61 臺灣統治ニ就テ乃木希典ニ賜ヘル勅語 明治天皇(第百二十二代)

臺灣たいわん統治とうちつい乃木の ぎ希典まれすけたまヘル勅語ちょくご(明治三十年八月二日 官報

【謹譯】臺灣たいわん諸島しょとうちん版圖はんとセシヨリなおあさク、新附しんぷたみいまあるいそのやすんセサルものアラン。よろシク民情みんじょう舊慣きゅうかん視察しさつシ、撫恤ぶじゅつくわフヘシ。けいちんたいシ、官紀かんき愼肅しんしゅくシ、政綱せいこう簡明かんめいニシ、もっ德化とっか宣揚せんようスルコトヲつとメヨ。

【字句謹解】◯臺灣諸島 臺灣たいわん臺灣たいわん本島及び附屬ふぞく島嶼とうしょならび澎湖ぼうこ群島ぐんとうから成り、ほとん支那しなかい中位ちゅういにあつて、西方には、近く支那みなみしなを控へて、臺灣たいわん海峡かいきょうを開き、澎湖ぼうこ群島ぐんとうを以てその中間の連鎖れんさとしてゐる。その東は太平洋に面し、南はバシイ海峡かいきょうを隔てて、フイリツピン群島と相對あいたいしてゐる ◯版圖 一こくの領土。〔註一〕參照 ◯新附 新しく歸服きふくした民 ◯民情 人民の情態じょうたい ◯舊慣 古くから行はれてゐる風習 ◯撫恤 愛撫あいぶしあはれみを加へる ◯官紀 官府かんぷの規律・官吏かんり取締とりしまり ◯愼肅 振肅しんしゅくに同じ、物事のゆるみ、衰へたのをふるおこす ◯政綱 政策のおおもと ◯簡明 手輕てがるにはつきりする ◯德化 德政とくせいほどこして、臣民しんみんをよく感化かんかする ◯宣揚 のべ、あらはす事。

〔註一〕版圖 臺灣たいわんと日本との交渉は昔からなり密接である。が、ここ日淸にっしん戰爭せんそう當時とうじについていふと、明治二十八年三月二十二日、陸軍歩兵大佐比志島ひしじま義輝よしてる混成こんせい枝隊したいを率ゐて、澎湖島ぼうこうとうに上陸し、海軍かいぐんあい策應さくおうして、列島全部を占領したのである。いで同年四月、馬關ばかん條約じょうやく日淸にっしんの間に締結ていけつさるるに及び、臺灣たいわん及び澎湖ぼうこ列島は日本のゆうとなつた。その時分、金州きんしゅう附近ふきんにゐた近衞このえ師團しだん臺灣たいわん征討せいとうの命を受け、陸軍中將ちゅうじょう北白川宮きたしらかわのみや殿下でんかに率ゐられて、五月三十一日、臺灣たいわん北部にある三貂角しょうかくに上陸し、臺北たいほく淡水たんすい基隆きいるんを占領、更に南進して嘉義か ぎ彰化しょうか新竹しんちく安平鎭あんぺいちん等を十月初旬に平定したのである。當時とうじ臺灣たいわん副總督ふくそうとくに任ぜられた高島たかしま鞆之助とものすけは、十月十六日、臺灣たいわんり、二十二日、臺南たいなんを占領、北部の征討軍とがっし、臺灣たいわん全島を確實かくじつに我がゆうとした。ただここいたむべきは、北白川宮きたしらかわのみや殿下でんかが、マラリヤねつのため薨去こうきょされた事である。さて最初の臺灣たいわん總督そうとく樺山かばやま資紀すけのり臺北たいほくつて、そこに總督府そうとくふを置き、統治の任にあたつた。いで桂太郞かつらたろうこれかわり、更に乃木の ぎ希典まれすけ總督そうとくとなつた。その時、明治天皇本勅ほんちょく乃木の ぎたまわつたのである。乃木の ぎあまりに軍人肌ぐんじんはだに過ぎ、總督そうとくとして適任でなかつたが、れの誠實せいじつ實直じっちょくは、一般の認むるところだつた。明治三十一年、乃木の ぎのあとを受けて總督そうとくとなつた兒玉こだま源太郞げんたろうに至り、はじめて好個こうこ總督そうとくを得たと同時に、そのもと民政みんせい長官となつた後藤ごとう新平しんぺいmたまり役で、臺灣たいわん統治の基礎はこの時に定められたとつてよい。

【大意謹述】臺灣たいわんの地は、ちんの領有するところとなつてから、まだ日があさいので、あらたに歸服きふくした臣民しんみんのうちにはほ安心しないで、仕事も手につかぬものもあらう。それについて、統治のじつげるには、第一に人民の情態じょうたいや古くから行はれてゐる風俗・習慣などを重んじて十分に視察しさつし、一般を愛撫あいぶしなくてはならぬ。なんじはよくちん精神せいしんのあるところを諒解りょうかいして、ゆるんだ官府かんぷの規律を引き締め、政治の大本たいほんあきらかにして、何よりも手輕てがるにわかり易いのを旨とせよ。かくして臺灣たいわん臣民しんみんの全部に德政とくせいいてこれ感化かんかし、皇威こういをのべ、あらはす事に勉めてほしい。

【備考】當時とうじ臺灣たいわん臣民しんみんは、敎育きょういく上、內地ないち臣民しんみんよりもはるかにおくれてをり、土匪ど ひ生蕃せいばんが到るところに割據かっきょしてゐた。したがつて、明治天皇におかせられては、臣民しんみんの程度におうじて現實げんじつにぴたりとまるやう、政治をほどこすべき旨を以てせられ、本勅ほんちょくにおいて、乃木の ぎ總督そうとく諭さとされたのである。それには、(一)民情みんじょう舊慣きゅうかん參酌さんしゃくする事、(二)政治を引締めて、これを簡明かんめいにする事の二要點ようてん乃木の ぎ敎示きょうじせられた。臺灣たいわん統治の根本はじつにこの二要點ようてんにある。はつきり、現實げんじつに直面して、政治の根本を把握せらるる御精神ごせいしんが、ここによくあらはれてゐる。今日こんにちとても、臺灣たいわん統治の第一義は、明治天皇おおせを遵守じゅんしゅして、とき及びことよろしきを制する以外には出ないと拜察はいさつする。