48 大友帝に諡を奉るの宣命 明治天皇(第百二十二代)

大友帝おおともおくりなたてまつるの宣命せんみょう(明治三年七月二十三日 太政官日誌)

掛卷近江大津宮御座坐志志天皇大靈大前、正二位行大納言藤原朝臣實則使白給波久。新代伊加志御代萬機改正給利氐、大靈大前敬尊比氐、今年七月今日此日御諡弘文天皇、御幣帛捧奉白給波久止、恐美母

【謹譯】かけくもかしこ後近江のちのおうみ大津宮おおつのみや御座おわしましし天皇すめら大靈おおみたま大前おおまえに、しょうこう大納言だいなごん藤原朝臣ふじわらのあそん實則さねのり使つかいとしてもうしたまはく。新代あたらしきみよのいかし御代み よ萬機ばんき改正あらためただしたまうときあたりて、大靈おおみたま大前おおまえはるかやまいとうとたまひて、今年ことし七月ふづき今日こんにち此日このひ御諡おんおくりな弘文こうぶん天皇てんのうたてまつり、御幣帛みてぐらささたてまつことよしもうたまはくと、かしこかしこみももうす。

【字句謹解】◯掛卷くも 口にかけていふさへも ◯近江大津宮 弘文こうぶん天皇遺蹟いせき天智てんじ弘文こうぶん天皇大津おおつに都を置かれた。三でらの西方、長等ながら山前やまさきには、弘文こうぶん天皇御陵ごりょうがある〔註一〕參照さんしょう ◯大靈 神靈しんれいの意 ◯いかし御代 盛んなる御世み よ ◯萬機 天下の政治。

〔註一〕弘文天皇 天智てんじ天皇長子ちょうしで、はじめ伊賀い が皇子おうじつた。天智てんじ天皇のあとをいで卽位そくいせられたが、叔父君おじぎみ天智天皇の同母弟)大海人おおあまびと(後の天武天皇)と合はず。不和のため、たたかふに至つたが、敗北して、山前やまさきほうぜられた。『日本にほん政記せいき』には「てい文藝ぶんげい多く、すこぶこれを以て人におごる。人、くをねがはず。藤原ふじわら鎌足かまたりは、そのしゅうとなり、屢々しばしば以てげんす、あらためず。ついおよぶ」と記してゐる。「ついおよぶ」とは失敗した意味である。當時とうじは、天皇大友おおともしょうせられたが、本勅ほんちょくによつて、弘文こうぶん天皇諡號しごうおくられた。

〔注意〕本勅ほんちょくと同時に、淳仁じゅんにん仲恭ちゅうきょう天皇にも、同樣どうようのことが行はれた。淳仁じゅんにん天皇は、淡路あわじ廢帝はいていのことで稱德しょうとく孝謙こうけん天皇のために、はいせられ、諡號しごうがなかつた。よってこの時、淳仁じゅんにんおくりなしたのである。また仲恭ちゅうきょう天皇は、九じょう廢帝はいていのことで、北條氏ほうじょうしほろぼさうとされため事敗れてはいせられたが、明治三年仲恭ちゅうきょうおくりなしたのである。

【大意謹述】つつしんで、近江おうみ大津宮おおつのみやにまします天皇御神靈ごしんれい御前みまえに、しょう二位こう大納言藤原朝臣ふじわらのあそん實則さねのり使つかいとしてもうし上げる。王政おうせい復古ふっこの今日、萬事ばんじ面目めんもくを一新し、天下の政治を改め正す盛運せいうんの世にあたり、御神靈ごしんれいたいし、はるかに尊敬の意を捧げる。よって今年七月二十三日、御諡おんおくりな弘文こうぶん天皇しょうし、幣帛みてぐらを捧げて、このむねを告げまゐらせる。