20-1 藤原永手を弔賻するの宣命 光仁天皇(第四十九代)

藤原永手ふじわらのながて弔賻ちょうふするの宣命せんみょう(第一段)(寶龜二年二月 續日本紀

藤原左大臣詔大命宣。

大命坐詔、大臣明日者參出來仕牟止賜間、休息安麻利弖參出麻須之帝天皇置而罷退聞看而於母富佐久、於與豆禮加母、多波許止乎加母云、信爾之有者、仕奉太政官之政乎波誰任之加母罷伊麻。孰授加母罷伊麻、恨加母加母朕大臣、誰爾加母我語佐氣。孰爾加母我問佐氣牟止、大御泣哭詔大命宣。

加母加母、自今日者大臣之奏政者不聞看。自明日者大臣之仕奉儀者不看行。日月累往麻爾麻爾、悲事乃未之彌可起加母、歲時積往麻爾麻爾、佐夫之乃未之彌可益加母。朕大臣、春秋麗色乎波、誰倶加母見行弄賜。山川淨所者孰倶加母見行阿加良牟止、歎賜憂賜大坐坐詔大命宣。

【謹譯】

藤原ふじわら左大臣ひだりのおおおみりたまふ大命おおみことる。

大命おおみことにませりたまはく、大臣おおおみ明日あ す參出まいでつかへむとたひたまふあいだに、休息安や すまりて參出まいでますことくして、天皇すめらみかどきてまか退ますときこしめしておもほさく、およづれかもたはことをかもふ、まことにしあらばつかへまつりし太政官おおきまつりごとのつかさまつりごとをばたれさしかもまかりいます、たれさずけかもまかりいます、うらめしかも、かなしかも大臣おおおみたれにかもかたらひさけむ。たれにかもひさけむとくやしみあたらしみいたかなしみ、おお御泣み ねかしますとりたまふ大命おおみことる。

くやしかも、あたらしかも、今日きょうよりは大臣おおおみもうししまつりごときこしめさずやなるらむ。明日あ すよりは大臣おおおみつかへまつりしすがたそなはさずやなるらむ。日月ひつきかさなりゆくまにまにかなしきことのみしいよおこるべきかも、歲時としつきつもりゆくまにまにさぶしきことのみしいよよまさるべきかも。大臣おおおみ春秋はるあきうるはしきいろをばたれともにかもそなはしもてあそたまはむ。山川やまかわきよところをばたれともにかもみそなはしあからへたまはむと、なげきたまひうれへたまひおほましますとりたまふ大命おおみことる。

【字句謹解】◯藤原永手 政治家として老練ろうれんな手腕を持ち光仁こうにん天皇擁立ようりつたてまつつた人、時に左大臣しょうであつた。その薨去こうきょしたのは五十八さいの時である。本勅ほんちょく天皇がその死を悼惜とうせきせられ、しょう中納言けん中務卿なかつかさきょう文室眞人大市ふむやのまひとおおち宣命使せんみょうしとして弔意ちょういを表せられたのである ◯弔賻 死をいたんで物をたまふこと ◯藤原の左大臣 勿論もちろん永手ながてのことをおおせられたのである ◯明日は云々 永手ながての病中に天皇思召おぼしめされたのである ◯參出來仕へむ 朝廷にまいつて天機てんき奉伺ほうしすることが出來で きるであらう ◯待たひ 待つと同じ ◯休息安まりて 病氣びょうきが全快して ◯罷り退ます 薨去こうきょすること ◯およづれ 永手ながての死をこしし、天皇が驚かれて事實じじつではなからうと御自身の耳を疑ふ意味。は普通逆言さかごとやくしてゐる ◯たはこと 冗談。永手ながての死を奏上そうじょうする者が冗談をいつたのかと疑はれること ◯信にしあらば 本當ほんとうならば ◯太政官の政 八しょうの事務を総括そうかつする太政官だじょうかん國務こくむのことで、この場合は政務の根本を意味する ◯誰に任さしかも罷りいます 誰にゆずつてこうじたのであらうか ◯孰にかも我が問ひさけむ 國政こくせい大本たいほんを、今後は何人なんびとに問うて決定したらよからうか ◯悔しみ 薨去こうきょおしむ意、主として天皇御自身の意を中心としたもの ◯惜らしみ 同じく薨去こうきょおしむ意、主として、永手ながてを中心とした氣持きもち ◯大御泣哭かします 悲しさに天皇が泣かれること ◯ 態度とか樣子ようすとかいつた意 ◯語らひさけむ 人と語らつて思ひむすぼれる心をなぐさめる ◯春秋の麗はしき色 春の花と秋の紅葉とのこと ◯弄び 自分の心を滿足まんぞくさせる ◯山川の淨き所 きよき淸潔せいけつな意にこの場合は解せられる ◯あからへ 物を見て心をはらすこと。あからめの意である。

【大意謹述】藤原左大臣ふじわらのさだいじん永手ながておおせられる御詞みことばを申し上げる。

 天皇御詞みことばのままにつたへ申す。「左大臣は明日こそは參內さんだいして天機てんき奉伺ほうしすることが出來で きようかと待つてゐたのにやまいが全快して參內さんだいすることもなく、自分をこの世にのこしたままで、一人薨去こうきょした」といふ奏上そうじょうを受けて、「事實じじつでないことを告げたのではないか。それは冗談を申したのであらう。しその死が眞實しんじつだつたとすれば、今まで彼が奉仕してゐた國政こくせいたる太政官だじょうかんの政治を誰にゆずつてこうじたのであらうか。今後は國政こくせいについてちんは誰に相談して決定したらよからうか」と考へる。かく天皇永手ながての死をこの上もなく殘念ざんねん思召おぼしめし、悲しみたまひ、御涙おんなみだが止まらなかつたとおおせられる御詞みことばを申し上げる。

 何といふ殘念ざんねんなことであらう。何といふしいことであらう。もう今日からは左大臣奏上そうじょうする國政こくせいの方針は聞くことが出來なくなつたのであらうか。今後月日をればる程、左大臣を想つて悲しさが益々ますます加はるであらう。歲月としつきればる程、左大臣在世ざいせい時代を追憶してさびしさが益々ますます加はるであらう。ちん左大臣であつた永手ながてよ!春の花、秋の紅葉の綺麗な樣子ようすかわらないが、朕は誰と一緒にこれ觀賞かんしょうし心を滿足まんぞくさせたならよいであらうか。山の美しさ、河のきよさ、それを誰と共にて心をらすことが出來ようか。永手ながての居ないのちのそれらは、少しも朕の心をらせるものではないと考へ、その死を嘆き、心をなやませる、かくおおせられる御詞みことばをここに申し上げる。