38 卽位の宣命 孝明天皇(第百二十一代)

卽位そうい宣命せんみょう(弘化四年九月 孝明天皇紀)

現神大八洲國所知天皇詔旨良萬止勅命親王諸王諸臣百官人等天下公民、衆聞⻝

掛畏平安宮御宇倭根子天皇此天日嗣高座之業、掛畏近江大津御宇天皇初賜定賜倍留法隨仕奉仰賜授賜倍波、恐受賜、進知仁退不知、恐佐久止大命、衆聞⻝

天下治給倍留、良弼治賜止奈牟所聞。朕雖淺劣、親王王臣等相穴奈比扶奉、仰賜扶賜倍留⻝國天下之政令有所念行。是以彌殫忠誠之心天皇朝廷衆助仕奉天皇勅命、衆聞⻝宣。

【謹譯】

現神あきつみかみ大八洲おおやしまぐにろしめす天皇すめら詔旨みことらまとりたまふ勅命おおみことを、親王み こたち、諸王おおきみたち、諸臣お みたち、百官もものつかさひとたち、あめした公民おおみたから、もろもろきこしめさへとりたまふ。

けまくもかしこ平安へいあんみや御宇あめのしたしろしめす倭根子天皇やまとねこすめらみことりたまふ、天日嗣高座あまつひつぎたかみくらわざを、けまくもかしこ近江おうみ大津おおつみや御宇あめのしたしろしめしし天皇すめらみことはじたまさだたまへるのりのまにまにつかまつれと、おおたまさずたまへば、かしこたまはり、すすむもらに退しりぞくもらに、かしこいまさくとりたまふ大命おおみことを、もろもろきこしめさへとりたまふ。

しかるにあめしたおさたまへるきみは、良弼よきたすけたいらけくやすらけくおさたまものりとなむきこしめす。あれあさおとれりといえども、親王み こたちをはじめてきみたちおみたちの相穴あいあななひたすたてまつらむことりて、おおたまたすたまへる⻝國おすくにあめしたまつりごとたいらけくやすらけくらしめむとおもほしめす。れをいよいよ忠誠まことこころつくして、天皇朝廷すめらがみかどをもろもろたすつかまつれとりたまふ天皇すめら勅命おおみことを、もろもろきこしめさへとる。

【字句謹解】◯現神 現世神げんせいしんの意、天皇御事おんことである ◯らまと 確かにと念をおす語 ◯平安の宮に御宇しろしめす倭根子天皇 京都の皇居に於いて天下を統治される當代とうだい天皇の意で、ここでは仁孝にんこう天皇を申したてまつる ◯近江の大津の宮に御宇しろしめしし天皇 天智てんじ天皇御事おんこと ◯進むも知らに退くも知らに あまりに重要な責任を負つて輕々かるがるしく御進退ごしんたい遊ばされない程恐縮される意 ◯良弼 理想的な輔佐ほ さ役、ここでは忠義な臣下しんかを一般にいふので特定な人を指されたのではない ◯淺く劣れり とくあさく才が劣つてゐること、御謙辭けんじである ◯相穴なひ あいは相互が協力すること、あななひはたすけること ◯⻝國 御統治國ごとうちこく日本のことをいふ ◯忠誠の心を殫して 誠心誠意、忠義の心で一貫する意。

【大意謹述】現御神あきつみかみとして日本を統治されてゐる天皇が、確かにおおせられる御詞おことばを、親王しんのう諸王しょおう諸臣しょしん、宮中に奉仕する官吏かんり一般の人々及び國中くにじゅうの者全部もきこしめされるやう告げる。

くちのぼすも恐れ多いことながら、京都の皇居にましまして天下を統治される仁孝にんこう天皇が、「今なんじさずける萬世ばんせいけい皇位こういゆずるからつつしんで近江おうみ大津おおつみやで天下を支配された天智てんじ天皇が創定された國法こくほうしたがつて奉仕するやう」とおおせられ、ちん寶位ほういさずたもうた。朕はあまりの責任の重さに、輕々かるがるしく進退も出來で きず、ただ愼重しんちょうな態度でその任務をはたすことをのみ考へてゐる。かくおおせられる天皇御詞おことばを、一同の方々もきこしめされるやうもうし上げる。

 かえりみるとく天下を治められる君主は、忠義に厚いしんを得た時、始めてその天下を平安に統治出來ると聞いてゐる。ちんとくあさく才能が劣つてはゐるが、親王たちを始めとして、諸王、諸臣たちが相互に協力して朕をたすけるとの豫想よそうもとに、先帝から受けた御敎訓ごきょうくんにより、この日本の政治を平安に致したいと考へる。このゆえに今後は一同の者が一そう忠義一に、政務を輔佐ほ さするやうありたい。かくおおせられる天皇御詞おことばを、方々かたがたに於かせられてもきこしめされるやう申し告げる。

【備考】この詔勅ごしょうちょくはいするにつけ、天皇御卽位ごそくいの時代が、國家こっか多難たなんで、ことに外交難の潮流ちょうりゅう大分だいぶ高まつてゐたことが第一に想はれる。御父君ごふくん仁孝にんこう天皇は、四十五さいで時勢動搖どうようのうちにほうぜられ、孝明こうめい天皇はその後を受けて難局を打開すべき重大な時局に面せられたのである。天皇御英明ごえいめいは、本勅ほんちょくの上にもこれはいすることが出來で きる。かくして日本の新しい時代が實現じつげんせらるるの序幕に入つたのであつた。

 今、當時とうじを振返つて見ると、御卽位ごそくいの前年(弘化二年)には、外患がいかんたいして、國防こくぼう上、浦賀うらがに新砲臺ほうだいを築き、御卽位ごそくいの年には(弘化三年)フランスの船が琉球りゅうきゅうきたり、イギリスの船が、浦賀て、海防かいぼう嚴飭げんちょく勅諭ちょくゆが幕府へ下つてゐる。孝明こうめい天皇はかうした非常時に御年おんとし十六さいで位にかれたのであるから、深い御決心をなされ、御宸翰ごしんかんのうちに「愚昧ぐまい短才たんさいしつながら、血脈けつみゃくたがはざるをもって、かしこかしこくも天日嗣あまつひつぎぐ事、恐縮きょうしゅくすくなからず」とおおせられ、また「精力せいりょくつくし、るべき精勤せいきん神宮じんぐう御始おんはじめ皇祖こうそたいたてまつり、聖跡せいせきがさずくにおさそうろう」とのたまはせられた。天皇は御性質活潑かっぱつであらせられ、御體軀ごたいくも大きく、御精力ごせいりょくすぐれてをられたので、く最大の難局に善處ぜんしょさるることを得たのである。