35 疫癘を禳ふの宣命 一條天皇(第六十六代)

疫癘えきれいはらふの宣命せんみょう(正曆五年四月 本朝世紀

天皇詔旨良萬止、掛畏某太神廣前美毛申賜へと。今年春始與利遠近有疫癘之聞。仍可攘除之由祈禱之誠叡念日重、而去三月以來、外國京洛之間病死之輩道路聞⻝之天、寤寐無聊歎思こと無限、從昔至今萬天仁、未有如此之災厄思⻝こと無二。依此、神祇陰陽等を之天勘申、神事違例せること有、依成祟給へ留奈利と勘申せり。縱雖理運灾、如此厄難をば掛畏太神厚助廣惠天那牟可消攘、而御祟之由勘申せり。仍彌恐所念行天那牟。故是以、吉日良辰擇定、官位姓名差使、禮代御幣令捧持奉出給。掛畏太神此狀聞⻝、如此之災患早攘却給、無事無故護幸給。又月來天變物怪頻以相示。此等變異妖怪等可來加良牟不祥未萌令消却給、安穩泰平護助給比天天皇朝廷、寶位無動常磐堅磐、夜守日守護幸奉給、御體平安天祚長保、萬民無病四海有樂、風雨順節農業如意悅令有へと、恐みも申賜は久止申。

【謹譯】天皇すめら詔旨おおみことらまと、けまくもかしこぼう太神おおみかみひろきみまえに、かしこかしこみももうたまへともうさく。今年ことしはるはじめより遠近おちこち疫癘えきれいきこえあり。よっはらのぞくべきのよし祈禱きとうまこと叡念えいねんおもく、しかる三がつ以來このかた外國そとぐに京洛けいらくあいだ病死びょうしやから道路どうろしげしときこしめして、寤寐ご びなぐさむなくなげおもほすことかぎりなく、むかしよりいまいたるまでに、いまごとくの災厄さいやくあらずとおもほしめすことまたなし。これりて、神祇じんぎ陰陽おんようたちのみちをしてかんがもうすに、神事かみごときて違例いれいせることあり、りてたたりたまへるなりとかんがもうせり。たと理運りうんわざわいいえども、かくごと厄難やくなんをば、けまくもかしこ太神おおみかみあつたすひろめぐみをこうむりてなむ、はらふべし。しか御祟みたたりよしかんがもうせり。よって、いよよかしこかしこみおもほしめてなむ。ここて、吉日きちじつ良辰りょうしんえらさだめて、官位かんい姓名せいめい使つかわして、禮代いやじろ御幣みてぐらささたしめてまついだたまふ。けまくもかしこ太神おおみかみさまたいらけくやすけくきこしめして、かくごときの災患わざわいはらしりぞたまひて、ことなくゆえなくまもさきはへたまへ。また月來げつらい天變てんぺん物怪ぶっかいしきりにもっ相示あいしめす。此等これら變異へんい妖怪ようかいたちにたくして、きたるべからむ不祥ふしょういまきざさざるにしりぞけしめたまひ、安穩あんのん泰平たいへいまもたすたまひて、天皇すめら朝廷みかどを、寶位ほういうごきなく常磐ときわ堅磐かきわ夜守よ も日守ひ もりにまもさきはへまつたまひ、御體ぎょたい平安へいあん天祚てんそ長保ちょうほに、萬民ばんみんやまいなく四かいたのしみあり、風雨ふううせつしたがひ、農業なりわいごとくによろこびあらしめたまへと、かしこかしこみももうたまはくともうす。

