41 改元の勅語 明治天皇(第百二十二代)

改元かいげん勅語ちょくご明治元年九月 太政官日誌)

體太乙而登位、膺景命以改元。洵聖代之典型、而萬世之標準也。朕雖否德、幸賴祖宗之靈、祇承鴻緒、躬親萬機之政。乃改元、欲與海內億兆、更始一新。其改慶應四年、爲明治元年。自今以後、革易舊制、一世一元以爲永式。主者施行。

【謹譯】太乙たいいつたいして、しかしてくらいのぼり、景命けいめいけて、もっげんあらたむ。まこと聖代せいだい典型てんけいにして萬世ばんせい標準ひょうじゅんなりちん否德ひとくいえども、さいわひに祖宗そそうれいたより、つつしんで鴻緒こうしょけ、萬機ばんきまつりごとみずからす。すなわげんあらためて、海內かいだい億兆おくちょうとも更始こうししんせんとほっするなり。慶應けいおうねんあらためて明治めいじ元年がんねんす。自今じこん以後い ご舊制きゅうせい改易かいえきし、一せいげんもっ永式えいしきさん。主者つかさどるもの施行しこうせよ。

【字句謹解】◯太乙 たい一に同じ。物事の始め又天帝てんていのをらるる場所を意味する。ここでは萬事ばんじしんの義 ◯景命 大なる天神あまつかみの命令 ◯ 年號ねんごうの事 ◯聖代 天下がく治まり、さかんな時代 ◯典型 おきての事 ◯否德 とくのないこと、謙遜けんそんしておおせられた言葉 ◯祇んで つつしむに同じ ◯鴻緒 帝王の國家こっかを統治する大業たいぎょうてんじて皇位こういの事 ◯萬機 すべての政治の意、萬幾ばんきとも書く。政治が多端たたんなことからかくふ ◯億兆 萬民ばんみんに同じ ◯更始一新 すべてを改め、始めて面目めんもくを一新すること ◯永式 永久に定めた式。

【大意謹述】ちん萬事ばんじしんむねによつて、帝位ていいに登つたについて、ここに偉大な天神あまつかみの御命令をほうじ、年號ねんごうを改める事とした。それはく治まる御代み よおきてであり、萬世ばんせいわたつて守るべき標準である。右によりちんもとよりとくが薄いけれども、皇祖こうそ皇宗こうそう御威靈ごいれいにすがり、つつしんで皇位こういいで、親しく政治を總攬そうらんするの時、ここ年號ねんごうを改める。つて萬民ばんみんと共に、右の意義をたいして、すべてを一新しようと考へ、慶應けいおう四年を改めて、明治元年とする。只今から以後、在來ざいらい、度々、年號ねんごうへた舊制きゅうせいあらため、一せいには一つの年號ねんごうだけを用ゐることとし、これを百年の例とする。當局とうきょくの役人は旨をほうじて、一般に告げ知らすやう取計とりはからへ。

【備考】國史こくしの上では、吉兆きっちょう凶兆きょうちょうなどを原因として古來こらい年號ねんごうを代へることが多かつたが、一せいげんが一番、どの方面から見ても妥當だとうである。元來がんらい、吉兆・凶兆によつて年號ねんごうを改めることは、主として支那し なに行はれたことで日本的ではない。少くとも、そこには支那精神せいしんの混入、適切にいへば老莊ろうそう思想などを中心に、孔孟こうもう流の影響をいんする事をまぬがれない。つ時としてはわづらしい感じをもともなふ。以上の意味で一世一元とすることは、合理的であり、意義が正しい。明治天皇御英斷ごえいだんによつて、ここ永制えいせいとすべきことが實現じつげんせられたのは、一般の喜びであらねばならぬ。

 我國わがくにでは、早く一せいげんを主張した學者がくしゃの一人に藤田ふじた幽谷ゆうこく(東湖の父)がある。れは『建元論けんげんろん』のうちで、一世一元の至當しとうなる旨を力說りきせつし、これに反するものを排擊はいげきして、「後世こうせい妄庸もうようしゅいでこれおこなひ、一せい數元すうげんあり。みだれたりとふべきなり」となんじ、日本のことに及んで「れ我が皇朝こうちょう孝德こうとくよりはじまつて、大化たいかごうを建て、今に至るまで六十有餘世ゆうよせい、一千有餘歲ゆうよさいなり。かん祥瑞しょうずいを以てとしに名づけ災異さいいによつてげんを改むるもの、ほとんど二百をぐ。皇統こうとうりゅうこれ無窮むきゅうつたへ、天地と共に終始しゅうしすれば、すなわち今より以往いおうてい數號すうごうげてすべけんや。かくしょういわく、先王せんのうれきを治め、以て時をあきらかにすと。しかして讖緯家せんいかつて革命・革令かくれいぶんあり。延喜中えんぎちゅうより博士はかせ淸行きよつらしゅとしてせつを唱へ、辛酉しんゆう甲子こうし必ず改元をなす。(中略)めいあらたむるはすなわ湯武とうぶが天にしたがひ、人におうずるの事にして、萬古ばんこしょうくにほどこすべき所にあらず。しかして讖緯せんい妄誕もうたん何ぞ言ふに足らんや」と率直な考へを述べた。れのふところは、適切で、大義名分にもとづき、堂々たる論議を進めてゐる。

 それから一だいげんついて、久米く め邦武くにたけ氏は、「天皇崩御ほうぎょあたり、新天皇踐祚せんそと共に改元することは皇室こうしつ典範てんぱんに於て治定ちていされたことである。何故なにゆえかくの如く年號ねんごうを改むるかといふと、これ支那し なせつよりたもので、支那では天子は天地の主宰者しゅさいしゃで、天子てんしせられるときは、天地のくずれるといふ意味により、崩御ほうぎょしょうする。すなわち天子の崩御ほうぎょせらるる時は、天地の主宰者が代つて、新天地となるから、ここ年號ねんごうを改め、新天子の元年としてかぞふるのである。日本で年號ねんごうの始まりは、孝德こうとく天皇大化たいかで、桓武かんむ天皇延曆えんりゃく以前迄は瑞兆ずいちょうのあるごと改元した。平城へいぜい嵯峨さ が淳和じゅんなの三天子には一代一元、仁明にんみょう天皇は一代再度の改元をされたが、淸和せいわ陽成ようぜいりょう天子に至つて一代一元の制にふくした。その後また曆代れきだい、度々、年號ねんごうを改めたが、明治に至り、一代一元が定制となつたのである」といふ趣旨を述べた。參考迄さんこうまでここ附記ふ きする。

 ほ明治の元號げんごうは、『易經えききょう』の說卦傳せっかでんにある句「聖人せいじん南面なんめんして天下をき、めいむこうておさむ」によられたのである。その意は「人君じんくん南面なんめん(天子の座は南のひなたに向ふ故にかくいふ)して、天下の政治をきこしめし、天業てんぎょうを治めたまふことはいたずら故倒ことうしたがはるるのではなく、南方なんぽうたる文明ぶんめい正大せいだいとくのっとられることにほかならない」とふわけである。