39 改元の詔 孝明天皇(第百二十一代)

改元かいげんみことのり嘉永元年二月 孝明天皇紀)

唐堯之臨民也、敬雖授時而未號。漢武之御宇也、初以建元而紀年。是以經天緯地之君、居正承基之主、或發時令而施化、或率舊章而改元。朕以劣質、忝嗣鴻業、敢遵列聖之訓、偏賴良弼之力、以施德義之政、彌致治理之風。宜改舊號、以施新化。其改弘化五年、爲嘉永元年。主者施行。

【謹譯】唐堯とうぎょうたみのぞむや、つつしんで、ときさずくといえどしかいまごうせず。漢武かんぶぎょするや、はじめてもっげんしかねんしるす。れをもっ經天けいてん緯地い ちきみ居正きょせい承基しょうきしゅあるい時令じれいはっしてほどこし、あるい舊章きゅうしょうしたがひてげんあらたむ。ちん劣質れっしつもって、かたじけなくも鴻業こうぎょうぎ、あえ列聖れっせいくんしたがひ、ひとえ良弼りょうひつちからり、もっ德義とくぎまつりごとほどこし、彌々いよいよ治理ち りふういたさんとす。よろしく舊號きゅうごうあらため、もっ新化しんかほどこすべし。弘化こうかねんあらためて、嘉永かえい元年がんねんとなす。主者しゅしゃ施行しこうせよ。

【字句謹解】◯唐堯 支那し な古代の理想的天子として知られてゐる。帝堯ていぎょう陶唐氏とうとうしである。この人と帝舜ていしゅん有虞氏ゆうぐしとを合して、堯舜ぎょうしゅん唐虞とうぐなどといひ、我國わがくに儒書じゅしょにも度々理想化された聖帝せいていとして引用されてゐる ◯民に臨むや 天下の政治を實際じっさいに行ふこと ◯ 萬事ばんじつつしむこと ◯時を授く 萬民ばんみん農時のうじおしへた事 ◯未だ號せず 未だ年號ねんごうを立てない ◯漢武 かん武帝ぶていのこと。〔註一〕參照さんしょう ◯宇を御するや 天下を支配すること、は天下のこと ◯元を建て 年號ねんごうを立てる、武帝ぶていが「建元けんげん」といふ年號ねんごうを初めて立てたので、げんを建てるといへば年號ねんごうを立てる意となる、この時は皇紀こうき五二一年にあたり、我が開化かいか天皇の十八年であつた。〔註二〕參照 ◯年を紀す 年號ねんごうもとに一年二年とねんを加へてかぞへた ◯經天緯地の君 天地の極みまで勢力を致すきみのことで、天下を治める君主 ◯居正承基の主 天子の地位に居て前代を繼承けいしょうするきみの意で、これも天下を治める君主といふこと ◯時令 年中ねんじゅう行事ぎょうじの義、ただここでは瑞祥ずいしょう凶兆きょうちょうとうその時々の事象におうじた布告ふこく ◯化を施し 民に敎化きょうかほどこすこと ◯舊章に從ひ 改元かいげん舊例きゅうれいしたがつて ◯劣質 天子として質の劣つてゐること ◯忝くも鴻業を嗣ぎ 恐れ多くも帝位ていい繼承けいしょうして、こう至大しだいの意 ◯列聖 代々の天皇 ◯良弼の力 忠義に厚い輔佐ほ さ役の輔佐 ◯德義の政 帝王の德化とっかを中心とした正しい政治 ◯治理の風 正しい筋道によつて天下を治めるのふう ◯舊號 ふる年號ねんごうすなわ弘化こうか年號ねんごう ◯新化 新しい敎化きょうか ◯主者 その方面の役人。

〔註一〕漢武 かん武帝ぶてい景帝けいていの後を受けて支那し なを統治した人で、うち文敎ぶんきょうおこし、そとは四方をせいし、おおい國威こくいを輝かした。また內治ないじ方面に於ては始皇帝しこうてい以來いらいはなはだ衰へた學術がくじゅつ再興さいこうし、大學だいがくを置き、五きょう博士はくしを設けた。儒者じゅしゃとしてのとう仲舒ちゅうじょ孔安國こうあんこく文人ぶんじんとしての司馬し ばせん司馬し ば相如しょうじょなどはこの時代の人として有名である。本詔ほんしょうはいする如く、東洋に於ける年號ねんごうの最初の例を開いたのも、このていであつた。外征がいせい方面では一そう武帝ぶていの名を有名としただけに、在位五十年間に、古朝鮮こちょうせんあわせ、西域せいいきと通じ、南越なんえつを討ち、匈奴きょうどひ、おおいに漢族かんぞく勢力擴張かくちょうした。

〔註二〕元を建て 孝明こうめい天皇時代に於いて年號ねんごう嘉永かえい安政あんせい萬延まんえん文久ぶんきゅう元治げんじ慶應けいおう數度すうど改まつたが、勿論もちろん理想としては一せいげんでなければならない。ゆえ明治めいじ天皇に於かせられては一世一元制を今後の基準とさせられたのである。藤田ふじた幽谷ゆうこくの『建元論けんげんろん』には一世一元の主張が明らかに見える。

〔注意〕本詔ほんしょう以外の改元かいげんかんした詔勅しょうちょくを『孝明こうめい天皇てんのうき』中から引用する。

(一)改元かいげんみことのり安政元年十一月)

(二)改元の詔(萬延元年三月)

(三)改元の詔(文久元年二月)

【大意謹述】支那し な古代に於ける理想的な天子の一人である帝堯ていぎょう陶唐氏とうとうし實際じっさいに天下を支配した時には、萬事ばんじつつしみ、人民の生活に必要な農時のうじについておしへた。が、時代の年號ねんごうを立てたといふ話は聞かない。のちかん武帝ぶていが天下を支配するやうになると、始めて年號ねんごうを立て、その下に一年、二年とすうしょうした。爾來じらい、天下を統治する帝王帝位に居て前代を繼承けいしょうする君主は、瑞祥ずいしょう凶兆きょうちょう等の現象におうじて布告ふこくはっし、年號ねんごうを改め、これを以て民を敎化きょうかするところがあつた。また舊例きゅうれいに示さるる條章じょうしょうによつて時々改元かいげんしたのである。ちんとくさいも共に劣つた身でありながら、恐れ多くも皇位こういぎ、出來る限り過去代々の天皇敎訓きょうくんを守り、ただただ忠義に厚い輔佐ほ さたみの力につて、とくを中心とする政治をほどこし、愈々いよいよ筋道の正しく通つたよく治まつてゆく美風びふうを起さうと考へる。ゆえふる年號ねんごうを改めて新しい年號ねんごうの名のに新しい敎化きょうかくべく、萬民ばんみんに臨まなければならない。今年こんねん弘化こうか五年を今囘こんかい嘉永かえい元年としょうすることにした。その方面の役人はただちにこれ傳達でんたつせよ。