1-3 太子を誡むるの書 花園天皇(第九十五代)

太子を誡むるの書(第三段)(元德二年二月 伏見宮御記錄)

愚惟深以爲謬。何則洪鐘畜響、九乳未叩誰謂之無音。明鏡含影、萬象未臨誰謂之不照。事迹雖未顯、物理之炳然。所以孟軻以帝辛爲夫、不待武發之誅矣。以薄德欲保神器。豈其理之所當乎。以之思之、危於累卵之上頽嵓之下、甚於朽縈之御深淵之上。假使吾國無異姓之窺覦、寶祚之脩短多以由茲。加之中古以來兵革連綿、皇威遂衰、豈不悲。太子宜熟察觀前代之所以興廢。龜鑒不遠、昭然在眼者歟。況又時及澆漓、人皆暴惡、自非智周萬物才經夷儉、何以御斯悖亂之俗。

【謹譯】おもふにふかもっあやまれりとなす。なんとなればすなわ洪鐘こうしょうひびきたくわへて、九乳きゅうにゅういまたたかずとも、たれこれおとしとはん。明鏡めいきょうかげふくむ、萬象ばんしょういまのぞまずとも、たれこれてらさずとはんや。事跡じせきいまあらわれずといえども、物理ぶつり炳然へいぜんたり。孟軻もうか帝辛ていしんもっとなし、はつちゅうたざる所以ゆえんなり。薄德はくとくもっ神器しんきたもたんとほっす。あにあたところならんや。これもっこれおもふに、累卵るいらんうえ頽嵓たいがんもとにあるよりもあやうく、朽縈きゅうえい深淵しんえんうえぎょするよりもはなはだし。假使たとえくに異姓いせい窺覦き ゆなきも、寶祚ほうそ脩短しゅうたんおおくはもっここる。加之しかのみならず中古ちゅうこ以來いらい兵革へいかく連綿れんめん皇威こういついおとろふ、あにかなしからずや。太子たいしよろしく熟察じゅくさつして前代ぜんだい興廢こうはいする所以ゆえんるべし。龜鑑きかんとおからず、昭然しょうぜんとしてまなこにあるものいわんやまたとき澆漓ぎょうりおよび、ひとみな暴惡ぼうあく萬物ばんぶつあまねく、さい夷險いけんるにあらざるよりは、なにもってか悖亂はいらんぞくぎょせんや。

【字句謹解】◯ 花園はなぞの天皇が御自身をおおせられたもの ◯惟ふに 深く考慮するのに ◯謬れりとなす さきせつ誤謬ごびょうであると知る。以下それの反駁文はんばくぶんとなつてゐる ◯洪鐘 巨鐘きょしょうのこと ◯九乳 かねをつきならす棒 ◯明鏡 光り輝く鏡 ◯影を含む 萬物ばんぶつの姿をその內面にぞうしてゐる。影とは姿の意である ◯萬象 世の中にある一切の物 ◯臨まずとも そのそばによつてえいぜないとしても ◯事跡 表面にあらはれた結果 ◯物理 物の本性ほんせいの理 ◯炳然 明らかなこと。この文でへば洪鐘こうしょうひびきたくわへ、明鏡めいきょうが影を含むのはあきらかで、その物の本性ほんせいの理にるとのことである ◯孟軻 孟子もうしのこと ◯帝辛を以て夫となし しゅう武王ぶおういん紂王ちゅうおうを征伐した事實じじつたいして孟子もうし紂王ちゅうおうといふ一平民へいみんつことはあるが、きみしいしたのではないと主張してゐること。孟子もうしはここで放伐ほうばつ思想を是認ぜにんしてゐるので、花園天皇はこの語を利用して帝王の資格をたもうた。この孟子もうしの一部分は我が國體こくたいに合せず、のち論戰ろんせんの中心となつたがここでは天皇がこれを信ぜられたのではなく、利用して、方便としてかれたと考へるのが正しいであらう。〔註一〕參照さんしょう ◯帝辛 いん紂王ちゅうおうのこと ◯夫となし 一る。一とは一平民へいみんの意 ◯武發 しゅう武王ぶおうのこと ◯誅を待たざる 孟子もうし武王ぶおうの逆臣である理由を認めなかつたこと ◯神器を保たんと欲す 天皇の地位にきたいと願ふ。とは三種神器しゅのしんきのこと ◯累卵 卵を積み重ねる義で危險きけんの形容、「累卵之るいらんの☐」と原文にあつて一字不明、多分、☐は ◯頽嵓 くづれかかつたいわお ◯朽縈の深淵の上に御す 深い谷の上にくちはてた手綱を取つて馬で歩む ◯脩短 短かいこと ◯中古 大體だいたい武家政治の開始された前後を指す ◯兵革連綿 戰爭せんそうえずあちこちに起る ◯熟察 十分考へる ◯前代の興廢する所以 過去に皇威こういさかんになつたり衰へたりした理由 ◯龜鑑遠からず 實例じつれいは何も手にとどかない程遠い場所にあるのではない。國史こくしの中古以來いらいを調査すればよく判明するとの意で、は吉凶をうらなふもの、かんは物をてらすもの ◯照然 明らかな形容 ◯眼にある者 少しまなこを大きくすればたちまえいずるもの ◯時澆漓に及び 時世はすえとなる。道德どうとくがすつかり世におこなはれなくなること ◯智萬物に周く 萬物ばんぶつに達する程洞察力どうさつりょくつよい ◯才夷險を經る 順境・逆境をあじわひつくして世の實際じっさいによく通じた才能を持つてゐる ◯悖亂の俗 世はみだれ、人々は道德どうとくを忘れたこんな悲しい時に住む人々の意 ◯御せんや 統治することが出來で きようか、出來ない。

