40 卽位の宣命 明治天皇(第百二十二代)

卽位そくい宣命せんみょう明治元年八月二十七日 太政官日誌)

現神大八洲國所知天皇詔旨良萬止勅命親王諸臣百官人等天下公民、衆聞⻝

掛畏平安宮御宇倭根子天皇此天日嗣高御座、掛畏近江大津御宇天皇初賜定賜倍留法隨仕奉仰賜授賜、恐受賜倍留御代御代御定有、方今天下大政古比弖、橿原御宇天皇御創業、大御世彌益益御代固成賜波牟其大御位比弖、進不知退不知佐久止大命、衆聞⻝

天下治賜倍留、良弼治賜止奈牟所聞。爰朕雖淺劣、親王諸臣等相穴奈比扶奉、仰賜授賜倍留⻝國天下仕奉倍志止所念行。是以彌抱正直天皇朝廷衆助仕奉天皇勅命、衆聞⻝宣。

【謹譯】

あきみかみ大八洲おおやしまぐにろしめす天皇すめら詔旨おおみことらまとりたまふ勅命おおみことを、親王み こたち、諸臣おおきみたち、百官もものつかさひとたち、あめした公民おおみたから、もろもろきこしめさへとりたまふ。

けまくもかしこ平安へいあんみやあめしたろしめしし倭根子天皇やまとねこすめらみことりたまふ天日嗣あまつひつぎ高御座たかみくらわざを、けまくもかしこ近江おうみ大津おおつみやあめしたろしめしし天皇すめらみことはじめたまひさだめたまへるのりのまにまにうけたまはりてつかへまつれとおおせたまひさずけたまひ、かしこけたまへる御代み よ御代み よ御定おんさだめあるがうえに、方今ほうこんあめした大政おおまつりいにしえふくしたまひて、橿原かしはらみやあめしたろしめしし天皇すめら御創業みよはじめいにしえもとづき、大御世おおみよをいやますますに御代み よかたしたまはむ大御位おおみくらいかせたまひて、すすむもらに退しりぞくもらにかしこさんとりたまふ大命おおみことを、もろもろきこしめさへとりたまふ。

しかるに、あめしたしろしめたまへるきみたすけて、たいらけくやすらけくおさめたまふものにありとなむきこしめす。ここあれあさおとるといえども、親王み こたち、諸臣おおきみたちのあいあななひたすまつらむことよりて、おおせたまへる⻝國おすくにあめしたまつりごとは、たいらけくやすらけくつかへまつるべしとおもほしめす。ここていよいよ正直しょうじきこころいだきて、天皇すめら朝廷みかどをもろもろたすつかへまつれとりたまふ天皇すめら勅命おおみことを、もろもろきこしめさへとりたまふ。

【字句謹解】◯現つ神 現存げんそんかみの意で天皇を申したてまつる。天皇御身ぎょしんは人間であられるが、完全に神格しんかくをそなへてゐられるからこの語がある ◯知らしめす 統治あそばされる ◯らまと 確かにといふ程の義 ◯平安の宮に天の下知ろしめしし倭根子天皇 京都にあられて日本を統治された天皇のこと、この場合は明治天皇御父君おんちちぎみ孝明こうめい天皇を指したてまつる ◯天日嗣高御座の業 萬世ばんせいけい天位てんいのこと ◯近江の大津の宮に天の下知ろしめしし天皇 天智てんじ天皇御事おんこと ◯定めたまへる法 天智帝ぎょに制定された國法こくほう ◯仕へまつれ 前文「天日嗣あまつひつぎ」以後ここまでが孝明こうめい天皇おおせであるやうにはいする ◯授けたまひ 日本の統治けんさずけられたこと ◯恐み受けたまへる つつしんで御受おうけする ◯方今 現時とか只今といつた義 ◯天の下の大政古に復したまひて 明治維新あたつて長年ながねん武家政治から昔通りの王政時代にかえされたこと、所謂いわゆる王政おうせい復古ふっこ御代み よとなつた意である ◯橿原の宮に天の下知ろしめしし天皇 神武じんむ天皇御事おんこと ◯御創業 最初に天皇御位みくらいに就かれたこと ◯固め成し 基礎にかえつてそれを確實かくじつにする ◯進むも知らに退くも知らに あまりの恐れ多さに御心みこころが迷はされる形容。進んで御受おうけするにはとくが少く、退いて御辭退ごじたいするにはあまりに孝明こうめい天皇御仰おんおおごとが、かしこいといつた意味を含む ◯良き弼 きみ輔佐ほ さする良臣りょうしん ◯相あななひ 相互にたすけ合つて天皇輔佐ほ さする意、あななひはたすけ合ふ意の古語 ◯正直の心 忠義一まがらない心。