【字句謹解】◯らまと 確かにと念を押す語 ◯某太神 本來ほんらいならばこの部分に石淸水いわしみずまん大菩薩だいぼさつとか賀茂か もとかといふ神社じんじゃの名がるべきで、後文の「官位かんい姓名せいめいを差し使つかわして」と共に一種の雛型ひながたとなり、いずれにも通用出來で きるやうになつてゐる ◯遠近に疫癘の聞あり 諸方に惡性あくせいの流行病が起つたと聞く ◯祈禱の誠 誠心せいしんもって、流行病をはらふやうかみいのること ◯叡念 天皇御思慮ごしりょのこと ◯日重く 日一日と叡慮えいりょなやませられる意 ◯外國 この場合は京畿けいき以外の諸國しょこくをいひ、あるいはもつと小規模に京都以外をいふ ◯京洛 京畿けいき地方をいふこともあり京都のみに限る場合もある ◯病死の輩 病氣びょうきのために死に至る人々 ◯道路に繁し 往來おうらいに打ち捨てられた死者病者がすこぶる多い。墓地が一定してゐなかつた當時とうじ下民かみんの間には、勝手に死骸を道路あるいはその附邊ふへんうずめることが事實上じじつじょう行はれたので、時に往來おうらいの人々からその醜態しゅうたいが見えることもあつたのを示し、「道路に」とあるのがたんに形容として使用されたのではなかつた ◯寤寐に聊むなく てもめてもそればかりがになつて心がれない ◯災厄 人間の力で如何いかんとも出來ない災難 ◯慙ぢ思ほしめすこと二なし 不祥事ふしょうじは帝王の不德ふとく由來ゆらいするといふ思想から、天皇惡病あくびょうの流行にあたつて御自身の不德ふとくをこの上もなくたまふことである ◯神祇 神官しんかんの意 ◯陰陽 陰陽道おんようどうによつて各現象を占ふことを專門せんもんにする人々 ◯違例せること 神意しんいほうじないこと ◯理運の灾 當然とうぜん受けるべき災難、わざわいと同じ。神事しんじしたがはなかつたのでかみいかりからこの災難を受けたのではあるが、そのてん御看過ごかんかあつて助けられんことを切望するとかみに申されたのである ◯吉日良辰 星𢌞ほしまわりの良い日 ◯禮代の御幣 御祈おいのりのために納める奉幣ほうへいのこと ◯此の狀を平けく安く聞しめして 今申し上げたことをそのままに誤解なくきこしめされて ◯此の如きの災患 惡病あくびょうの流行を指す ◯事なく故なく 無事平穩へいおんにといふのと同じ ◯護り幸はへ給へ 國家こっかを守護し、國民こくみん幸福こうふくあたへていただきたい ◯月來 このすうヶ月以來いらい ◯天變 天變てんぺん地異ち いのこと ◯物怪 種々しゅじゅの物が不可思議な現象を生ずること ◯頻りに以て相示す 連續れんぞくしてかず多く見せる ◯託して 神々かみがみがそれらの天變てんぺん地異ち い又は妖怪を通して ◯來るべからむ不祥 きたらすであらう災難 ◯未だ萌さざる まだはつきりと目に見える程度にあらはれない以前に ◯安穩泰平 この主語は國家こっかである ◯寶位動きなく 皇位こうい微動びどうもなく ◯常磐堅磐に 前文の「寶位ほうい動きなく」を受けたもので、常磐ときわは永久に變化へんかのない大石たいせき堅磐かきわ久遠くおんに動かない大石おおいしのこと、「動きなく」の形容と考へれば容易に理解出來る ◯夜守り日守りに 晝夜ちゅうや共に守護すること ◯御體平安に 天皇玉體ぎょくたいに何の變化へんかもなく ◯天祚長保に 天からつたへた萬世ばんせいけい皇位こういを永久に動きなく確保する ◯四海樂あり 國中くにじゅうの人々が御代み よ萬歲ばんざいを唱へ何等の不滿ふまんもなく ◯風雨節に順ひ 風や雨が適度に吹いたり降つたりして農事のうじを妨げず、みださないこと ◯意の如くに 豫定よてい通りに收穫しゅうかくること。

〔注意〕に一じょう天皇御代み よ宣命せんみょう列擧れっきょする。これらは『本朝ほんちょう世紀せいき』又は『石淸水いわしみず文書もんじょ』に見えるものであるが、部分的な脫文だつぶん・不明な箇處かしょが多く、完全なものは少い。本詔ほんしょうはそのうちでも完備したものである。

