9-2 卽位の宣命 聖武天皇(第四十五代)

卽位そくい宣命せんみょう(第二段)(神龜元年二月 續日本紀

可久賜時、美麻斯親王、荷重不堪自加止所念坐而、皇祖母坐志志掛畏我皇天皇授奉。依行而是平城大宮現御神坐而、大八島國所知而、靈龜元年天日嗣高御座之業、⻝國天下之政、朕授賜讓賜而、敎賜詔賜都良久、挂畏淡海大津宮御宇倭根子天皇、萬世不改常典立賜敷賜比志爾、今授賜牟止所念坐間、去年九月、天地貺大瑞物顯來、又四方⻝國年實豐牟倶佐加得在見賜而、隨神所念行、于斯久母皇朕御世當、顯見者不在、今將嗣座御世名記而應來、顯來良志止所念坐而、今神龜二字御世年名、改養老八年爲神龜元年而、天日嗣高御座⻝國天下之業、吾子美麻斯王授賜讓賜天皇大命、頂受賜恐持而、辭啓者天皇大命恐、被賜仕奉者拙劣而無所知。進不知退不知、天地之心重、百官之情辱愧美奈母隨神所念坐。故親王等始而王臣汝等、淸心以、皇朝扶奉而、天下公民奏賜詔命、衆聞⻝宣。

【謹譯】かくたまへるときに、みまし親王み こよわいわかきに、おもきはへじかとおもほしまして、皇祖母おおみおやとましし、けまくもかしこおおぎみ天皇すめらみことさずけまつりき。これによりて、この平城な ら大宮おおみや現御神あきつみかみして大八島おおやしまぐにろしめして、靈龜れいき元年がんねんにこの天日嗣あまつひつぎ高御座たかみくらわざ⻝國おすくにあめしたまつりごとを、あれさずけたまひゆずりたまひておしへたまひりたまひつらく、けまくもかしこ淡海おうみ大津おおつみや御宇あめのしたしろしめしし倭根子やまとねこ天皇すめらみことの、萬世よろずよかわるまじき常典つねののりてたまひきたまへるのりのまにまに、のちついにはに、さだかにむくさかにあやまつことなくさずけたまへとはせたまひりたまひしによりて、いまさずけたまはむとおもほしますに、去年こ ぞ九月ながつき天地あめつちたまへる大瑞おおきしるしものあらはれけり。また四方よ も⻝國おすくに年實と しゆたかにむくさかにたりとたまひて、かんながらもおもほしめすに、うつしくも皇朕すめらあ御世み よあたりてあらはるるものにはあらじ、いまぎまさむ御世み よしるしてこたきたり、あらはれきたものにあるらししとおもほしまして、いま神龜しんき二字ふたもじ御世み よ年名さだめて、養老ようろうねんあらためて神龜しんき元年がんねんとして、天日嗣あまつひつぎ高御座たかみくら⻝國おすくにあめしたわざを、みましみこさずけたまひゆずりたまふとりたまふ天皇すめら大命おおみことを、いただきうけたまはりかしこちていなもうさば天皇すめら大命おおみことかしこみ、けたまはりつかへまつらば、つたなおじなくてれることなし。すすむもしらに退しりぞくもしらに天地あめつちこころいとわしくいかしく、百官もものつかさこころかたじけなはずかしみなもかんながらおもほします。親王み こたちをはじめて、王臣おおきみおみみましたち、きよあかただしきなおこころをもちて、すめらみかどをあななひたすけまつりて、あめした公民おおみたからもうしたまへとりたまふおおみことを、もろもろきこしめさへとる。

