50 工部省雇英人「カアゲル」ニ下シ給ヘル勅語 明治天皇(第百二十二代)

工部省こうぶしょう英人えいじん「カアゲル」ニくだたまヘル勅語ちょくご(明治四年十月五日)

【謹譯】なんじ鐵道てつどうおよ造幣ぞうへい事務じ む辨理べんりシ、すでせきいたスニおよヘリ、ちんふかこれミス。しかシテ鐵道てつどうごとキハくに開端かいたんニシテ、築造ちくぞう精粗せいそ後來こうらい聲譽せいよ關渉かんしょうス、よろし勉勵べんれいシテこうおわランコトヲのぞム。

【字句謹解】◯工部省 明治政府が新たに設けた省の一つの名。工業・勸工かんこう鐵道てつどう鑛山こうざん・土木・燈明臺とうみょうだい・造船・電信・製鐵せいてつなどにかんする行政事務をつかさどらしめるため明治三年うるう十月設立、明治十八年十二月の官政改革によつてはいせられた。職員にはきょう大少輔だいしょうふ大少丞だいしょうじょう大錄だいろく權大錄ごんだいろく中錄ちゅうろく權中錄ごんちゅうろく少錄しょうろく權少錄ごんしょうろくを置いた ◯カアゲル W.W.Cargileのこと。履歷りれきは〔註一〕參照さんしょう ◯造幣 流通の貨幣紙幣をつくる ◯辨理 處理しょりと同じ、べん區別くべつする意 ◯績ヲ效ス 功績をあげる ◯我カ國ノ開端 我が國に於いて最初の事業 ◯築造ノ精粗 鐵道てつどうかんする建造物が精巧せいこうであるか粗雜そざつであるかの意 ◯後來ノ聲譽ニ關渉ス 將來しょうらい名譽めいよ關係かんけいを持つ。すべて最初の場合に例をとるからかくおおせられたのである ◯其ノ功ヲ畢ランコトヲ望ム 無事にこの事業を完成せん事を希望する。

〔註一〕カアゲル 初めはイギリスの東洋銀行の社員しゃいんであつたが、我が委囑いしょくによつて鐵道てつどう事務に關係かんけいした。一度本國ほんごくの銀行から歸國きこくを命ぜられたので、明治四年に工部省こうぶしょうから銀行に交渉し、その承諾を得て、翌明治五年から五ヶ年の任期で我が國にへいせられ、鐵道てつどう事務官となつた。明治五年に東京横濱よこはま間の鐵道てつどう開通に際し、馬車一りょう馬二頭を獻上けんじょうして金二千五百りょう下賜か しされ、開通式當日とうじつには恩賞おんしょうとして物品をたまはつた。同十年に京都で拜謁はいえつ仰付おおせつけられ、同年四月解傭かいように際しては賞與しょうよがあつた。更に同十六年には在職中のこうを賞せられて、くん三等にじょせられて旭日きょくじつ中綬章ちゅうじゅしょう贈與ぞうよされた。

〔注意〕明治年間に於いて他國人たこくじんに下された主要な勅語ちょくごを次に列擧れっきょする。

(一)外國がいこく條約じょうやくに自今天皇しょうを用ふることを海外かいがい諸國しょこくに告ぐるの勅語ちょくご明治元年正月十日、法規分類大全)

(二)文部省やとい和蘭オランダ「ボオドイン」に下し給へる勅語(明治三年十月十五日)

(三)開拓使かいたくしやとい米人べいじんケプロン」に下し給へる勅語(明治四年八月二日、太政官日誌)

(四)文部省やとい獨逸人ドイツじん「ミユルラ」及び「ホフマン」に下し給へる勅語(明治四年十月五日)

(五)文部省やとい獨逸人ドイツじん「ホルツ」に下し給へる勅語(明治四年十月五日)

(六)文部省やとい米國べいこくじん「フルベツキ」に下し給へる勅語(明治四年十月五日)

(七)工部省こうぶしょうやとい英人えいじん「カアゲル」に下し給へる勅語(明治四年十月五日)

