66 故大久保利通に右大臣正二位を贈るの勅語 明治天皇(第百二十二代)

大久保おおくぼ利通としみち右大臣うだいじんしょうおくるの勅語ちょくご(明治十一年五月 三條實美公年譜)

忠純許國、策鴻圖乎復古。公誠奉君、賛丕績于維新。剛毅不撓、外樹殊勳、英明善斷、內奏偉効。洵是股肱之良實、爲柱石之臣。茲聞溘亡、曷勝痛悼。仍贈右大臣正二位、幷賜金幣五千圓。宣。

【謹譯】忠純ちゅうじゅんくにゆるし、鴻圖こうと復古ふっこさくす。公誠こうせいきみほうじ、丕績ひせき維新いしんたすく。剛毅ごうきたゆまずして、そと殊勳しゅくんて、英明えいめい善斷ぜんだんうち偉効いこうそうす。まことこれ股肱ここう良實りょうじつ柱石ちゅうせきしんたり。ここ溘亡こうぼうく、なん痛悼つうとうへん。よっ右大臣うだいじんしょうおくり、ならび金幣きんぺい五千えんたまふ。せんす。

【字句謹解】◯忠純 一につくす忠義ちゅうぎ ◯鴻圖 大きいはかりごとすなわ皇政こうせい振興しんこうするの計畫けいかく ◯復古 いにしえの如き天皇御親政ごしんせいの時代 ◯公誠 公事こうじにつくすについて、眞心まごころを傾ける ◯丕績 大きい政治上の仕事、勳業くんぎょう ◯維新 明治維新のこと ◯剛毅 物事に屈せずして、率直なこと ◯殊勳 著しい手柄てがら ◯英明善斷 聰明そうめいで、英氣えいきに富み、だんずべくしてく大事をだんじ、政治上の方向をあやまらない ◯偉效 大きい效果こうか ◯良實 良臣りょうしんに同じ ◯溘亡 急にこうずること〔註一〕參照さんしょう

〔註一〕大久保利通薨去 利通としみちは、木戸き ど孝允こういんの如く、たたみの上で死なないで、暗殺のやくつたのである。その心友しんゆう大西郷だいさいごう悲壯ひそうな死を城山しろやまで遂げた翌年、この世を去り、かくて維新三けつは、ひとしく地下の人となつた。大久保の履歷りれきについては『軍事外交篇』に述べてあるから、ここにその晚年ばんねんについて一げんする。大久保の奇禍き かは主として征韓論せいかんろん反對はんたいして、壯士そうしらの憎にくむところとなつたによるが、一つは、政府の中心となつて、權勢けんせいさかんだつたのにもよるところが少くない。暗殺の主謀者、島田しまだろう斬奸狀ざんかんじょうのうちには、大久保の缺點けってんげて、

(一)公議こうぎ杜絕とぜつし、民權みんけん抑壓よくあつし、政事せいじわたくしする、其罪そのつみ一なり。

(二)法令漫施まんし請託せいたく公行こうこうほしいまま威福いふくる、其罪そのつみ二なり。

(三)不急ふきゅうの土木をおこし、無用の裝飾そうしょくを事とし、以て國財こくざい徒費と ひする、其罪そのつみ三なり。

(四)慷慨こうがい忠節ちゅうせつ疎斥そせきし、憂國ゆうこく敵愾てきがい嫌疑けんぎし、以て內亂ないらん釀生じょうせいする、其罪そのつみ四なり。

(五)外國がいこく交際の道をあやまり、以て國權こっけん失墜しっついする、其罪そのつみ五なり。

つてゐる。勿論もちろん、以上の罪狀ざいじょうは、必ずしもあたつてをるとへぬにしても、大久保に相當そうとう手落ちがあり、周到の用意をき、矛盾したところがあつたことは、征韓論せいかんろん破裂以後の言動によつても分明ぶんめいする。けれども島田一郞らのふところには、相當そうとう誤解もあつて、げん、苛酷にすぎてゐる。

 島田と事を共にしようとしたものは、二十名にのぼり、そのうち、直接暗殺のことに關係かんけいしたのは、長連豪おされんごうその他四名だつた。それは明治十一年五月十四日のことで、その日、大久保は、馬車でかすみせきの自邸を出て赤坂あかさか御門ごもんの前にで、壬生み ぶ邸の横へたとき、共同便所の中から、四人の壯士そうしあらはれ、大刀た ちふりかざしてづ馬の前脚まえあしを斬り、進んで車中の大久保に迫つた。この時には、更に二名の壯士そうしが加はつたのである。大久保は、車上、官廳かんちょうの文書を見てゐたが、白刄はくじんひらめかした六人の壯漢そうかんが追付くと、「待てッ」と叱り付けた。が、壯士そうしの一人は、それに屈せず、眉間から眼のあたりへかけて深く切り付けた。そのめに大久保が「あッ」と叫んで倒れると、六人のものが大久保を包圍ほういして短刀で、その最後の呼吸い きとどめたのである。かうして大久保は、國事こくじのために、悲壯ひそうな犠牲となつた。今日、淸水谷しみずだにに立つてゐる「ぞう右大臣大久保公哀悼あいとう」は當時とうじの悲劇を無言のうちに、永く記念してゐる。

【大意謹述】一に忠義をくにに致し、皇政こうせい復古ふっこ偉業いぎょうを熱心に翼賛よくさんしたけいは、明治の政府において、誠心せいしんを以て奉仕し、政治上の重要な仕事―維新の諸計畫けいかく實現じつげんするやう、十分に盡力じんりょくした。かくしてけいは、剛毅ごうき氣象きしょうを維持して、萬難ばんなんうても決してたゆまず、外交上においても、目ざましい功績をて、更に內政上では、むづかしい局面に臨んで、だんずべきをだんじ、行ふべきを行ひ、大きい功果こうかを示した。まことけいちん股肱ここうにひとしい良臣りょうしん國家こっかの柱となりいしずえともなる人物だ。ところが今、そのにわかに世を去れるを聞き、いたましく思ふ。よっここに右大臣しょう二位をおくり、あわせて金幣きんぺい五千えんたまふことをけいに告げる。