69 攝政ヲ置クノ詔書 大正天皇(第百二十三代)

攝政せっしょうクノ詔書しょうしょ(大正十年十一月二十五日 官報

【謹譯】ちんひさしキニわた疾患しっかんリ、大政たいせいみずかラスルコトあたハサルヲもっテ、皇族こうぞく會議かいぎおよ樞密すうみつ顧問こもんテ、皇太子こうたいし裕仁ひろひと親王しんのう攝政せっしょうにんス。

【字句謹解】◯久キニ亙ル疾患 長い間なやまされてゐる御病氣ごびょうき。〔註一〕參照 ◯皇族會議 成年せいねん以上の皇族男子(皇太子・皇太孫は滿十八歲、その他の皇族は滿二十歲で成年に達せられる)で組織され、內大臣ないだいじん樞密院すうみついん議長・宮內くない大臣・司法大臣・大審院たいしんいん長を參列さんれつさせられる會議かいぎのこと ◯樞密顧問 樞密院すうみついん議長・副議長・顧問官で組織せられ、天皇御諮詢ごしじゅんこたたてまつり、重要の國務こくむ審議しんぎする機關きかんで、國務こくむ大臣及び成年以上の皇族男子も列席する規定となつてゐる ◯攝政 天皇御名み なに於いて大權たいけん行使こうしされる御方おかたのことをいひ、憲法及び皇室こうしつ典範てんぱん變更へんこうをなさることが出來ない以外は、すべて天皇の行はれる國務こくむ一切を行はせられる。〔註二〕參照。

〔註一〕久キニ亙ル疾患 大正たいしょう天皇御不豫ご ふ よに就いて本詔ほんしょう發布はっぷと同時に發表はっぴょうされた御容體書ごようたいしょにはしもの如くある。

天皇陛下に於かせられては、禀賦りんぷ御孱弱ごせんじゃくわたらせられ、御降誕ごこうたん後三週間をでざるに、腦膜炎のうまくえんよう御疾患ごしっかんかからせられ、御幼年ごようねん時代に重症の百にちぜきつづいてちょうチブス、胸膜炎きょうまくえん等の大患たいかん御經過ごけいかあらせられ、御心身ごしんしん發達はったつに於いて、幾分いくぶんおくれさせらるる所ありしが、御踐祚ごせんそ以來いらい、內外の政務御多端ごたたんわたらせられ、日夜宸襟しんきんまやませられたまひしめ、近年に至り、遂に御腦力ごのうりょく衰退の徵候ちょうこうはいするに至れり。目下もっか御身體ごしんたい御模樣ごもように於いては、引續ひきつづ御變おかわりあらせられず、御體量ごたいりょうの如きも從前じゅうぜんと大差あらせられざるも、御記銘ごきめい御判斷ごはんだん御思考ごしこう等の御腦力ごのうりょく漸次ぜんじおんおとろへさせられ、御考慮ごこうりょの環境も、したがっ狹隘きょうあいとならせらる。こと御記憶力ごきおくりょくに至つては、御衰退ごすいたいちょう最も著しく、加之くわゆる御發語ごはつご御障碍ごしょうがいあらせらるるめ、御意志ご い し御表現ごひょうげん御困難ごこんなんはいするは、まこと恐懼きょうくへざる所なり」

〔註二〕攝政 攝政せっしょう天皇の未成年にまします場合と、本詔ほんしょうの如くに天皇が久しい間大政たいせいみずからされることの出來ない故障があつた場合とに置かれる。この日、元帥げんすい閑院宮かんいんのみや載仁ことひと親王しんのうは、攝政宮せっしょうのみや御輔導ごほどう大命たいめいはいせられ、攝政宮せっしょうのみやは高橋首相に次の令旨れいしたまはつた。

皇上こうじょう御不例ごふれい久しきにわたるにり、むを得ずして攝政せっしょうりしに就きては、卿等けいら從前じゅうぜんの通り國務こくむ勵精れいせいせむことを望む。」

 翌二十六日には政令せっしょうれい第一じょうり、賢所かしこどころに於いて祭典を行はせられ、御就任の旨を皇靈殿こうれいでん神殿しんでん奉告ほうこくあり、次いで宮中鳳凰ほうおうの間に於いて文武ぶんぶ大官たいかん及び外國大公使たいこうしえつたまひ、首相を通じて國民こくみん令旨れいしたまはつた。

皇上こうじょう御不例ごふれい久しきにわたらせらるるは、國民こくみんと共に憂懼ゆうくかざる所なり。今や大政たいせいみずからしたまふことあたはざるにり、成典せいてんしたがひて攝政せっしょうとなれり。じつむを得ざるにづ。方今ほうこん國事こくじ多端たたんの際、弱齡じゃくれい寡德かとくを以て重任じゅうにんあたる。夙夜しゅくや兢々きょうきょうとして負荷ふ かへざらむことをおそる。ただまさ先皇せんこう維新いしん鴻謨こうぼ皇上こうじょう紹述しょうじゅつ宏規こうきとを遵奉じゅんぽうして、勵精れいせいを求め、そと國交こっこうあつくし、うち國民こくみん福祉ふくし增進ぞうしんせむことをし、以て皇上こうじょう御平癒ごへいゆの日を待つべきのみ。國民、の意をたいし、各々おのおのぎょうに勤め、ぶんしたがひてこうほうじ、上下しょうか心を一にして、以て國運こくうん永昌えいしょうはからむことを望む。」

【大意謹述】ちんは長い間なやまされてゐる病氣びょうきのため、國家こっか大政たいせいみずかることが出來ないので、今囘こんかい、皇族會議かいぎ樞密院すうみついんに於ける顧問官こもんかん會議かいぎにより必要な手續てつづきをて、皇太子裕仁ひろひと親王しんのう攝政せっしょうの地位にけ、萬機ばんきを一にんする。

【備考】今上きんじょう陛下が攝政宮せっしょうのみやとなられたとき、國民こくみんは、その御聰明ごそうめい御英武ごえいぶであらせられるよしうけたまわり、深く心をやすんじた。陛下は、東宮とうぐうにまします時代から、生物がくに多大の興味を有せられ、當時とうじ東宮御所とうぐうごしょないに生物がく研究所を置かれ、深海產しんかいさん猩々蝦しょうじょうえび發見はっけんと研究とにおいて、世界の學界がっかい貢獻こうけんあそばされた事がある。また動植物の特性・形態・分布・利用法についても、御精通ごせいつうになつてゐる。つ農業についても、東宮とうぐう時代から甚大じんだいの興味を有せられ、御所內ごしょないはたみずか胡瓜きゅうり茄子な す・大根・人參にんじん玉蜀麥とうもろこし・豆類・牛蒡ごぼうなどを植ゑたまひ、その御收穫ごしゅうかく神殿しんでんに捧げ、兩親りょうしん陛下に獻上けんじょうせられた。その他製茶せいちゃの事もたしなませられ、田植たうえみずから致された事があり、いね御刈取おかりとりにも、みずかあたらせられて、民の勞苦ろうく御體驗ごたいけんなされたとうけたまはる。これ國民の深く悅服えっぷくし、敬仰けいごうしまゐらせる所である。