8 諸國の風土記を徵し給へるの制 元明天皇(第四十三代)

諸國しょこく風土記ふ ど きちょうたまへるのせい和銅六年五月 續日本紀

畿內七道諸國郡郷名、著好字。其郡內所生、銀銅彩色、草木禽獸魚蟲等物、具錄色目。及土地沃塉、山川原野名號所由、又古老相傳舊聞異事、載于史籍、言上。

【謹譯】畿內きないどう諸國しょこく郡郷ぐんきょうは、け、郡內ぐんないしょうずるところの、銀銅ぎんどう彩色さいしょく草木そうもく禽獸きんじゅう魚蟲ぎょちゅうなどのものは、つぶさ色目しきもくろくせしむ。およ土地と ち沃塉ようせき山川さんせん原野げんや名號めいごうところまた古老ころう相傳あいつたふるところの舊聞きゅうぶん異事い じは、史籍しせきせて、言上ごんじょうせよ。

【字句謹解】◯畿內 皇都こうと周圍しゅういにある國々くにぐにのことで、大和やまと山城やましろ和泉いずみ攝津せっつ近江おうみなどをいふ ◯七道 東海道とうかいどう東山とうさん道・北陸ほくりく道・山陰さんいん道・山陽さんよう道・南海なんかい道・西海さいかい道のしょうで、皇都こうとを中心として全國に達する幹線路かんせんろとなつてゐる。ゆえ畿內きないどう全國ぜんこくといふ程の意となる ◯好き字を著け 緣起えんぎのよい、又は美しい名稱めいしょうをつける ◯銀銅彩色 銀銅などの鑛物こうぶつ ◯禽獸 鳥類やじゅう類 ◯具に色目を錄せしむ 詳細にその種類を記錄きろくせしめること ◯土地の沃塉 土地が肥えてゐるかせてゐるかの區別くべつ ◯原野 大自然のままのはら ◯名號の由る所 名稱めいしょうの原因 ◯古老 その土地に長く住んでゐて事情の明るい老人 ◯舊聞異事 ふるくからその土地につたはつてゐる物語りや不思議なこと ◯史籍 歷史れきしを記した書物の意で、風土記ふ ど きとして知られるものである。

〔注意〕本詔ほんしょう風土記ふ ど き撰定せんていみことのりとして、國史こくし上有名な、價値か ち多いものである。本詔ほんしょうの下された和銅わどう六年が、古事記こ じ き撰定せんていの翌年であり、朝廷では國史こくし編纂へんさんと同一精神せいしん繼續けいぞく事業として、古老ころう傳說でんせつを記載した地理書を各地方から編輯へんしゅう獻上けんじょうさせることになつた。これが風土記である。しか文字もんじの普及が今日こんにちと比較にならないほどせまく、各國郡こくぐんにそれを自由に取り扱ふ役人の少かつたため、事業は更に困難の度を加へ、本詔ほんしょう後、ただちに奏上そうじょうしたものは少かつた。後に、醍醐だいご天皇延長えんちょう三年十二月十四日の太政だじょう官符かんぷに、風土記を早速勘進かんじんせられるよしが記してあるのからも以上の事情が判明する。風土記現存げんそんしてゐるものは、播磨はりま常陸ひたち出雲いずも肥前ひぜん豐後ぶんごのそれであるが、完成してゐるのは出雲だけで、殘缺ざんけつで、ぞんする部分が多いといふにとどまる。右のうち播磨と常陸だけが和銅わどう時代のものと認められてゐる。

【大意謹述】皇都こうと周圍しゅうい國々くにぐにを始めとして、皇都こうとから諸國しょこくに達する幹線路かんせんろに面した諸國、日本全國のぐんきょうなどに緣起えんぎのよき名稱めいしょうけ、その地方から產出さんしゅつする銀や銅などの鑛物こうぶつ草木そうもく類、鳥獸ちょうじゅう類、ぎょ類、ちゅう類などに至るまで、詳細に種類別にして記錄きろくせよ。つ、土地が肥えてゐるかせてゐるか、山河の樣子ようす廣野こうや有樣ありさなどについての名稱めいしょう由來ゆらい、又はその土地に永く住む老人などが、祖先そせんから口傳くでんされた傳說でんせつや不思議な物語などのすべてを、編年體へんねんたい編纂へんさんして奏上そうじょうせよ。

