1-1 太子を誡むるの書 花園天皇(第九十五代)

太子を誡むるの書(第一段)(元德二年二月 伏見宮御記錄)

余聞、天生蒸民、樹之君司牧、所以利人物也。下民之暗愚、導之以仁義、凡俗之無知、馭之以政術。苟無其才、則不可處其位。人臣之一官失之、猶謂之亂天下。鬼瞰無遁。何況君子之大寶乎。不可不愼、不可不懼者歟。而太子長於宮人之手、未知民之急。常衣綺羅服飾、無思織紡之勞役。鎭飽稻梁之珍膳、未辨稼穡之艱難。於國曾無尺寸之功、於民豈有毫釐之惠乎。只以謂先皇之餘烈、猥欲期萬機之重任。無德而謬託王侯之上、無功而苟莅庶民之間。豈不自慙乎。又其詩書禮樂、御俗之道、四術之內、何以得之。請太子自省焉。

【謹譯】く、てん蒸民じょうみんしょうじ、れがきみてて司牧しぼくせしむ。人物じんぶつする所以ゆえんなり。下民かみん暗愚あんぐなる、これみちびくに仁義じんぎもってし、凡俗ぼんぞく無知む ちなる、これぎょするに政術せいじゅつもってす。いやしくもさいなくんば、すなわくらいるべからず。人臣じんしん一官いっかんこれうしなふも、これ天下てんかみだすとふ。鬼瞰きかんのがるるなし。なんいわんや君子くんし大寶たいほうをや。つつしまざるべからず、おそれざるべからず。しかして太子たいし宮人きゅうじんちょうじ、いまたみきゅうらず。つね綺羅き ら服飾ふくしょくけ、織紡しょくぼう勞役ろうえきおもふことなし。つね稻梁とうりょう珍膳ちんぜんいて、いま稼穡かしょく艱難かんなんわきまへず。くにいてかつ尺寸せきすんこうなし、たみいてあに毫釐ごうりんめぐみあらんや。先皇せんこう餘烈よれつおもふをもって、みだり萬機ばんき重任じゅうにんせんとほっす。とくなくしてあやまつて王侯おうこうの上にたくし、こうなくしてかりそめにも庶民しょみんあいだのぞむ。あにみずかぢざらんや。また詩書ししょ禮樂れいがくぞくぎょするのみち、四じゅつうち、何をもってかこれん。太子たいし自省じせいせよ。

【字句謹解】◯天蒸民を生じ 天が多くの民を生ずる事。この句は『詩經しきょう』の大雅たいが由來ゆらいする。蒸民じょうみんは多くの民の義で烝民じょうみんとも書く、庶民の事 ◯司牧 統治と同意 ◯人物を利する 人と物とを利するの義で、『詩經しきょう』に「天烝民じょうみんを生じ、物あればのりあり」とあるのを受け、天が一方に於いて庶民を生ずると同時に、そのきみとして支配する者をも生ぜしめたのは、人があれば、その關係かんけいもとに法則・人道が生ずるのが當然とうぜんだから、とくを以て民を統治する者を生ぜしめて、庶民や萬物ばんぶつのためを計つたのだといふ意になる ◯下民 しもに居て統治される人々 ◯暗愚 事に暗くを知らないこと ◯仁義 じんとは主として同情心をいひ、とは是非の區別くべつをいふ。が、ここでは道德どうとく總稱そうしょうとしてこの字を使用した。仁と義とは古來こらい樣々さまざませつがあり、人間の守らなければならない道德の中心として多く論議されたからであらう ◯凡俗 何も取柄とりえのない人々 ◯馭する 制御すること ◯政術 政治のじゅつ ◯人臣の一官之を失ふも 才のない人が相當そうとうの地位を占める意で、一かんは何れを問はず一つの地位、これを失ふは正當せいとうの人物がそれを占めないこと ◯天下を亂す 天下がみだれる原因となる ◯鬼瞰 鬼神きじんわざわいのこと、死者の靈魂れいこん盈滿えいまんにくむので、富貴ふうきの家をうかがつて災難をくだす意。ここでは才のない人が高位こういを占めると、當然とうぜん天下のみだれる原因となるので、何等かの意味での災難がふりかかるに相違ないことをいつたのである ◯君子の大寶 皇位こういのこと。君子くんしとは位にある者のしょう ◯懼れざるべからず 天命をおそれなくてはならない ◯太子 皇太子量仁かずひと親王おおせられたので、この御方おかたは後に北朝ほくちょう光嚴院こうごういんとなられた ◯宮人の手に長じ 幼少の時から宮廷で世の苦勞くろうも知らずに成長あらせられたこと ◯民の急 一般國民こくみんの最も求めてゐるもの ◯綺羅服飾を衣け 美しい衣や立派な飾り物を身にまとつて ◯織紡の勞役 民が衣類を織つたりつむいだりして仕立したて上げるまでの苦勞くろう ◯稻梁の珍膳に飽いて 立派な御馳走を常に口にしてゐるので、珍らしいものも、別に有難いとも思はなくなつてしまつたこと ◯稼穡の艱難 農夫が五こくを育ててから收穫しゅうかくするまでの言語にぜっした苦心 ◯尺寸の功 ほんの僅かの功績もない。これは前文の「常に綺羅服飾きらふくしょくけて」「つね稻梁とうりょう珍膳ちんぜんいて」を受けた言葉 ◯毫釐の惠 きはめてすくな恩惠おんけい、これは前文の「織紡しょくぼう勞役ろうえきを思ふことなし」「稼穡かしょく艱難かんなんわきまへず」を受けた言葉 ◯先皇の餘烈 前時代の賢主けんしゅの後世にのこした功績 ◯猥に いたずらにの意 ◯萬機の重任 すべての國政こくせいを取扱ふ重要な職、つまり帝王の事 ◯徳なくして 帝王の唯一根本の條件じょうけんであるとくのないこと ◯王侯の上に託し 諸王や諸侯の上位に臨む ◯苟に 無謀にも ◯庶民の間に莅む 國民こくみん一般に帝位としての地位を認めさせる ◯詩書禮樂俗を御するの道 帝王の資格として定められた詩書ししょ禮樂れいがくによる國民こくみんを支配する方法 ◯四術 詩書ししょ禮樂れいがくの四つの道をいふので、先王せんのうとうとんだこの四じゅつを、どうしてることが出來で きようかとおおせられたものである。四じゅつは共に國民こくみんを支配する方法を記してある文獻ぶんけんで、詩書ししょ禮樂れいがくをいふ ◯自省 自身の反省を求めること。