(一)諸社しょしゃ奉幣ほうへい宣命せんみょう(正曆五年三月、本朝世紀

(二)疫癘えきれいはらふの宣命(正曆五年四月、本朝世紀

(三)疫癘えきれいはらふの宣命(正曆五年五月、本朝世紀

(四)丹生に ぶ貴布禰き ぶ ね兩社りょうしゃ祈雨き う宣命(正曆五年六月、本朝世紀

(五)年榖ねんこくいのるの宣命(長保元年二月、本朝世紀

(六)宇佐宮うさのみや奉幣ほうへい宣命(寬弘元年八月、石淸水文書)

【大意謹述】天皇おおせられる御詞みことばを恐れ多い事ながぼう太神おおみかみひろ御前みまえに、つつしんでもうし上げる。今年の春の始めから遠近おちこちの諸地方に惡病あくびょうが流行してゐるので、天皇にはかみいのつてこれをはらのぞかうと、誠心まごころから思召おぼしめされた。しかるに去る三月以後に至つて、病氣びょうきで死去した人々の遺骸いがい畿外きがい畿內きないの間に往來おうらいからもかず多く見えるやうになつたときこしめされて、てもめても御氣お きらせたまふことなく深くこれを限りなく悲しまれ、「昔から今に至るまで、これ程の災難が起つた例は未だない」と、の上もなく御身おんみ德薄とくうすき事をぢさせたまふのであつた。ゆえに宮廷に奉仕する神官しんかん及び陰陽道おんようどうつて事物じぶつを占ふ專門家せんもんかに命じて神意しんいをうかがはしめたところ、「何かかみに奉仕する手續上てつづきじょう昔からの習慣を守らない事があるため、神々かみがみがそれを御怒おいかりになつて惡病あくびょうを流行させたのであります」と判斷はんだんした。如何い か手續てつづき上、違例のために、當然とうぜん受けるべき災難であつても、この種の災厄さいやくは、申すも恐れ多いが太神おおみかみの厚い御助おたすけ、多方面にわた御惠みめぐみを受けることによつて打ち消しはらふことが出來で きると思はれる。が、今かみ御怒みいかりにれて、かくなつた以上、深く恐縮し、身をつつしまなければならないと叡慮えいりょあらせられてゐる。つて最上の星𢌞ほしまわりの日を撰定せんていし、別記の如き地位にあるぼう勅使ちょくしとして、かみ御心みこころなぐさまつるべく、御幣ごへいささげ持たせて神々かみがみ奉納ほうのうされる。恐れ多い事なが大神おおみかみに於かせられては、以上の樣子ようすをそのまま平穩へいおんきこしめされて、人々を害する惡病あくびょうを一刻も早くはらしりぞけられ、無事におだやかなやう國家こっかを守護し、國民こくみん幸福こうふくあたへられんことを深くいのる次第である。

 又、このすうヶ月引きつづいて天變てんぺん地異ち いがあり、種々しゅじゅの物が樣々さまざまに不可思議な樣子ようすを示すことが多い。これらの天變てんぺん地異ち いあるいもののけなどを前兆としてやがて事實じじつとなつてあらはれようとする災難を、かみ御力みちからを以てそれがあらはれない以前にはらひ消ししりぞけられ、天下國家こっかを安くおだやかに助け守りたまひ、皇位こういを永久にへんじない不動の大石たいせきの如く微動だにさせず、日夜共に加護か ごあり、幸福こうふくあたへられたい。又天皇御身おんみに何の異變いへんもなく、無窮むきゅう天位てんいつたへられる程長く保たせたまひ、國民こくみん一般に疾病しっぺいなく、天下に不滿ふまんなく、風雨が適度にあつて農事のうじすべ豫想よそう通りにはこ上下しょうか滿足まんぞくするやうになされんことを、つつしんで御願おねがもうし上げる。

【備考】當時とうじのことについて、『大日本史だいにほんし』には「とし正月、疾疫しつえき鎭西ちんぜいより起りて、天下に瀰漫びまんし、夏より秋に至りてうたさかんに、僵死きょうしみちてり」と記してゐる。一じょう天皇は、この有樣ありさ憂慮ゆうりょあらせられ、特に厚くかみいのられたのである。