折にふれて
あたらしき年の始めに仇の城開きにけりと傳へ來にけり。
【字句謹解】◯あたらしき年の始め 新年の始めのこと。新年とは明治三十八年の新春の意である ◯仇の城 旅順の城の義 ◯開きにけり 開城した。旅順の開城は誰でも知る通り明治三十八年一月一日で、奉天戰、日本海海戰と共に日露戰爭中最大の激戰の一つであつたと傳へられてゐる ◯傳へ來にけり 報告して來た。
【大意謹述】新年の春のたよりと共に、敵軍の城が陷落したとの報告があつた。いかにも、陽氣な春にふさはしいことだ。
【備考】本御製は、通常、
あたらしき年のたよりに仇の城ひらきにけりときくぞ嬉しき
と傳へられてゐる御作で、明治三十八年一月二日に旅順開城の報を聞し召された時詠ぜられ給うたのである。「きくぞ嬉しき」とあるのが『明治・大正・今上三帝聖德錄』によると「傳へ來にけり」の誤傳である理由は、天皇はこの報に接せられても、例の通りの沈著な御態度で、別段に喜色を示されなかつたと側近の人々が語つてゐる。當時、旅順開城後も未だ戰を繼續してゐる場合であるから、至尊の御身として、御內心はともかく、御喜悅の色を表面に現されなかつたのは、天皇の偉大な御人格を示すに外ならない。單に御製そのものとしても、「傳へ來にけり」と事實をありのままに詠じ給うて、そこに餘情を殘された方が、遙かに價値の多いやうに拜する事が出來る。(元參議次長長岡外史氏談)
御製は事實その儘を詠まれたのであるが、春の氣分を鮮かに示現されてゐる。氣が改つて、陽氣な感じのする新しい春に、目出度い戰勝の報が齎されたのは、いかにも、春に一段の光彩を加へる如く、而も御製に於てそれがすらすらと流暢に述べられてゐて、快いリズムがそこから流れてゐる。