしておさむべからず。かなら數年すうねんたん。なんいわんや庸主ようしゅうんかさぬるをや。すなわくにおとろへ、まつりごとみだる、いきおいかなら土崩どほう瓦解がかいいたらん。愚人ぐじん時變じへんたっせず、昔年せきねん泰平たいへいもって、今日こんにち衰亂すいらんはかる。あやまれるかなあやまれるかな近代きんだいしゅいま際會さいかいあたらず、太子たいし登極とうきょく衰亂すいらん時運じうんあたらんことをおそる。うち明哲めいてつ叡聰えいそうあり、そと通方つうほう神策しんさくるにあらざれば、すなわ亂國らんごくつことをず。ちん勸學かんがくふる所以ゆえんなり。今時こんじ庸人ようじんいまかつらず、よろしく神襟しんきん𢌞めぐらすべし。弊風へいふうあたり、詩書ししょ禮樂れいがくにあらざるよりは、おさむべからず。これもっ寸陰すんいんおもんじ、もっぎ、よろしく研精けんせいすべし。たとがく、百わたり、くち六經りくけいじゅすとも、儒敎じゅきょう奥旨おうしべからず。なんいわんや末學まつがく庸吏ようり治國ちこくすべもとむるをや。蚊虻ぶんぼう千里せんりおもひ、鷦鷯しょうれい九天きゅうてんのぞむよりもなり。ゆえおもうてしかしてまなび、まなんでしかしておもひ、經書けいしょ精通せいつうし、かえりみれば、すなわところあらん。

【字句謹解】◯庸人 凡人のこと ◯習ひ 習慣づけられる ◯庸主 平凡な君主 ◯桀紂 桀王けつおういん紂王ちゅうおうとのこと。古今の惡主あくしゅで、惡主の代名詞として使用されてゐる ◯一朝一夕の漸にあらず 天下がみだれる前兆は早くから見えるので、決して今日や昨日からはじまつたのではない ◯聖主位にあれば卽ち無爲に歸すべく 才德さいとく共に申し分のない帝王が位に在れば、そのとくが天下に及んで、帝王は何等なんら積極的な政治作用を致すことなく、天下は太平となる意。無爲む いとは何の作爲さ いする所なく、しかも天下が治まること。『論語ろんご』にはしゅんに就いて「いわく、無爲む いにして治まる者はしゅんか。れ何をかすや。おのれうやうやしくし、正しく南面なんめんするのみ」(衞靈公)とある ◯賢哲 てつはこの場合せいと同意で、前に「賢聖けんせい」との文字を使用したばかりなので、同義語のてつを書いた ◯朞月 短かい年月としつきのこと。は一年、げつは一つき ◯土崩瓦解 土や瓦のやうに崩れこはれる ◯時變に達せず 時世に伴ふ必然の變化へんかを理解しない ◯今日の衰亂を計る 昔太平な世に使用した方針で、今の衰へみだれた世の中を推し通さうとすること ◯謬れる哉 この上もない誤解ではなからうか ◯際會 出會で あふ ◯太子登極の日 皇太子が皇位かれる時 ◯明哲の叡聰 萬事ばんじに明らかで事理じ りに通ずるていとしての御聰明ごそうめいさ ◯通方の神策 いかなる場合にも平然と處理しょり出來で きるだけのかみの如き名策めいさく ◯勸學 學問がくもんをすすめる ◯神襟を𢌞すべし 皇太子に向はれて深い考慮を求められたのである ◯詩書禮樂 聖人が後世にのこした書の義で、ここでは聖人のおしえとの意となつてゐる。『論語ろんご』に「雅言がげんする所は、詩書ししょ執禮しつれい、皆雅言がげんなり」(述而)とある意である ◯寸陰を重んじ ほんのわずかの時間を利用すること ◯夜を以て日に續ぎ 晝夜ちゅうや怠らず事を行ふ意 ◯研精 詳細に事物を研究すること ◯百家 所謂いわゆる諸子しょしの義で、多くの學者がくしゃをいふ ◯六經 聖人の手に成つた易經えききょう書經しょきょう詩經しきょう春秋しゅんじゅう禮記らいき樂記がっきをいふ。このうち樂記がっきは現存しないので、五きょうともしょうしてゐる。ここでは聖人の敎誡きょうかいを記した書物全部のこと ◯奥旨 根本精神せいしん ◯末學 聖人以後の末派まっぱせつ心醉しんすいする者 ◯庸吏 平凡な役人 ◯蚊虻の千里を思ひ あぶが千里も飛ばうと考へる。不可能なたとえとして用ひた言葉 ◯鷦鷯の九天を望む と俗にいふ、雀に似て小型な鳥、九てんとは天の最も高い部分をいふ。みそさざいが天の最高部に達したいと願ふ義で、不可能であり、おろかたとえとして用ひたもの ◯思うて而して學び學んで而して思ひ 學問がくもんの二方面、すなわ思索しさく博學はくがくとを共に發達はったつさせる意。『論語ろんご』に「いわく、まなびて思はざればすなわくらし。思ひてまなばざればすなわあやうし」(爲政)とある ◯經書 聖人の書いたもの。前の六經りくけいを指す ◯日に吾が躬を省みれば 日々自分のすべてを反省すること。勿論もちろん缺點けってんがあればただちに改める意である。『論語ろんご』には「曾子そうしいわく、われ日にが身を三せいす。人のめにはかりてちゅうならざるか、朋友ほうゆうまじわりてしんならざるか、ならはざるをつたへしかと」(學而)といふ有名な句がある ◯似る所 理想に近いてん