(八)工部省やとい英國えいこくじん「ブラレトン」に下し給へる勅語(明治四年十月五日)

(九)工部省やとい佛人ふつじん「ウエルニイ」及び「チボジイ」に下し給へる勅語(明治四年十月五日)

(一〇)横須賀造船所に臨幸りんこうの際、同所やとい佛國人ふつこくじん「ウエルニイ」等に下し給へる勅語(明治四年十一月二十二日、太政官日誌)

(一一)外務省やとい米國人「イペシヤインスミツ」に下し給へる勅語(明治四年十二月一日)

(一二)東京、横濱よこはま間の鐵道てつどう開業式に臨幸りんこうせられし時、各國かっこく公使こうしに下し給へる勅語(明治五年九月十二日、太政官日誌)

(一三)右同時横濱よこはま在留の外商に下し給へる勅語(明治五年九月十二日、太政官日誌)

(一四)陸軍敎師きょうし首長しゅちょう「マルクリイ」に下し給へる勅語(明治五年九月二十日、陸軍省日誌)

(一五)陸軍敎師きょうし「ジユルダン」に下し給へる勅語(明治五年九月二十日、陸軍省日誌)

(一六)陸軍敎師きょうし「マルクリイ」に下し給へる勅語(明治五年九月二十日、陸軍省日誌)

(一七)陸軍敎師きょうし首長しゅちょう「ミユニヱイ」に下し給へる勅語(明治七年七月十三日、陸軍省日誌)

(一八)敎師きょうし「ビヱイヤアル」に下し給へる勅語(明治七年七月十三日)

(一九)司法省やとい佛國人「ボアソナアド」に下し給へる勅語(明治七年八月五日)

(二〇)臺灣たいわん辨務使べんむし支那人しなじん仙得ぜんどるに下し給へる勅語(明治七年十一月十五日)

(二一)佛國人「ボアソナアド」に下し給へる勅語(明治七年十一月十五日)

(二二)米人「ゼネラル・ホイレン・ケプロン」に下し給へる勅語(明治八年三月二十八日、開拓使日誌)

(二三)大藏省おおくらしょう顧問米國人「ジヨオジ・ビイ・ウヰリアムス」に下し給へる勅語(明治八年十月十五日)

(二四)佛國人「ボアソナアド」に下し給へる勅語(明治九年四月六日)

(二五)支那人しなじん仙得ぜんどるに下し給へる勅語(明治九年四月六日)

(二六)紙幣寮しへいりょうやとい「トオマス・アンチセル」に下し給へる勅語(明治九年四月)

(二七)西京さいきょう神戸こうべ鐵道てつどう開業式に臨幸りんこう工部省こうぶしょうやとい外國人がいこくじんに下し給へる勅語(明治十年二月五日)

(二八)同じ時居留いりゅう外國人がいこくじんに下し給へる勅語(明治十年二月五日)

(二九)元老院げんろういんやとい米人「ヴエルベツキ」及び佛人「ジブスケ」に下し給へる勅語(明治十年七月九日)

(三〇)駒場こまば農學校のうがっこう開校式の際、外國がいこく敎師きょうし「ドクトル・ジヨン・アダム・マツクブライト」に下し給へる勅語(明治十一年一月二十四日)

(三一)佛國人「ミユニエイ」に下し給へる勅語(明治十三年五月五日)

(三二)「シヤルベエ」以下四名に下し給へる勅語(明治十三年五月五日)

(三三)米國艦隊來航らいこうに付き司令官「スペリイ」に下し給へる勅語(明治四十一年十月二十日)

【大意謹述】なんじカアゲル、鐵道てつどうの建設及び貨紙幣かしへい鑄製造ちゅうせいぞうかんする事務を處理しょりして、げんに功績をげてゐる。ちんは深くそれを滿足まんぞくに思ふ。しかし鐵道てつどうの事業は我國わがくにで最初に行はれるのであるから、その建造物が精巧せいこうであるか粗雜そざつであるかは、直接將來しょうらい名譽めいよに大きい關係かんけいを有するものである。ゆえに今後は益々ますます擔任たんにん方面に努力し、無事に任務を完成せんことを切望する。