〔注意〕本宸翰ほんしんかん花園はなぞの天皇が皇太子量仁かずひと親王敎誡きょうかいせられたもので、後花園ごはなぞの天皇の「春宮はるのみやおくらせたまへる御文みふみ」と共に雙璧そうへきしょうせられてゐる。のち謹解きんかいするやうに、後花園ごはなぞの天皇宸翰しんかん和文で書かれ、主として國文こくぶん方面の御敎養ごきょうようあらはしをらるるに反し、本宸翰ほんしんかん漢文かんぶんで書かれ、儒敎じゅきょう精神せいしんに徹すべきよし敎誡きょうかいされてはゐるが、御父君おんちちぎみとしての溫情おんじょう發露はつろに至つては全然後者と同じで、深く皇太子にかんして御配慮あられた樣子ようすをまざまざとはいたてまつるのである。なほ、花園はなぞの天皇御宸翰ごしんかんとしては、これ以外に

(一)大德寺だいとくじたまへる宸翰しんかん(元弘三年八月二十四日、大德寺文書―後醍醐天皇との說もある)

(二)大德寺妙超みょうちょうに賜へる宸翰建武四年、大德寺文書)

(三)御處分狀ごしょぶんじょう(康永元年、伏見宮御記錄)

(四)長福寺ちょうふくじに賜へる宸翰(貞和二年十二月二十五日、長福寺文書)

(五)妙心寺みょうしんじ慧玄えげんに賜へる宸翰(貞和三年、妙心寺文書)

(六)妙心寺慧玄に賜へる宸翰(貞和三年、王鳳院文書)

などがある。

【大意謹述】天が庶民をこの世に生ずると、當然とうぜん人事關係かんけいの諸規律が立たなくてはならぬ。その目的のため帝王を庶民中から選んで支配させるのだとちんかつて聞いた。帝王の立つことにつて、人々もその他の諸物しょぶつも便利をるに相違ないのだつた。事に暗く、に通じない下層の人々にたいして同情心と正義の精神せいしんを中心としてこれを善に導き何事にかんする知識も持ち合はせてゐない平凡な人々をば、諸種の政治方針のもとに支配し、平和を保つのが帝王の任務であり使命である。しそれだけの才能がなかつたならば、帝王としての地位にとどまることは不可能だ。とくのない者が相當そうとうな地位を占めてすら、天下がみだれる原因となると昔からつたへられ、必ず何等かの災難が至るものと信ぜられてゐる。帝位に不德ふとくな人物が居たならば、如何い かに天下がみだれるか、災難に出逢ふかは言ふまでもあるまい。ゆえに帝位にある者、將來しょうらい帝位をむ者は、平常からすべてにわたつて態度をつつしまなければならず、天命をおそれ、わずかの事もあやまらないやうに心がけなければいけない。

 現に皇太子の地位にある量仁かずひと親王は、幼時から宮廷から一歩も外へ出ず、いまだに國民こくみんが何を最も求めてゐるかを知らない、日常美しい衣類や飾り物を身にまとつて、それを出來で きあがらせるまでに民が如何い かに苦しむかを知らず、何時い つでも美味を備へた膳に向ひ、この上もない珍らしい⻝物を口にするので、農夫が種蒔たねまきから收穫しゅうかくに至るまでの言語にぜっする勞苦ろうくを考へたこともない。つまり一口でいへば、皇太子は我が國家こっかに少しの功績もなく、國民こくみんたいしてわずかの仁政じんせいを行つた經驗けいけんも持ち合はせてゐない。ただ先祖せんぞ功勞こうろうのあとをいだといふだけで、國政こくせいを左右する重大な帝王の地位に臨まうとしてゐる。これは身にとくがないにもかかわらず諸王・諸侯の上位を保ち、何の功がないにもかかわらず、國民こくみん一般の上に臨むのだといつても言ひすぎではない。どうしてみずかぢないでゐられようか、又、昔から人民を支配する道として詩書ししょ禮樂れいがくの四じゅつといふことがいはれてゐる。皇太子はこの四じゅつの一つでもをどんな方法で得ようとされてゐるのか。ちんは太子自身の反省せん事を切望する。