7 蜻蛉 雄略天皇(第二十一代)

蜻蛉

美延斯怒能、袁牟漏賀多氣爾、志斯布須登、多禮曾意富麻幣爾、麻袁須、夜須美斯志、和賀淤富岐美能、斯志麻都登、阿具良爾伊麻志、斯漏多閇能、蘇弖岐蘇那布、多古牟良爾、阿牟加岐都岐、曾能阿牟袁、阿岐豆波夜具比、加久能碁登、那爾淤波牟登、蘇良美都、夜麻登能久爾袁、阿岐豆志麻登布。

【謹譯】み吉野えしぬの、小牟お む ろたけに、猪鹿し しふすと、たれぞ、大前おおまえもうす、安見やすみしし、大君おおぎみの、猪鹿し しつと、呉牀あぐらいまし、白服しろたえの、そでそなふ、こむらに、あむき、そのあむを、蜻蛉あきつはやひ、かくのごと、はむと、虛空そ らつ、やまとくにを、蜻蛉島あきつしまとふ。

【字句謹解】◯み吉野の 大和國やまとのくに吉野郡よしのごおりのこと ◯小牟漏が岳に 國栖莊くずのしょう小村おむらの上方にある山といはれてゐる ◯猪鹿ふすと 「しし」とは野猪のじしのことではなく、鹿類などの一般を指す。「ふす」はかくれてゐる ◯誰ぞ大前に奏す 誰が天皇に申し上げたのであらうとの意 ◯安見しし 天下の平定される意で「大君おおぎみ」にかかるもの ◯呉牀に坐し とこの上にあぐらをかいてゐられること ◯白服の 白色はくしょく御衣みころもをいふ ◯袖著具ふ 袖につける白色はくしょく御衣みころもをつけられてゐた ◯手腓に 腕の意 ◯虻掻き著き あぶ天皇御腕おんかいなをさす意 ◯蜻蛉はや咋ひ 蜻蛉とんぼが早速とんでて、虻をひ殺してしまつた ◯かくのごと このやうに ◯名に負はむと やまとくに蜻蛉島あきつしまと昔から呼ばれた、その名に背くまいとの義で、この名譽めいよを知つてゐたからこそ、蜻蛉とんぼが助けたてまつつたのだとおおせられた ◯虛空見つ やまとの枕言葉。この意味は定說ていせつがない ◯蜻蛉島とふ 蜻蛉島あきつしまとよんだ。〔註一〕參照さんしょう

〔註一〕蜻蛉島とふ 蜻蛉島あきつしま秋津島あきつしまで、この國號こくごう由來ゆらい本御製ほんぎょせいはいする如く雄略ゆうりゃく天皇御代み よにあるのではなく、『神武紀じんむき』にある如く、神武じんむ天皇おおせによることは誰も知るところである。ここでは天皇蜻蛉とんぼこうでてかくおおせられたと見るべきであらう。なほ、『書紀』の御製ぎょせいとは小異同しょういどうがあるから、兩者りょうしゃを次に示さう。

(一)『古事記』の記事

 すなわち、阿岐豆野あ き つ ぬいでまして、御獵みかりせす時に、天皇すめらみこ御呉牀みあぐらしけるに、あむ御腕みただむきひけるを、蜻蛉あきつて、そのあむひて、飛びさりにき。ここ御歌みうたみしたまへる。その御歌みうた、云々。(以下右に奉揭せる歌がある)

(二)『雄略四年紀』の記事

 秋八月はづき辛卯朔かのとうのついたち戊申つちのえさる吉野宮よしののみや行幸みゆきす。庚戌かのえいぬ河上かわかみ小野お ぬいでます。虞人かりひとめいぜてけものはしらしめ、みずかむとおおしてちたまふ。あむく飛びきたりて、天皇すめらみこただむき𠾱ふ。ここおい蜻蛉あきつ忽然たちまちに飛びきたりて、あむひてぬ。天皇すめらみことこころることをよろこびたまひて、群臣ぐんしんみことのりしてのたまわく、ため蜻蛉あきつ歌賦うたよみせよ。群臣ぐんしんあえなし。天皇すめらみこすなわくちづからうたはしてのたまわく、

  やまとの、小村おむろたけに、ししすと、たれの事、大前おおまえに申す。大君おおぎみは、其處そ こを聞かして、玉纏たままきの、胡床あぐらに立たし、倭文纏しずまき胡床あぐらに立たし、しし待つと、せば、さい待つと、が立たせば、手腓たくふらに、あむきつ、あむを、蜻蛉あきつはやひ、昆蟲はうむしも、大君おおぎみつかえまつらふ、かたは置かむ、秋津島あきつしまやまと

 りて蜻蛉あきつめて、の地を名づけて蜻蛉野あきつぬとなす。

【大意謹述】大和國やまとのくに吉野郡よしのごおりにある小牟こ む ろたけ獸類じゅうるい多數たすうかくれてりますと、誰かが奏上そうじょうした。つて天下平定に心する自分は、早速その場所を聞き合はせ狩獵しゅりょうした。今、胡床こしょうの上にあぐらして出て猪鹿し しを待つてゐると、その白い袖著そでぎおおつたかいなあぶが刺した。すると、何處ど こからともなく蜻蛉とんぼが飛んでて、かのあぶを早速ひ殺してしまつたのである。昔からやまと蜻蛉島あきつしまといひつたへるのは、この蜻蛉あきつの出現を豫想よそうしたからであらう。じつ蜻蛉あきつはその名に背かず、立派なこうげた。さても秋津洲あきつしまい名だ。

【備考】以上、地名の由來ゆらいするところをあきらかにされてゐる。秋津洲あきつしまは、元來がんらい、大和の一地方の名稱めいしょうだつたが、のちには日本全體ぜんたい名稱めいしょうとせられるやうになつた。したがつて、ここおおせられてゐる蜻蛉島あきつしまとは、少しく、意味をことにし、むし瑞穗國みずほのくにに深い交渉を持つ意味を含むものであらうと思ふ。吉田東伍とうご氏の『地名辭書じしょ』の中に秋津洲あきつしまについて、「もと、夜麻登や ま と葛城かつらぎむろの地にこの名あり。孝安帝こうあんていの皇居以來いらい秋津洲あきつしま夜麻登や ま としょうあり。のち遂に總國號そうこくごうにも呼ばるる事となる」と記述し、『書紀しょき通釋つうしゃく』には大和の地名が大日本おおやまと秋津洲とよあきつしまの名と混じたとしてゐる。