【備考】風土記ふ ど き編纂へんさん國郡こくぐん制置せいちといふ政治上の必要によるところが多かつた。左樣そ うした事情を生じたのは、日本の進歩によるのである。當時とうじ阿倍御主人あべのみうし石上麻呂いそのかみまろ藤原不比等ふじわらのふひと大伴御行おおとものみゆき中臣意美麻呂なかとみのおみまろは、持統じとう元明げんめいの二女帝じょてい輔佐ほ さたてまつり、遷都せんとを行ひ、律令りつりょうわかち、鑄錢ちゅうせんの事業を進め、國郡こくぐんの組織を整へるなど、各方面に力を致した。風土記左樣そ うした國家こっか進展上、くことの出來ぬものとして編纂へんさんを命ぜられたのである。

 風土記のことについて『前々ぜんぜん太平記たいへいき』には平明へいめいに、その事を記し「そもそも、この風土記六十六かんは、日本國中こくちゅうその國々くにぐに原簿げんぽ・人物の是非・山の姿・川のながれより、草木そうもく生枯せいこ禽獸きんじゅうの多少・田野でんやの作物・民家の土產どさんうみかかへしくにもあり、山をひたる所もあり、とりどり樣々さまざま樣體ようたいを、これまたらさず記したり。こと國名こくめい和訓わくんおこり、これ又大切の事共ことどもなり。これは武帝てんむていぎょ、一旦御沙汰ご さ たありしかど、今の如くに委細いさいになかりき。たとへば山城國やましろのくにといふは東西北とうざいほくの三ぽう山にて、きみ南面なんめんとくほどこせば、山をうしろにするといふ義にて山背やましろくにと書きたれども、安城へいあんじょうを建てられてより、山城やましろくにと改めたり。又その昔は大和國やまとのくに山迹國やまとのくにと書きけるを、後に中古より大和やまとと書く。ただ是等これら義訓ぎくんとて、更に字韻じいんかかわらず。奈良も都のありしとき、それをめたることばには、寧樂な らみやこと書けるなり。おん通ずるなり。兎道う じその文字寂氣さびしげなりとて、今、宇治う じの字に改めたり。さても尾張おわりの文字も、昔、日本武尊やまとたけるのみこと大蛇おろちつて、の尾を割り、つるぎたまひたりとて、尾割おわりと書きしを改めたり。伊豆い ずくに海面かいめん取分とりわきでたるゆえとかや。景行けいこう天皇の三かん征伐せいばつ(西征の意か)に、海上かいじょう漫々まんまんとしてはてもなく、日暮れていよいよ暗かりしとき、はるかに火の光見えけるを、あれ何國いずくぞとたずたまへど、知るもの更になかりしかば、不知い ざ不知火しらぬい筑紫つくしとは、の時よりぞ申しける。の火をしるべにて御船みふねまかりたりければ、又行先ゆくさきに火見えたり。舟師しゅうしいよいよ力を得て、ついに陸地にきしかば、始めに見えたる火の所を火前ひぜんと名付け、のちの所を火後ひ ごとはごうしたりしかど、次第に民家繁榮はんえいすれば、火をむ道理有りけりとて、肥前ひぜん肥後ひ ごと改めき」と地名の變遷へんせんした事情を述べてゐる。

 また物產ぶっさんの事について「古歌こ かにも、すべらぎ御代み よさかえんと吾妻あづまなる陸奥みちのくやまこがねはな咲くとえいぜしくに土產どさんを先とし、對馬つしましろがね熊野くまのあかがね甲斐か いつむぎや、上野絹こうずけぎぬ信濃しなののお越前えちぜんさらしたぐい丹後たんご丹波たんば綿わたもあり、備前びぜん備中びっちゅうの紙もあり、石見國いわみのくにより硯石すずりいしいづるぞ、すなわくにあらわす文字の、めでたくもかぞふるはじめなれ」と記してゐる。

 以上は、極めて通俗な書き方で、必ずしも正確とはへぬ。國郡こくぐん名字みょうじを二字に改め、好字こうじえらむに至つたのは、漢文かんぶんの普及するにつれて生じた自然の結果だつた。それは、おそらく、大化かいか改新かいしん以前から次第に行はれたのであらうと思ふ。

(一)攝津せっつ紀伊き い(二)凡河內おおしこうち近淡海かつおうみ遠淡海とおつおうみ河內かわち近江おうみ遠江とおとうみ(三)無邪志む さ し多遲摩た じ ま武藏むさし但馬たじま

などは、大分だいぶ早くから改められた事と推測せられる。また文字の都合、筆の進みによつて、自然、文字面の便宜べんぎを主として、

(一)竺志ちくし筑紫つくし(二)歌斐か い甲斐か い(三)周芳すおう周防すおう(四)薩末さつま薩摩さつま(五)讃吉さぬき讃岐さぬき(六)土左と さ土佐と さ(七)伊與い よ伊豫い よ(八)參河みかわ三河みかわ

などとした事もある。