44 三條實美ヲ修史總裁ニ任シ給ヘル詔 明治天皇(第百二十二代)

三條實美さんじょうさねとみ修史しゅうし總裁そうさいにんたまヘルみことのり(明治二年四月 太政官日誌)

【謹譯】修史しゅうし萬世ばんせい不朽ふきゅう大典たいてん祖宗そそう盛擧せいきょナルニ、三代實錄だいじつろく以後い ごたえつづクナキハ、大闕點だいけってんあらスヤ。いま鎌倉かまくら以降いこう武門ぶもん專權せんけんへい革除かくじょシ、政務せいむ振興しんこうセリ。ゆえ史局しきょくひらキ、祖宗そそう芳躅ほうちょくキ、おおい文敎ぶんきょう天下てんかほどこサントほっシ、總裁そうさいしょくにんス。すべからすみやか君臣くんしん名分めいぶんよしみただシ、華夷か い內外ないがいべんあきらかニシ、もっ天下てんか綱常こうじょう扶植ふしょくセヨ。

【字句謹解】◯修史 歷史れきし編纂へんさんすること。〔註一〕參照さんしょう ◯大典 大いなる文章儀禮ぎれい ◯盛擧 聖代せいだいを表示するさかんな事業 ◯三代實錄 六國史りくこくしの一つ。菅原すがわら道眞みちざねせん天安てんあん二年より仁和にんな三年間の事をしるす ◯闕點 缺點けってんに同じ ◯武門專權 武家政治による武斷ぶだん專制せんせい ◯革除 あらため除く ◯史局 歷史れきし編纂へんさんする役所 ◯芳躅 かんばしいあと ◯君臣名分ノ誼 大義たいぎ名分めいぶんに同じ、きみしんとの間におごそかな區別くべつがあり、しん全心ぜんしんきみに捧げることを以て第一義とするの理 ◯華夷內外ノ辨 は文明、野蠻やばんうちは日本、そと外國がいこく支那人しなじん自國じこく中華ちゅうか又は華夏か かしょうして誇り、他國たこく夷狄いてきと呼んだ。ただしこの場合は、日本が中華ちゅうかであり、世界の中心であることを意味し、その區別くべつをはつきりさせる義。【備考】參照 ◯綱常 人の踏むべき大道たいどう、三こうじょうの略、三こう君臣くんしん父子ふ し・夫婦の道、五じょうは三こう長幼ちょうよう朋友ほうゆうの道を加へしもの ◯扶植 たすけ植ゑる。

〔註一〕修史 右の修史しゅうしかんする仕事が大學だいがく史料しりょう編纂へんさんがかりの起因をした。いで明治五年九月、正院せいいん歷史れきし地誌ち しの二課を置き、國史中こくしじゅう缺本けっぽんを捜索したり、維新いしん以來いらいの事を各府縣ふけんに命じて進達しんだつせしめたりした。また武家・大名についての史料をも蒐集しゅうしゅうするに努め、なりに有意義な仕事をした。かうして明治十年に至り、太政官內に修史局しゅうしきょくを置き、依然いぜん、史料調査をつづけたのである。その間に出來た編纂物として、『明治めいじよう』がのこつてゐる。

【大意謹述】歷史れきし著述の事業は、永久に朽ちない盛んな仕事であり、御先祖ごせんぞにおかせられて、大義たいぎあきらかにし、聖代せいだいとくを示す快擧かいきょとして行はれてた。ところが、菅原すがわら道眞みちざね撰修せんしゅうに成る『三代實錄だいじつろく』が出て以來いらい、一こう修史しゅうしくわだてがないのは、大きい缺點けってんとせねばならぬ。今やちん鎌倉時代から引續ひきつづいて行はれた武家專制せんせい政治につきまと弊害へいがいのすべてを除き去り、面目めんもくを一新して政務を振興しんこうした。この時にあたつて修史局しゅうしきょくを設け、祖宗そそう以來の盛典せいてんおおいに天下に敎化きょうか事業をひろめたいと思ふ。つてなんじ修史しゅうし總裁そうさいに任命する。汝はこの仕事にせい出して、君臣くんしん大義たいぎあきらかにして、名分めいぶんみだれを去り、日本を主とし、外國がいこくじゅうとすべき所以ゆえんの理を何人なんびとにも知らしめ、三こうじょうの道をたすけ植ゑるやう心せよ。

