3 白雉の詔 孝德天皇(第三十六代)

白雉はくちみことのり(白雉元年二月 日本書紀

聖王出世、治天下時、天則應之、示其祥瑞。曩者西土之君、周成王世、與後漢明帝時、白雉爰見。我日本國譽田天皇之世、白烏樔宮。大鷦鷯帝之時、龍馬西見。是以自古迄今、祥瑞時見、以應有德、其類多矣。所謂鳳凰麒麟白雉白烏、若斯鳥獸、及于草木、有符應者、皆是天地所生休祥嘉瑞也。夫明聖之君、獲斯祥瑞、適其宜也。朕惟虛薄、何以享斯。蓋此專由扶翼公卿臣連伴造國造等、各盡丹誠、奉遵制度之所致也。是故始於公卿及百官等、以淸白意、敬奉神祇、並受休祥、令榮天下。

【謹譯】聖王せいおうでて、天下てんかしらときは、てんすなわこたへて、祥瑞しょうずいしめす。曩者むかし西土せいどきみ周しゅう成王せいおうと、後漢ごかん明帝めいていときと、白雉はくちここゆ。日本國み か ど譽田天皇ほむだのすめらみかどに、白烏はくうみやくふ。大鷦鷯帝おおささぎのみかどときに、龍馬りゅうめ西にしゆ。これもっいにしえよりいまいたるまで、祥瑞しょうずいときあらわれ、もっ有德うとくこたふること、たぐいおおし。ところ鳳凰ほうおう麒麟きりん白雉はくち白烏はくうかくごと鳥獸ちょうじゅう草木そうもくおよび、符應ふおうあるは、みな天地てんちしょうずるところ休祥きゅうしょう嘉瑞かずいなり。明聖めいせいきみ祥瑞しょうずいたまふことは、まさむべなり。ちん虛薄い やし、なにもってかれをけむ。けだもっぱ扶翼ふよく公卿こうけいおみむらじ伴造とものみやつこ國造くにのみやつこたち、おのおの丹誠まことつくして、制度の りうけたまわしたがふにりていたところなり。ゆえ公卿こうけいはじめて百官もものつかさたちにおよぶまで、淸白あきらけきこころもって、神祇じんぎうやまたてまつりて、ならびに休祥きゅうしょうけて、天下てんかさかえしめよ。

