68 濟生會設立ニツイテ桂首相ヘノ詔 明治天皇(第百二十二代)

濟生會さいせいかい設立せつりつニツイテかつら首相しゅしょうヘノみことのり 明治四十四年二月一日 官報

【謹譯】ちんおもフニ、世局せいきょく大勢たいせいしたがヒ、國運こくうん伸張しんちょうようスルコトまさきゅうニシテ、經濟けいざい狀況じょうきょうぜんあらたマリ、人心じんしんややモスレハ、歸向きこうあやまラムトス。まつりごとものよろしふかここかんがミ、ますます憂勤ゆうきんシテぎょうすすメ、おしえあつクシ、もっ健全けんぜん發達はったつケシムヘシ。もし無告むこく窮民きゅうみんニシテ、醫藥いやくきゅうセス、天壽てんじゅフルコトあたハサルハ、ちんもっとも軫念しんねんシテカサルところナリ。すなわち施藥せやく救療きゅうりょうもっ濟生さいせいみちひろメムトス。ここ內帑ないどかねいだシ、テシム。けいちんたいシ、よろしキニしたがヒ、これ措置そ ちシ、なが衆庶しゅうしょヲシテところアラシメムコトヲセヨ。

【字句謹解】◯世局 世界、及び世の中 ◯ 次第にの意。〔註一〕參照 ◯歸向 正しい歸著點きちゃくてん ◯ 益々ますますに同じ ◯憂勤 憂ひつつしんで勤勉する事 ◯無告ノ窮民 かみに自分の苦痛を申し達することが出來ぬ貧しい民 ◯軫念 天子の御心みこころを痛めたまふ義 ◯濟生 民を助け救ふ意 ◯內帑 天子の金庫 ◯措置 所置に同じ ◯衆庶 一般大衆のこと。

〔註一〕經濟ノ狀況漸ニ革マリ 日本は日淸にっしん日露にちろ兩戰役りょうせんえきて、國運こくうんおおいに伸びたが、それにつれて、經濟けいざい上の膨脹ぼうちょう發達はったつを生じ、資本主義の傾向がようやいちじるしくなつた。それと共に、貧富の懸隔けんかくが次第に深まり、貧しい民のむれが、ひどく多くなつたことが、日露にちろ戰後せんごにも切に感ぜられたのである。しか富者ふしゃは、プロレタリアにたいして、存外ぞんがい、冷淡で、自分の奢侈しゃし享樂きょうらく沒頭ぼっとうしたり、投機にふけつたり、いろいろとプロレタリアの反感を招いた。それが思想上に反映し、結果する場合、相當そうとう寒心かんしんすべきものがあつたのはふ迄もない。つ二十億の負債はいつ償却しょうきゃく出來るか分明わ からず、物價ぶっかは日々騰貴とうきし、輸入ゆにゅう年每としごとしてゆく一方で、プロレタリアに取つてはらくでなく、彼等は痩せてゆく一方だとつてかつた程である。明治天皇御深憂ごしんゆうになつたのは、このてんにあつた。

【大意謹述】おもふに、日本においては、世界の大勢たいせいともなつて、國運こくうん伸張しんちょうを要することがまさ急切きゅうせつなものがある。それにつれて經濟けいざい界の有樣ありさも次第にへんじ、めるもの、貧しいものの間に、おのづからへだたりを生ずることは避け難いやうに思はれる。それに刺戟しげきせられて、今迄おだやかだつた大衆の心持こころもちも、ともするとすさみ、あるい矯激きょうげきに流れ、その正しい歸向點きこうてんを失はうとする憂ひが多い。政治の局にあたるものは、深くこのてんに考へ及んで、人心じんしん歸向きこうあやまらしめぬやう、つつしみ憂ひて以前よりも一そう、政務に力を入れ、民衆がやすんじて業務にせいを出すやうに計り、また敎化きょうか事業に手厚くして、すべてがすこやかに發達はったつせんことをこころざさねばならない。

 れ自分の苦痛を上聞じょうぶんに達し得ない貧しい民が、病中、醫藥いやくを求め得ず、また天から受けた壽命じゅみょうまっとうすることが出來ぬやうな場合には、打捨てては置けぬ。これちんが自分の赤子せきしとして、深くあわれみ、またにかけてまざる所である。よって以上のてんに考へ、ここに貧しく病める民に向つて、施療せりょうの道を開き、その病をいやし、生命をまっとうするの事業をひろおこなひたい。その目的のために皇室の金を支出し、てしめる事とした。けいよろしく、ちんの意のあるところ、精神せいしんそんするところを諒解りょうかいし、前後の處置しょちを整へ、適當てきとうの設備をして、今後、永く大衆を無告むこくの民たらしめぬやう、取計とりはからふべきである。

【備考】由來ゆらい明治天皇は、つと社會しゃかい事業に御心みこころろうせられ、慶應けいおう三年十二月、復古ふっこ大號令だいごうれいはっせられたうちにも、「近年物價ぶっか格別騰貴とうき如何いかんともすべからざるいきおい富者ふしゃ益々ますますとみかさね、貧者ひんしゃ益々ますます窘窮きんきゅうに至りそうろうおもむき畢竟ひっきょう政令せいれい正しからざるより致すところ、民は王者おうしゃ大寶たいほう、百しん折柄おりから宸衷しんちゅうなやまされそうろう智謀ちぼう遠識えんしき救弊きゅうへいの策有之これありそうらはば、誰彼だれかれとなく、申出もうしいづべくそうろう」とつたへられてゐる。また御製ぎょせいのうちに、

 よのなかはたかきいやしきほどほどに

    つくすこそつとめなりけれ

御敎訓ごきょうくんになつてゐる。

 濟生會さいせいかいは、明治天皇社會しゃかい問題解決の一たんとして、內帑金ないどきん百五十萬圓まんえんを支出せられ、時の首相かつら太郞にむねつたへられて、設立のはこびとなつた。その際、かつら首相は、優渥ゆうあく聖恩せいおんに感激し、ぐに全國の華族かぞく富豪ふごう賛助さんじょを求め、濟生會さいせいかいを組織した。名を「恩賜おんし財團ざいだん濟生會さいせいかい」と決し、そのむね奏上そうじょうに及ぶと、明治天皇は「皇室ばかりでなく、國民の一部も出資した以上、恩賜おんし財團ざいだんしょうするのは妥當だとうでない」とおおせられた。

 かつら首相は只管ひたすらおそれ入つて、更にそのむねそんするところを申上げ「おお御尤ごもっともではございますが、何分なにぶん御恩賜ごおんしもとになつてをりますので、是非ともこれを記念致したいと存じます」と奏上そうじょうした。そこで天皇は、「成程なるほど左樣そ ういふ考へなら、それでもからうが、恩賜おんし財團ざいだんの四字を小さくして、割註わりちゅうとするなら、差支さしつかへあるまい」とおおせられ、かつら首相は、御仰おんおおせを奉戴ほうたいしたのである。陛下が如何い か御謙遜ごけんそんであらせられ、必要な事はこまかいところにも、御氣付お き つきあそばされた事が、以上の挿話そうわによつても拜察はいさつ出來る。