26 葛野川に度子を置くの勅 桓武天皇(第五十代)

葛野川かどのがわ度子と しくのみことのり(延曆十八年十二月 日本後紀

山城國葛野川近在都下。每有洪水、不得徒渉。大寒之節人馬共凍、來往之徒、公私同苦。宜楓佐比二渡各置度子、以省民苦。

【謹譯】山城國やましろのくに葛野川かどのがわちか都下と かり。洪水こうずいごとに、徒渉としょうするをず。大寒たいかんせつ人馬じんばともこごえ、來往らいおう公私こうしおなじうす。よろしくかつら佐比さ ひかく度子と しき、もったみくるしみをはぶくべし。

【字句謹解】◯徒渉 かちわたる事 ◯大寒の節 非常に寒い時節 ◯來往 つたりたりする ◯公私 官吏かんり土民どみんも ◯楓・佐比 山城國やましろのくに葛野郡かどのごおり葛野川かどのがわ(上流は大井、下流は桂河)にあり。楓渡かつらのわたしは京都七じょうすえあたる場所に存在した。

【大意謹述】山城國やましろのくに葛野川かどのがわは、都下と かに近くあつて、相當そうとう、交通が頻繁だ。ところが、洪水がある度に、誰もそのすさまじい水勢すいせいのため、かち渡りすることが出來で きない。その上、大寒だいかんの時分になると、人も凍え、馬も凍えるほどの有樣ありさで、この川を往來おうらいするものは、公私の區別くべつなく、皆くるしみをひとしくしてゐる。つての者の便宜を計り、かつら佐比さ ひ渡場わたしばには、各自、渡守わたしもりを置き、交通上、便宜を計つて、民のくるしみを除くやう取計とりはからへ。