2 遺詔 推古天皇(第三十三代)

遺詔いしょう(三十六年三月 日本書紀

比年、五榖不登、百姓大飢。其爲朕興陵、以勿厚葬。便宜葬于竹田皇子陵。

【謹譯】比年としごろ、五こくみのらず、百せいおおいう。ちんめにみささぎおこして、もっあつほうむることなかれ。便すなわよろしく竹田皇子たけだのみこみささぎほうむるべし。

【字句謹解】◯比年 このすう年間引續ひきつづいての意 ◯五榖登らず 農作物が不作である意、五こくとはいねきびあわむぎまめ(周禮)とあさきびあわむぎ・豆(漢書)の二せつがあるが、この場合は一般に農作物を指したので概念的な意味である。舊訓きゅうくんに「たなつもの」とあるのからそれが判斷はんだん出來る ◯ 天皇御陵ごりょうのこと ◯竹田皇子 敏達びたつ天皇推古すいこ天皇との間に生れられた御子み こである。この皇子おうじ御陵ごりょうに就いては『』には大野岡おおののおかとあり、『扶桑略記ふそうりゃっき』には河內かわち石川郡いしかわごおり磯長しんが山田やまだとある。

〔注意〕推古すいこ天皇御遺詔ごいしょうとしては、この他に田村皇子たむらのみこあたへられたもの、及び山背大兄やましろのおひねあたへられたのとがある。なほ、推古すいこ天皇以前に御遺詔ごいしょうとして

(一)遺詔いしょう雄略天皇二十三年、日本書紀)(二)皇太子にのこたまへるみことのり欽明天皇三十二年四月、日本書紀)がある。

【大意謹述】このすう年間、農作物が不作なため國民こくみん饑餓き がに苦しめられてゐる。この際、ちんほうじても經費けいひ節約のため、特に朕の墓所ぼしょ造營ぞうえいして鄭重ていちょうほうむることを差控さしひかへて貰ひたい。朕は竹田皇子たけだのみこ墓所の側にほうむられればそれで十分である。

【備考】國民こくみん饑餓き が線上せんじょう彷徨ほうこうしつつあるについて、深く御心みこころをいためられ、推古すいこ天皇御大葬ごたいそうのとき、儀式を簡略にして、經費けいひを節約せよとおおせられてゐることは、いかに國民にたいして深い同情を寄せたもうたかが分明わ かる。御大葬ごたいそうについては、帝王としての莊重そうちょうな儀式を要するのは、當然とうぜんの事で、これを簡略にするのは恐懼きょうくに堪へないが推古すいこ天皇におかせられては、國民生活の安定を只管ひたすら望ませたまひ、かく特別の思召おぼしめしつたへられたについて、「君主は臣民しんみんの父母である」といふとうと御精神ごせいしんを、如實にょじつに示されてゐることを、泌々しみじみ感ずる次第である。