〔注意〕明治維新かんする詔勅しょうちょくは、次の如くである。

(一)大神宮だいじんぐう首服しゅふくを告げたてまつるの宣命せんみょう明治元年正月三日、復古記)

(二)外國がいこく條約じょうやく自今じこん天皇しょうを用ふることを各國かっこくに告ぐるの勅語ちょくご明治元年正月十日、法規分類大全)

(三)德川とくがわ幕府親征しんせい勅語明治元年二月二十八日、太政官日誌)

(四)五箇條かじょう御誓文ごせいもん明治元年三月十四日、太政官日誌)

(五)維新いしん勅語明治元年三月十四日、太政官日誌)

(六)救荒きゅうこう勅語明治元年六月二十二日、岩倉公實記)

(七)江戸を東京としょうするの勅語明治元年七月十八日、太政官日誌)

(八)奥羽おううくだたまへる勅語明治元年八月七日、太政官日誌)

(九)改元かいげん勅語明治元年九月八日、太政官日誌)

なほ、明治天皇御卽位ごそくいに就いては、宣命ほんせんみょう以外に伊勢皇大こうたい神宮じんぐう及び畝傍山うねびやま御奉告ごほうこくせられた宣命せんみょうがある。

(一)伊勢皇大こうたい神宮じんぐう卽位そくい奉告ぶこく宣命せんみょう明治元年八月二十一日、岩倉公實記)

(二)畝傍山うねびやま卽位そくい奉告ぶこく宣命明治元年八月二十二日、岩倉公實記)

【大意謹述】現御神あきつみかみとして日本を統治さるる天皇おおせを親王しょしんのう諸臣しょしん官吏かんり一同及び國民こくみんの全てがきこしめされるやうもうし上げる。恐れ多くも京都にましまして日本を御統治あられた孝明こうめい天皇は「この萬世ばんせいけい天皇の地位と責任とを、昔、近江の大津おおつみやで天下を統治あつた天智てんじ天皇が最初に制定された國法こくほうしたがつてぎ、十分の責任を持つやうに」とちんに向つておおせられ、日本の統治けんゆずられた。朕はこの上もなくつつしんでそれを受けはしたが、御代み よ々々み よの一定の方針がある上に、現在は天下の政治が天皇親政しんせいいにしえふくし、大和の橿原かしはらに天下を支配あられた神武じんむ天皇御代み よを手本として、統治する世の中を一そう理想的なよい時代としなければならない。かうした責任ある皇位こういいて進むことも退くことも出來で きない程恐れ多く、緊張してゐる。かくおおせられた御詞みことばを一同の方々もきこしめすやうもうし上げる。

 しかし、天下を支配される御方おかたは、何の缺點けってんもない輔佐ほ さしんを得た時始めて正しくおだやかな政治をほどこし、民心みんしん安堵あんどさせることが出來るとうけたまはつてる。今、ちん才德さいとくあさく劣つてゐるものの、諸親王及び諸臣が相互に協力して朕を輔佐ほ さしてこそ、先帝が御授おさずけになつた日本の政治を、穩和おんわに正しくし、民が安堵して朝廷に奉仕するのであらうと考へる。このゆえに、今後は過去に於いて致したよりも一そうの正直な心をいだき、諸方面から朝廷に奉仕してほしい。かくおおせられる天皇御詞みことばを、一同の方々もきこしめされるやう告げまゐらせる。

【備考】明治天皇卽位そくいせられたのは十六さい御時おんときであつた。それは時代が大動搖だいどうよう頂點ちょうてんに達し、し一歩をあやまると、どんなことになるか、分明わ からぬといふさいであつた。それだけに、深く叡慮えいりょろうたもうた事の多かつたのは、いふ迄もなく、まこと恐懼きょうくへぬところである。しか天皇御聰明ごそうめい御雄志ごゆうしとによつて、この最大難局を切拔きりぬけ得たのは、全日本の幸福こうふくであつた。

 天皇の御幼少時代について(元掌侍、藪喜根子談話)拜聞はいぶんするところによると、御幼少の頃の御生活は極めて嚴格げんかくつ質素にわたらせられ、十分に心身を鍛鍊たんれんせられたのである。それゆえ天皇はある時、侍醫じ いに向はれ、「わしの身體からだは若いときからきたへた身體からだぢや、寒いから、暑いからとつて、避暑ひしょ避寒ひかんするには及ばぬ」とおおせられた。かうした御健おすこやかな身心しんしんを以て時艱じかんあたたまひ、日本國家こっかを正しい方へ導くやう、潑剌はつらつたる御銳氣ごえいきのもとに精勵せいれいなされたのである。それは、恐らく御卽位ごそくい前から、他日たじつ、全日本の運命を雙肩そうけんになはせられるについて、御用意あつたものとつつしんで拜察はいさつしまゐらせる。