27 力士を進むるの勅 嵯峨天皇(第五十二代)

力士りきしすすむるのみことのり(弘仁元年七月 類聚國史)

進膂力人者、常限六月廿日以前。自今以後、隨得則進、莫限期月。又、雖力不超衆、而解相撲者、兼令進之。

【謹譯】膂力りょりょくひとすすむるは、つねに六がつ廿日はつか以前いぜんかぎれり。自今じこん以後い ごるにしたがつてすなわすすめ、期月きげつかぎることなし。またちからしゅうえずといえども、相撲すもうかいするものは、ねてこれすすめしめよ。

【字句謹解】◯膂力の人 膂力りょりょく脊梁骨せきりょうこつのちからの意で、一般に力のしゅうにすぐれた人をいふ ◯進むる者 朝廷に進獻しんけんする者 ◯得るに隨つて則ち進め 發見はっけんする度每たびごとに次々にと進獻しんけんして期日を限らないこと。

【大意謹述】力のすぐぐれた人を朝廷に進獻しんけんする者は、今までは每年まいねん六月二十日以前と限られてゐた。しかし今後は發見はっけんする度に進獻しんけんするを許し、期日を限らないことにする。又、それ程の大力たいりきある者でなくとも、相撲の上手な者は、一緒に朝廷に差し出すやうにしたい。

【備考】當時とうじ、朝廷では、相撲節すもうのせち每年まいねん行はれ、なりに、それが喜ばれた。それで每年まいねん、二三月頃には、部領使ことりつかいを諸國にし、相撲を取るものをされたのである。かうして七月二十六日に內取うちとりがある。それを天皇陛下は、仁壽殿じんじゅでん出御しゅつぎょあつて御覽ごらんなされた。その際、左右の相撲取すもうとり狩衣かりぎぬはかま著用ちゃくようし、禮儀れいぎを正して、技をたたかはした。七月二十八日には召合めしあわせがあつて、天皇當日とうじつ南殿なでん出御しゅつぎょあらせられ御覽ごらんになつた。その際、大將たいしょうから、取組とりくみのプログラムを呈上ていじょうしたのである。本勅ほんちょくはそれに關連かんれんして、はっせられたのであらう。