【字句謹解】◯聖王 賢明な天子の意 ◯世に出でて この世に出現されて ◯天則ち應へて 賢明な天子の治世には、天もその御代み よしゅくするために目出度め で た兆候ちょうこうを示されることで、天子は本來ほんらい天意てんいを受けて立つのであるが、その天意を申し分なく下民かみんほどこす人の世には、天もこれ滿足まんぞくさるる證據しょうことして種々しゅじゅ兆候ちょうこうを示されるのである ◯祥瑞 目出め でたい前兆ぜんちょう、その種類は後文こうぶんにある ◯西土の君 支那し なの天子 ◯周の成王の世 周しゅう武王ぶおうのあとをぎ三十七年間在位ざいいされた。この人と次代の康王こうおうとの治世を周しゅう極盛ごくせい時代といふ。皇紀こうき以前約四百五十年頃と推定されてゐる。〔註二〕參照 ◯後漢の明帝 後漢ごかん光武帝こうぶていの後の天子、在位年間は皇紀こうき七一八年―七三五年といはれる。後漢ごかんを通じての明君めいくんであつた。〔註二〕參照 ◯譽田天皇 應神おうじん天皇御事おんこと ◯白烏宮に樔くふ 宮殿にをつくつた ◯大鷦鷯帝 仁德にんとく天皇御事おんこと ◯龍馬西に見ゆ 龍馬りゅうめには種々しゅじゅせつがあるが、河水かすいせいくびが長く、ひたいから翼が生へてゐたとしょうせられる想像上の動物である。前文の白烏はくうを「延喜式えんぎしき」の祥瑞しょうずいには中瑞ちゅうずいとあり、龍馬りゅうめ上瑞じょうずいとあるから、龍馬りゅうめの方が目出度さの程度が大きかつたことが判明する。なほこの二祥瑞しょうずい國史こくしには見えない。本來ほんらい儒敎じゅきょう思想を韓人かんじんなどから聞いて考へ合はせたものであらうと『書紀しょき通釋つうしゃく』では主張してゐる。〔註一〕參照 ◯有德に應ふること 有德うとくな天子の御代み よ祝賀しゅくがすること ◯鳳凰 これも「延喜式えんぎしき」には上瑞じょうずいとあり、鶴に似て五しきいろどられてゐると記してある。〔註二〕參照 ◯麒麟 支那し な古代の想像上のけもの、形は鹿に似て大きく、尾は牛に、ひづめは馬に似てゐる。「延喜式えんぎしき」に上瑞じょうずいとある ◯草木に及び 祥瑞しょうずい草木そうもくの上にも及んでゐたことは本篇中に祥瑞しょうずい詔勅しょうちょくを集めた部分でいた ◯符應 天が御世み よしゅくした證據しょうこ ◯休祥 天が賢明な天子の御代み よいわふためにくだした目出度め で た前兆ぜんちょう ◯嘉瑞 休祥きゅうしょうと同じ意 ◯明聖の君 叡智えいちの天子 ◯適に其れ宜なり じつ當然とうぜんであつて疑ふ餘地よ ちがない ◯虛薄し 器量が天子として似合に あはしくなく、またとくすくない ◯何を以てか斯れを享けむ 何故なにゆえ天がちんの如き者の世に、この目出度い前兆ぜんちょうくだされたのであらうと、驚きながら喜ばれる意 ◯扶翼 皇室輔佐ほ さにんにあること ◯伴造 各部の長官 ◯國造 國郡こくぐんを統治した世襲せしゅうの地方官で、當時とうじ郡司ぐんじと改められてゐたが、ここでは舊名きゅうめいを使用したもの ◯丹誠を盡して 赤誠せきせい披瀝ひれきす ◯制度 大化たいか改新かいしんの諸制度 ◯淸白けき意 公平なわたくしなき心。

〔註一〕龍馬西に見ゆ 龍馬りゅうめに就いては『萬葉集まんようしゅうまきの五に「たつも今もてしか、あをによし奈良の都にきてむため」と見え、戀の贈答としてある。

〔註二〕鳳凰 これに就いては『新續しんしょく古今こきん和歌集わかしゅうまきの七に「日吉ひよしやしろまつりける歌の中に、とりを」として、「陰高かげたかききりのこずえにすむ鳥のこえ待ちいでむ御世み よのかしこさ」と見える。作者は按察使あぜちし公保きみやす白雉はくち元年二月に、穴戸あなど國司こくし草壁連くさかべのむらじ醜經しこふ白雉はくちたてまつつた。天皇はこの吉凶きっきょう百濟君くだらのきみに問はれると、「後漢ごかん明帝めいてい永平えいへい十一年に白雉はくち發見はっけんされた例があります」と答へた。そうに問はれると「未だ前例を聞きませぬ。天下に大赦たいしゃあられるのがよろしうございませう」と申し上げた。又、道登どうとう法師ほうしは、高麗こ まに於ける白鹿はくろく白雀はくじゃく三足みつあしからすの例を引いて吉事きちじ奏上そうじょうし、そうみん法師ほうし白雉はくち發見はっけんされる條件じょうけんとして、君德くんとく感化かんかが四方に及んだ時・王者おうじゃ祭禮さいれいをよくおこなつた時・王者が淸素しずかな時・王者が仁聖じんせいな時の四個をげて吉事きちじと申し上げ、具體ぐたい的な例として、周しゅう成王せいおうの時に越裳えっしょうが「中國ちゅうごくに聖人がられるに相違そういない」と白雉はくちたてまつつたこと、及びしん武帝ぶてい咸寧かんねい元年のことを奏上そうじょうした。ゆえに、みかどに於かせられても、これを目出度め で た前兆ぜんちょうとして天下に大赦たいしゃし、白雉はくちそのに放たれることになつた。