【字句謹解】◯かく賜へる時に云々 この部分は元正帝げんしょうていみことのりである ◯親王 聖武しょうむ天皇御事おんこと ◯荷重きは 責任の重いのはの義で、ただちに天子として責任ある地位にかせるのはあまりに年齡ねんれいかすぎるとのこと ◯皇祖母 元明げんめい天皇御事おんこと、これは聖武しょうむ天皇を中心とした書き方である ◯我が皇天皇 やはり元明げんめい天皇御事おんこと、これは元正げんしょう天皇を中心とした書き方である ◯平城の大宮に云々 元明げんめい天皇和銅わどう三年に藤原の宮から平城な らの宮に遷都せんとのあつたことをいつたもの ◯朕に授けたまひ ちんとは元正げんしょう天皇御事おんこと ◯詔りたまひつらく 元明げんめい天皇元正げんしょう天皇おおせられたのである ◯淡海の大津の宮に天の下しろしめしし倭根子天皇 天智てんじ天皇御事おんこと。これ以下「授けたまへ」までは、元正帝げんしょうてい詔中しょうちゅうにある元明げんめいていおおせである ◯我が子 聖武しょうむ天皇御事おんこと ◯さだかにむくさかに さだかは確かに、はつきりとの意、むくさかはめでたく賑々にぎにぎしくといわはれた御詞おことば ◯去年の九月 白龜はっきけんじたことをいふ ◯天地の貺へる大瑞の物 天地の神々かみがみ御代み よしゅくして目出度め で た前兆ぜんちょうたまわつたとの意である ◯年實豐かに 豐作物ほうさくもつがよくみのること ◯むくさか 繁昌はんじょうする形容 ◯うつしくも いちじるしくもで、確かにの意 ◯今嗣ぎまさむ御世の名 皇太子の御代み よ年號ねんごう ◯記して應へ來り 目出度め で たい前兆が皇太子のとくおうじて出て來た ◯頂にうけたまはり 十分に尊敬の意を表してみことのりを聞き守ること、上文の「ゆずりたまふ」までは元正げんしょう帝か聖武しょうむ帝におおせられたもので、この句以下が聖武しょうむ帝のみことのりになつてゐる文脈である ◯辭び啓さば天皇が大命恐み するにはあまりに大命おおみことが恐れ多くて、たてまつることが出來ない ◯拙く劣く 自身のとく天皇として似つかはしくない程低くおとつてゐること ◯進むもしらに退くもしらに 進んで皇位こうい繼承けいしょうすることも出來ず、といつて退いてすこともかなはないと、はなはだ恐縮して進退に迷ふ御心みこころを示されたのである ◯天地の心も勞しく重しく 天地の神々かみがみ御心みこころに合ふために努力される御心みこころを示されたもので、いとわしは不愍ふびんに思ふこと ◯あななひ 扶助ふじょする ◯天の下の公民を奏したまへ 天下萬民ばんみんの事についてまつりごとを行ふ意。

【大意謹述】文武もんむ天皇なんじにこのくにの統治をまかさうとあそばされた時、なんじ親王しんのうあまりに年少で、この大任たいにんを負ふことが出來で きぬであらうと思召おぼしめされ、皇祖母こうそぼあたる、御先代ごせんだい元明げんめい天皇皇位こういゆずられた。元明げんめい天皇文武もんむ天皇から御位みくらいを受けがれ、和銅わどう三年に藤原の宮からこの平城な らの宮に遷都せんとあり、現人神あらひとがみとして日本を統治あられ、靈龜れいき元年に至つて、この萬世ばんせいけい天皇の地位にゐて天下を支配する政治をちんに授け、日本國をゆずられた。その際いろいろと敎戒きょうかいあらせられた。『申すも恐れ多いことであるが、淡海おうみ大津おおつの宮にましまして天下を支配された天智てんじ天皇が、永久に生命あるやう制定された國法こくほうの命ずるままに、なんじのちには自分の子の聖武しょうむ天皇に、確かに皇位こういつたへ、間違なく目出度め で た天位てんいを授けられるやうに』と堅くおおせられた御詞おことばに朕はしたがひまゐらせ、今にもそれをなんじに授けようと考へてゐた。

 しかるに去年の九月にあたり、天地の神々かみがみ御代み よしゅくして目出度め で たい前兆を下された。すなわ白色はくしょくかめ發見はっけんされたのである。加ふるに諸國しょこく豐年ほうねん繁昌はんじょうする樣子ようすを見て、一たいこの種の前兆はちん御代み よしゅくしてあらわはれたのではあるまい。必ずげん皇太子が朕の後をぐ時の年號ねんごう前以まえもって知らされたのであり、つまり皇太子のとくおうじて出現した物であらうと朕は考へ、ここに前兆として發見はっけんされた白龜はっきにちなんで、神龜しんきといふ二字を年號ねんごうと定め、養老ようろう八年を神龜しんき元年として、萬世ばんせいけい皇位こうい、我が日本の統治けんを皇太子たるなんじゆずることにする」と元正げんしょう天皇おおせられた。

 ちんは先帝の大命おおみことを尊重しつ感謝したが、さて考へ直して見ると、辭退じたいするにはあまりに恐れ多いおおせであり、といつて右のむねうけたまわつて皇位こういくに就いては、不德ふとくの朕には重い責任をつくないがする。進んで御受おうけした方がよいか、退いてした方がよいか、天地の神々かみがみが前兆まで下された御心みこころも尊く、朝廷に奉仕する一般官吏かんり氣持きもちたいしても光榮こうえいはずかしさとを共に感ぜざるを得ない。このゆえ親王しんのうたちを始め、諸王しょおう諸臣しょしん及び國民こくみん一同に至るまで、忠義ちゅうぎに厚く、わたくしの心なく、正直に、朝廷の政治をたすけ、萬民ばんみん利益りえきになるやうに政治を行ふのを希望するとおおせられる大命おおみことを、一同の人々もきこしめされるやう申し上げる。