5 醴泉涌出せるにより下し給へる詔 持統天皇(第四十一代)

醴泉れいせん涌出わきいだせるによりくだたまへるみことのり(八年三月 日本書紀

粤以七年歲次癸巳、醴泉涌於近江國益須郡都賀山、諸疾病停宿益須寺、而療差者衆。故入水田四町布六十端、原除益須郡今年調伇雜傜、國司頭至目、進位一階、賜其初驗醴泉者、葛野羽衝、百濟土羅羅女、人絁二匹、布十端、鍬十口。

【謹譯】ここに七ねん歲次さいじ癸巳みずのとみもって、醴泉れいせん近江國おうみのくに益須郡やすのこおり都賀山つがやまく、もろもろ疾病やまいびと益須寺やすでら停宿や どりて、おさゆるものおおし。水田すいでんちょうぬの六十たんれ、益須郡やすのこおり今年ことし調伇ちょうやく雜傜ざつようゆるめよ。國司頭くにつかさのかみよりさかんいたるまで、くらいかいすすめ、はじめて醴泉れいせんみしるもの葛野かどの羽衝はつき百濟土羅羅女くだらのつららめに、ひとごとにあしぎぬひきぬのたんすきくちたまふ。

【字句謹解】◯醴泉 鑛泉こうせんのこと ◯益須郡都賀山 現在の野州や すぐん上村かみむら與地よ ち志略しりゃく』に「都賀山つがやま醴泉れいせん故址こ しいま周𢌞しゅうかい六十けんばかりの池也いけなり此山このやま上村かみむらにあり」と記してゐる。今は廢池はいちとなつてしまつた ◯療め差ゆる者 病氣びょうきを治療して全快する者 ◯調伇 勞役ろうえきのこと ◯雜傜 租稅そぜいしてかみに差し出す物品や、臨時の勞役ろうえき ◯國司 近江おうみ國司こくし ◯ 長官の意 ◯ 長官の下にゐる事務官 ◯醴泉を驗す者 この醴泉れいせん效果こうか發見はっけんした者 ◯ 太い絹。

〔注意〕醴泉れいせん發見はっけんのためにその地方の國司こくし及び發見者はっけんしゃしょうせられたのが本詔ほんしょうであり、有名な養老瀧ようろうのたき先驅せんくである。養老ようろうに就いては

(一)改元かいげんみことのり元正天皇養老元年十一月、續日本紀

はいする通り、改元かいげんされたのであつた。

【大意謹述】ちんの世の七年癸巳みずのとみの年にあたり、近江國おうみのくに益須郡やすのごおりにある都賀山つがやまからあまい味のする泉が發見はっけんされた。非常に諸病しょびょうによいといふので、各種の病人がそこにある益須寺やすでら逗留とうりゅうし、治療して全快する者がすこぶる多い。ゆえ今囘こんかい、四ちょうの水田、六十たんの布を寺に寄進し、更に益須郡やすのごおり全部にわたつて、本年度の勞役ろうえき、臨時の費用一切を免除めんじょする。又、そこの國司くにつかさの長官から事務官に至るまでくらいかいづつを進め、最初に甘い泉の效果こうか發見はっけんした葛野かどの羽衝はつき百濟土羅羅女くだらのつららめの各自に、あしぎぬ二匹、布十たんすきくちたまふ。

【備考】由來ゆらい近江おうみ地方には、醫療いりょうに役立つ鑛泉こうせんほとんど出ないのが常である。したがつて、醴泉れいせんのことは地理上、特異とくいの現象とせられてゐる。野州やすぐん守山町もりやままちにある大光寺だいこうじ寺記じ きによると、醴泉れいせんく池を甘香あまがいけしょうしたといはれる。古來こらい相當そうとう有名であつたことが、以上によってもわかる。