〔註一〕帝辛を以て夫となし 『孟子もうし』の梁惠王りょうのけいおうにはこの部分が次の如くに見える。「せい宣王せんおうひてはく、とうけつはなち、武王ぶおうちゅうつと。これありや。孟子もうしこたへてはく、でんおいれありと。はく、しんきみしいすること、ならんかと。はく、じんそこなものこれぞくひ、そこなものこれざんふ。殘賊ざんぞくの人は、これを一ふ。一ちゅうちゅうすることを聞く、いまきみしいすることを聞かざるなりと」我がくにで吉田松陰しょういんかつ孟子もうしを論じ、このてんが我が國體こくたいと一致しないのを指摘し、いてゐる。「とう放伐ほうばつの事は前賢ぜんけんの論そなはれり。しかれどもこころみに見る所をちんぜん。およ漢土かんどりゅう皇天こうてん下民かみんくだして、これ君師くんしなければおさまらず、ゆえに必ず億兆おくちょううちえらびてこれを命ず。ぎょうしゅんとうの如きの人なり。ゆえひとしょくかなはず、億兆おくちょうおさむることあたはざれば、てんまた必ずこれはいす。けつちゅう幽厲ゆうれいの如きの人なり。ゆえに天の命ずる所をもって天のはいする所をつ。何ぞ放伐ほうばつうたがはんや。本邦ほんぽうすなわしからず、天日てんじつなが天壤てんじょう無窮むきゅうなる者にして、この大八洲おおやしま天日あまつひひらきたまへる所にして、日嗣ひつぎながく守りたまへる者なり。ゆえ億兆おくちょうの人、よろしく日嗣ひつぎ休戚きゅうせきを同じくして他念たねんあるべからず。征夷せいい大將軍たいしょうぐんたぐいは、天命てんめいの命ずる所にして、しょくかなふ者のみこれることをゆえ征夷せいいをして足利あしかが氏の曠職こうしょくの如くならしめば、ただちにこれはいするもなり。漢土かんど君師くんしはなは相類あいるいす」云々。

【大意謹述】が考へるのに前說ぜんせつはなは誤謬ごびょうだと思ふ。次にその理由を說明せつめいしよう。一たい、巨大なかねはそれ自身の內部に大音響をたくわへてゐるので、打ち鳴らす棒で叩いて見なくとも、誰もその巨鐘きょしょうは音をはっしないなどといふ者はゐない。同樣どうよう光輝こうきある鏡は自己の內部に諸物しょぶつの姿を映し出す能力があり、外部からあらゆる物を一々近寄せて試みなくとも、誰がこの鏡は何物もえいじないなどといはう。實際じっさいの表面にあらはれる經過けいかを一々調査しなくともその物が有する物としての性質を考へれば、これは明らかなのである。孟子もうし紂王ちゅうおう仁義じんぎそむいた、帝位ていいを占めるにあたいしない人物とて、一しょうし、それを討つた武王ぶおう謀叛むほんで論ずるようがないといてゐる。これは全く紂王ちゅうおうにその資格がなかつたので、帝王としての價値か ちを認めなかつたからに相違ない。今、とくうすい身でありながら、皇位こういかうとするならば、どうして當然とうぜんの地位にき得ようか。道理がそれを許さないし、つ前の二例の反對はんたいとなるのだ。その時、我が皇統こうとうは卵を積み合ねたやうに、又は崩れかけたいわおの下を通るやうに、この上もなく危險きけんで、つ深い谷の上をくちた手綱で渡るやうに、一歩誤れば取り返しのつかないことになつてしまふ。りに一歩をゆずつて考へて見よう。成程なるほど我がくにには家柄いえがらの人々が皇位こういうかがふ例はなかつた。今後もないとしても、皇位にある方々の年限が短いのは、全く右のてんに原因を求めなければ、何處ど こにあるのであらう。それのみではない、我國わがくに武家政治の開始された前後から、えず戰爭せんそうつづき、皇室の大御威おおみいずは日と共に衰へてしまつてゐる。これは悲しい事實じじつではないか。ゆえに皇太子においては、特に注意して、過去の皇室が盛大になつた理由、衰へた原因を深く觀察かんさつしなければならない。その例は何も遠方に求めるようはない。國史こくしかえりみれば一目瞭然りょうぜんとするのである。更に現在は世のすえで人々は人間として守るべき道德どうとくをすつかり忘れてゐる。この時にあたつて、すべての物に通達する知識の所有者であり、順逆じゅんぎゃく兩境りょうきょうて世の事實じじつに就いての經驗けいけん豐富ほうふな者でなければ、如何ど うして道を知らぬ人々の上に立つて、無事に彼等を統御とうぎょ出來で きるであらうか。決して通常の敎養きょうようた程度でこれが望めるものではない。