18 皇太子を定むるの宣命 稱德天皇(第四十八代)

皇太子こうたいしさだむるの宣命せんみょう(寶龜元年八月 續日本紀

今詔、事卒爾有依、諸臣等議、白壁王諸王年齒奈利。又先帝在故太子、奏流麻爾麻定給布止布止宣。

【謹譯】いまたまはく、こと卒爾にわかにあるにりて、諸臣等おみたちはかりて、白壁王しらかべおう諸王おおきみたちのなか年齒よわいけたるなり。またさきみかど御功おんいさおもあるがゆえ太子ひつぎのみこさだめてもうせば、もうせるまにまさだめたまふとりたまふとる。

【字句謹解】◯事卒爾にある 天皇は皇太子を定められない間に崩御ほうぎょせられようとされたからこの語がある ◯白壁王 天智てんぢ天皇皇孫こうそんで、施基し き皇子おうじの第六子にまします ◯先の帝 天智てんぢ天皇御事おんこと ◯御功 諸制を定められたこと。

〔注意〕寶龜ほうき元年八月四日のみことのりで、藤原永手ふじわらのながて天皇御遺詔ごいしょうを受けて發表はっぴょうしたものであり、『日本紀しょくにほんぎまきの三十にある。

【大意謹述】只今御詔おんみことのりが下つた。皇太子御冊立ごさくりつのことは急を要するので、諸臣しょしん協議の結果、天智帝てんぢてい皇孫こうそんあたられる白壁王しらかべおうは諸王中でも年長者にましまし、天智帝てんぢていが諸制を定められた御功績ごこうせきもあるので、この王を太子に定めたてまつると奏上そうじょうしたところ、そのまま御裁可ごさいかがあつて、右に決定されたとおおせられたよしを告げる。

【備考】稱德しょうとく天皇が太子の冊立さくりつについて考慮を重ねてをらるるとき、皇族中の野心家は、しきりにその地位をねらつたところが、左樣そ うした雰囲氣ふんいき中にあつて有爲ゆういざいを持ちながら、始終しじゅう、酒に親しみ、みずかくらまして、世外せがい超然ちょうぜんとしてゐる老王子ろうおうじがあつた。それが白壁王しらかべおうである。王は天智てんぢ天皇皇子おうじ施基し き親王しんのうの王子で、大納言だいなごんの位にをられ久しく政務に參與さんよした老功ろうこう御方おかたである。當時とうじとし六十二だつた。王の有爲ゆうい才幹さいかんを知り、人物の優れた事を知つたのは、左大臣藤原ふじわら永手ながて、右大臣吉備眞備きびのまびらで、永手ながてはその一門の人々と密議みつぎを進めて、稱德しょうとく天皇御病氣ごびょうき中に皇太子として白壁王しらかべおう冊立さくりつした。やがて天皇崩御ほうぎょと共に、神護じんご景雲けいうん四年十月ついたち大極殿だいごくでん卽位禮そくいれいを行はれ、年號ねんごう寶龜ほうき元年とされたのである。それが光仁こうにん天皇であらせられる。その翌二年、皇后井上內親王いのうえのないしんのうである他戸おさべ親王しんのうを立てて皇太子とされ、各方面に政治上の改革を斷行だんこうせられたので、紀綱きこうおおいに張るに至つた。