【備考】國史こくし撰修せんしゅうするについて、最も必要なのは、日本精神せいしんである。すなわ道義どうぎ建國けんこく精神せいしんを基本とし、君臣くんしん大義たいぎを重んじ、只管ひたすらくん萬民ばんみんの政治をほうじてゆく純心を以て、國史にたいし、またこれ解釋かいしゃくしなければならぬ。ところが江戸時代の歷史れきし中には、『大日本史』『日本外史』などを除くと、幕府の覇政はせいを讃美する心で書かれた歷史があり、支那し な崇拜すうはいまなこで執筆した史書ししょがある。中井竹山ちくざんの『逸史いっし』は江戸幕府びたやうなところがあり、官學かんがくたる林家りんけの『本朝通鑑ほんちょうつがん』は太伯たいはく支那の聖人)を以て、皇室のだとする如き、支那的見解にとらはれてゐる。かういふ風に推移して、大義たいぎ名分めいぶん精神せいしんが薄らぎ、日本中心に何事も考へねばならぬのに、支那中心(現代では西洋中心)に物事を考へ、國史の眞精神しんせいしん沒却ぼっきゃくしてしまつた。明治天皇が、新たに修史局しゅうしきょくを設けられ、三じょう實美さねとみ總裁そうさいとせられたのは、つまり、「純日本精神せいしんで書いた日本歷史を作らねばならぬ」といふ敎訓きょうくん垂示すいじされたのである。本詔ほんしょうはいするものは、現代に於ける西洋崇拜すうはい的な考へを以て書いた日本歷史の誤りを一切除き、日本中心に日本本位に書いた純正國史の發揚はつようを心がけねばならぬ。今や正にその時代だ。

 華夷か い內外ないがいべんについて一ごんして置くべき必要がある。江戸時代の學者がくしゃ中、支那し な心醉病しんすいびょう患者の代表者、荻生おぎゅう徂徠そらい(物徂徠)太宰だざい春臺しゅんだいなどは、支那中華ちゅうかとして法外にこれとうとみ、日本を蠻夷ばんいとして只管ひたすら之をいやしみ、また外國たる支那祖國視そこくしし、先進國視せんしんこくしして、內國ないこく內地ないちであり祖國そこくたる日本をひどく輕視けいしした。つまり支那主位しゅいに置き、日本を從位じゅういに置いて、本末ほんまつ顚倒てんとうしたのである。かうした弊害へいがいは、ひとり、徂徠そらい一派に存在したのみならず、ほ同時代に於ける學者がくしゃ中にもあつた。それは丁度ちょうど、明治以來、西洋がくを主とするものが、歐米おうべい中華ちゅうかとしてあおぎ、日本を夷狄視いてきしし、歐米おうべいを主位に置き、日本を從位に置くのと少しもかわらぬ。ここにも、本末ほんまつ顚倒てんとうがある。明治天皇におかせられては、「左樣そ うした不見識ふけんしきをやめよ」と本詔ほんしょうにもおおせられてゐる。ところが昭和の今日、官學者かんがくしゃ流のうちには、ともすると、歐米おうべい心醉しんすい者をいだし、赤化せっか主義者が比較的に多いことは、全く明治天皇御思召おぼしめしに反したことで、ロシヤなどを祖國視そこくしするともがらの如きは、華夷か い內外ないがいべんを全く知らぬ非國民ひこくみん的存在だとはねばならぬ。

 歐米おうべい、または支那し なからそれ自體じたいを見ると、彼等のくに中華ちゅうかであるかも知れぬが、日本の立場から見れば、日本が中華だ、中國ちゅうごくだ。かのドイツのナチスを率ゐるヒツトラアの如きも、日本文化の何ものたるを解しないで、日本の外貌がいぼうの一部のみを見て、日本は歐米おうべい模倣もほうにのみ終始しゅうししてゐるとしてゐるが、それは、あまりにもドイツそれ自身を中華とし、歐米おうべいの地位を世界の中心とする偏見にとらはれた見方だ。かかる偏見者流が出來る一主因は今日の洋がく者流の一派が、あまりにも華夷か い內外ないがいべんまるで知らぬからで、日本それ自身について卑下ひ げするのを根本から改めないめだ。このてんおおいに反省しなければならぬ。日本は文化上、世界の中華だといふ自覺じかくをはつきりと把握してほしい。