78 金鵄勳章創設ノ詔勅 明治天皇(第百二十二代)

金鵄きんし勳章くんしょう創設そうせつ詔勅しょうちょく(明治二十三年二月 官報

【謹譯】ちんおもんミルニ、神武じんむ天皇てんのう皇業こうぎょう恢弘かいこうシ、繼承けいしょうシテちんおよヘリ。いまはるカニ登極とうきょく紀元きげんさんスレハ、二千五百五十ねんたっセリ。ちんこのさいシ、天皇てんのう戡定かんてい故事こ じちょうシ、金鵄きんし勳章くんしょう創設そうせつシ、將來しょうらい武功ぶこう拔群ばつぐんもの授與じゅよシ、なが天皇てんのう威烈いれつさかんニシ、もっその忠勇ちゅうゆう奬勵しょうれいセントス。なんじ衆庶しゅうしょ此旨このむねたいセヨ。

【字句謹解】◯皇業 建國けんこくこう(積慶・重暉・養正)にもとづく所の天業てんぎょう ◯恢弘 おおいにひろめる ◯繼承 受けぐ ◯登極紀元 神武じんむ天皇皇位こういのぼられて以來いらいの年代 ◯戡定 大和地方を平定された事〔註一〕參照さんしょう ◯金鵄勳章 陸海りくかい軍人の武功ぶこう拔群ばつぐんのものに授けられる。こう一級から七級迄ある〔註二〕參照 ◯創設 はじめて設ける ◯武功拔群 陸海軍の上で、目ざましい手柄てがらをたてること ◯授與 さずあたへる ◯威烈 はげしい威光いこう ◯光ニシ 輝かす ◯衆庶 一般國民こくみん

〔註一〕戡定 『日本にほん書紀しょき』に「十有二月し わ す巳朔みのついたち丙申ひのえさる皇師こうしつい長髓彥ながすねひこつて、しきりたたかへども取勝つことあたはず。時に忽然たちまちに天陰ひ しけて雨冰ひさめふる。すなわ金色こがねいろ靈鵄あやしきとびりて、きたりて、皇弓みゆみはずとまれり。とび光曄煜てりかがやきて、かたちいなびかりごとし。これりて、長髓彥ながすねひこ軍卒いくさびとどもみな迷眩まどいまきてきわめたたかはず。長髓ながすねむらもとなり。つてまたもっひとす。皇軍こうぐん鵄瑞とびのみずるにおよびて、ときひとりて鵄邑とびむらなづく。いま鳥見と みふは、なまれるなり」云々うんぬんとある。金鵄きんし勳章くんしょうは以上の靈瑞れいずいにちなんで、作製さくせいせられたのである。

〔註二〕金鵄勳章 これについて、明治二十七年十月二日、勅令ちょくれい第百七十三ごうを以て金鵄きんし勳章くんしょう年金令ねんきんれい發布はっぷせられた。その要點ようてんの如くである。

(第一條)金鵄きんし勳章くんしょうたまふ者には、功級こうきゅうおうじ、終身しゅうしん年金ねんきん加賜か しす。

(第二條)金鵄勳章年金の定額は左の如し。

     こう一級 九百えん 功二級 六百五十圓 功三級 四百圓

     功四級 二百十圓 功五級 百四十圓 功六級 九十圓

     功七級 六十五圓

(第三條)本令ほんれいの年金受領者死亡したるときはすなわち一年間、遺族にその年金をたまふ。(下略)

【大意謹述】思ふに、皇祖こうそ神武じんむ天皇おおい皇道こうどうひろめられて以來いらい列聖れっせいあいぎ、以てちんの時代に及んでゐる。今、振返つて、昔にさかのぼり、神武じんむ天皇卽位そくいされた以來いらいの年代をさんすると、二千五百五十年に達してゐる。朕はこの機會きかいに臨み、そぞろに、神武じんむ天皇が大和地方を平定せられた當時とうじ功績こうせきを想ひ起さないではをられぬ。こと長髓彥ながすねひこちゅうせらるるとき、金色こんじき靈鵄れいし何處ど こからともなく飛びきたつて、皇軍こうぐんを助けた傳說でんせつがある。朕は天皇勝利を得られたことに至心ししん、共鳴する。よつて左樣そ うした目出たい故事こ じにちなみ、金鵄きんし勳章くんしょうを作り、將來しょうらい、陸海軍のうち武功ぶこう拔群ばつぐんなものにこれを授け、永く皇威こういさかんにし、以て一般軍人の忠勇ちゅうゆう奬勵しょうれいしようと思ふ。なんじらは、よくこの旨を心にめいずべきである。