25 諸國の地圖を錄するの勅 桓武天皇(第五十代)

諸國しょこく地圖ち ずろくするのみことのり(延曆十五年八月 日本後紀

諸國地圖、事迹疎略。加以年序已久、文字闕逸。宜更令作之。夫郡國郷邑、騎馬遠近、名山大川、形體廣狹具錄無漏焉。

【謹譯】諸國しょこく地圖ち ず事迹じせき疎略そりゃくくわふるに年序ねんじょすでひさしきをもって、文字も じ闕逸けついつせり。よろしくさらこれつくらしむべし。郡國ぐんこく郷邑きょうゆう騎馬き ば遠近えんきん名山めいざん大川だいせん形體けいたい廣狹こうきょうつぶさにろくしてもらすなかれ。

【字句謹解】◯事迹 事のあとかた ◯疎略 おろそかに略しすぎる ◯年序 年代に同じ ◯闕逸 かけたり、いっしたりする事 ◯騎馬遠近 馬につて往復する街道や土地の遠近 ◯名山 名高い山 ◯具さに 詳しくといふ意。

【大意謹述】現在の諸國しょこく地圖ち ずは、事蹟じせきについて記すところが、大まかに過ぎ、またあまりに簡略かんりゃくだ。それに大分だいぶ、年代がつてゐる關係かんけい上、文字がけたり、消えうせたりして、わからなくなつた部分もある。それでは、地圖ち ずの用を正確になさぬから、更に改めて、これを作るべきことを命ずる。つて郡國ぐんこく郷邑きょうゆうや、騎馬き ばして來往らいおうする道々の遠近や、名山めいざん大川たいせん及び形體けいたいひろせまさなど、詳しく記入してもらさぬやうにせよ。

【備考】日本で、最初の地圖ち ずを作成したのは、孝德こうとく天皇大化たいか二年八月のことである。當時とうじ諸國しょこくに命じ、國々くにぐに疆域きょういき・境界を調査させ、これしょにし、せしめられた。それから聖武しょうむ天皇の時代に國分寺こくぶんじの創設につれ、天下にれいして、國郡圖こくぐんずたてまつらしめられたことがある。それらの方法は最初、支那し なまなんだのであつたが、奈良時代には相當そうとう進んで、日本獨自どくじかたをするやうになつた。さて桓武かんむ天皇の時、本勅ほんちょくはっせられたのは、地圖ち ずに於ける詳略しょうりゃく疎密そみつを一定し、記載すべき重要な項目を掲示されたのであつて、日本地圖ち ずの一進歩を具體化ぐたいかさうとされた意味があきらかに見える。したがつて、この際、重修じゅうしゅうせられた國郡圖こくぐんずは、相當そうとう緻密ちみつだとすいせられるが、現存げんそんしないのは何より遺憾いかんである。