【大意謹述】その上、平凡な人々は常に太平時代の習慣が身にみ込んでゐて、現世が亂世らんせいにならうとする傾向にあることを知らない。時代が太平であれば、平凡な君主でも缺點けってんを見せずに統治が出來で きる。ぎょうしゅんのやうな聖主せいしゅかみられれば、桀王けつおう紂王ちゅうおうのやうな惡人あくにんがたとへ十人も居たとて、世をみだすことは出來ない。これは時のいきおいが太平だからである。現に世は大亂たいらんといふ程ではないが、他日たじつおおいみだれる前兆が餘程よほど以前からうかがはれ、決して今日明日に起つたのではない。ゆえ申分もうしぶんのない君主がその地位にあれば、兩手りょうてを組んでゐるだけで少しも積極的に作爲さ いしなくとも、世人せじん心服しんぷくし、賢明な君主が國政こくせいを左右すれば、決してらんを起す心配はない。これに反して、まん一、君主が申分もうしぶんのない人でもなく、賢明でもなかつたら、その時こそ數年すうねん後に大亂たいらんとなるのは明瞭めいりょうである。そして一たび大亂たいらんが起つたならば、たとへ如何い かに申し分のない、賢明な、事理じ りに明るい英雄が君主となつたとて、短日月たんじつげつの間に太平になし得ず、必ず數年間すうねんかんついやす。まして平凡な人であれば、在位年限が長ければ長い程、國勢こくせい日每ひごとに衰へみだれ、結局、國家こっか崩壞うかいするに至るであらう。事理じ りに暗く、時世を知らない人々は、時の動きを自覺じかくせず、それにしょする手段を通ぜず、かつて太平であつた時代と少しもかわらない方針で、國政こくせいの衰へた今日こんにちに臨まうとしてゐる。じつに大きな誤謬ごびょうではないか。この上もなくあやまつてゐるといはなければならない。

 この數代すうだい天皇いまだその大亂たいらんの時機に合はなかつた。多分、皇太子の卽位そくいの時が、恐らくは國政こくせいの最もみだれ衰へた際に相當そうとうするのでもあらう。ゆえにその際の天子たる者は、自己の內部に事理じ り明達めいたつするの叡慮えいりょがあり、外部にたいしては如何い かなる場合にも正しく適應てきおうしてゆくかみの如き方針を所有してゐないならば、大亂たいらんの世にあたつて國民こくみんを統治出來るものではない。ちんが皇太子にたいして學問がくもんすすめるのは全くこのてんを考慮したからにほかならない。現在平々凡々の人々は、この時が如何い かなるものであるかを少しも察しない。太子に於かれては、それを十分深慮しんりょすべき必要があると思ふ。弊害へいがいの多い時代には、詩書ししょ禮樂れいがくにあらはれた聖人の敎誡きょうかい以外に、國家こっかを統治する手段は求められない。ゆえわずかの時間をも無駄にせず、日夜怠らないで、出來る限り學問がくもんせい出し、詳細に研究するに越したことはない。儒敎じゅきょうの根本精神せいしん治國ちこくへい天下てんかに在るので、よしやひろ樣々さまざま學者がくしゃ言說げんせつを知り、聖人ののこされたすべての文獻ぶんけん暗誦あんしょう出來たとて、この一てんに達しなければ、何の價値か ちがあらう。まして百を知らず、六經りくけいに通じない學者がくしゃや平凡な役人が如何ど うしてくにを平定出來ようか。この人々が治國ちこくを望むのは、丁度あぶが千里を飛ばうと考へ、鷦鷯みそさざいのやうな小鳥が空高く飛んで天の中央の最高處さいこうしょに至らうと願ふのと同じで、いな、それ以上に不可能であり、おろかな事だとひょうぜざるを得ない。ゆえに聖人のおしへた通り、學問がくもんの二方面である博學はくがく思索しさくとを共に怠らず、一方に聖人の書を十分にんで正しい意味を知り、他方に平生へいぜい自己を批評し、反省しつづけることが出來れば理想に近いといへよう。

【備考】帝王學ていおうがくについて、修得しゅうとくするところあるために、治國平ちこくへい天下てんか標榜ひょうぼうするところの儒敎じゅきょうについて、第一に研究を重ね、それを基本として思索しさくし、推究すいきゅうして、政治の要諦ようていに到達すべき旨を切實せつじつ敎示きょうじされてゐる。『大日本史だいにほんし』によると、天皇學問がくもんを重んじ、禪宗ぜんしゅうに通じ、また詩歌しいかをよくせられた。したがつてその述べらるるところもまた適正で、いかに正しくやすらかに天下を治め、いかに亂世らんせいしょすべきかをも條理じょうりを立てて說示せつじされてゐる。謹誦きんしょうしてあじわふべきてんが多い。