 當日とうじつになると宮中に奉仕する百かんは元旦に用ゐるれの衣裳できじを宮中に迎へ、天皇は皇太子と共に御覽ごらんあそばされた。この時皇太子は百かんを代表して次の祝辭しゅくじたてまつられた。

 公卿こうけいかん人等ひとたちよごとたてまつらく、陛下き み淸平しずかなるいきおいもって天下をしろしめすがゆえに、ここ白雉はくちあり、西方せいほうよりづ。すなわれ陛下千しゅう萬歲ばんざい及至い たるまでに、きよ四方よ も大八島おおやしましろしめしたまひ、公卿こうけいかん及び諸姓しょせいたちねがわくは忠誠ちゅうせいつくしてつとつかまつらむ。

この祝辭しゅくじ後に本詔ほんしょうたまひ、天下に大赦たいしゃして年號ねんごう白雉はくちと改められた。

【大意謹述】非常に賢明な君主がこの世に出現あつて天下を統治される場合には、天も自己の意に適した政治の行はれるのをし、喜びを地上の人々に知らせるために、目出度め で た前兆ぜんちょうを示す。古代支那し なに於いて周しゅう成王せいおう時世じせい又は後漢ごかん明帝めいてい永平えいへい十一年に御代み よいわ白雉はくち發見はっけんされた。我が日本でも應神おうじん天皇時代には宮殿附邊ふへん白色はくしょくからすを造り、仁德にんとく天皇御代み よには西方に龍馬りゅうめ發見はっけんされたともつたへられてゐる。これらからも判明するやうに地の東西・時の古今を通じて、天が時々目出度い前兆を示され、時の君主のとくしゅくすることが決して少くはない。世間で噂となる鳳凰ほうおう麒麟きりん白雉はくち白烏はくうなどの鳥獸ちょうじゅう類から、あるいは各種の草木そうもくにまで及んで、世に珍らしい不思議な現象があるのは、全部天地の諸神しょじん御代み よしゅくしてくだした目出度い前兆なのである。

 一たい、聖人にも比する程に賢明な君主が、今つた目出度い前兆を天から受けるのは、當然とうぜんといはなければなるまい。しかちん天皇として器量も似つかはしくなく、とくも薄い。どうしてこの目出度い白雉はくちいただたのしむ價値か ちがあらうか。それにもかかわらず、の世にこの事があつたのは全く朕を輔佐ほ さする公卿こうけいおみむらじ、又は伴造とものみやつこ國造くにのみやつこなど一同がすべ眞心まごころつくして、新制度にしたがつて、自己の職責しょくせきを果たしてゐるゆえほかならない。かく考へると、この前兆を得た喜びを、朕一人で受容してはならないと思ふ。すなわち、かみ公卿こうけいから朝廷の官吏かんり一同に及ぶまで、公平無私む しな心で天地の神々かみがみつかへ、朕と一緒に目出度い前兆をしゅくし、朕の世を、この上一そうえるやうにしなければならない。

【備考】瑞兆ずいちょうしゅくすることは、支那し なにおいても屢々しばしば行はれたところであるが、瑞兆ずいちょうを政治的意義の上に活かして、敎化きょうかするといふことが一つの主眼しゅがんであつたと思はれる。惡兆あくちょうの場合もまた同樣どうようであつた。したがつて、それが支那し なのごとくたんなる形式に流れる場合、往々おうおう弊害へいがいかもしたのである。けれども、日本では、それが正しい意義に活用された場合がむしろ多かつたやうである。したがつて、瑞兆ずいちょうしゅくする精神せいしんの上に、民を愛して、善政ぜんせいをひろめるといふ天皇御心みこころが存在したてんにおいて、支那し なの場合と、おのづからことなるところがあつたことを意識しなければならぬ。