59 第七臨時帝國議會開院式ノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

だい臨時りんじ帝國ていこく議會ぎかい開院式かいいんしき勅語ちょくご(明治二十七年十月十八日 官報

【謹譯】

ちん貴族院きぞくいんおよ衆議院しゅうぎいん各員かくいんク。

ちんここ臨時りんじ帝國ていこく議會ぎかい召集しょうしゅうシ、とく國務こくむ大臣だいじんめいシテ刻下こっか急要きゅうようナル陸海りくかい軍費ぐんぴかんスル議案ぎあん提出ていしゅつセシム。

ちん淸國しんこく帝國ていこくともニ、東洋とうよう平和へいわ保持ほ じスルノにんわすレ、つい今日こんにち事局じきょくルニいたリタルヲうらみトス。しかレトモ釁端きんたんすでひらク、交戰こうせん目的もくてきたっセスムハもっムヘカラス。ちん帝國ていこく臣民しんみんカ一和協わきょうちんこと奬順しょうじゅんシ、全局ぜんきょく大捷たいしょうもっはや東洋とうよう和平わへい囘復かいふくシ、もっ國光こっこう宣揚せんようセムコトヲのぞム。各員かくいんこれつとメヨ。

【字句謹解】◯臨時帝國議會 この議會ぎかいは伊藤內閣の二度の解散の結果開かれた臨時のものであつた ◯刻下ノ急要 今すぐに必要である意 ◯陸海軍費ニ關スル議案 政府提出の臨時軍事費一億五千萬圓まんえんの事。本議會ほんぎかいでは、この提出を全會ぜんかい一致卽決そっけつ承認した。〔註一〕參照 ◯今日ノ事局ヲ見ル 今日こんにちの事態に至る。すなわ日淸役にっしんえきおこしたこと ◯憾トス 殘念ざんねんに思ふ ◯釁端旣ニ開ク 戰爭せんそうはもう開かれた。淸國しんこくたいする宣戰せんせん詔勅しょうちょく當年とうねん八月二日に布告ふこくされた。『軍事外交篇』参照さんしょうのこと ◯交戰ノ目的 朝鮮の獨立どくりつと東洋平和のために交戰こうせんしたその目的 ◯奬順 すすめて事を行はせる ◯全局ノ大捷 各方面の大勝利 ◯國光ヲ宣揚セム くに光輝こうきを高くあげる ◯旃ヲ勗メヨ 懸命になつてせいを出せよとはげまされるおおせである。

〔註一〕陸海軍費ニ關スル議案 次に日淸にっしん戰爭せんそう收支しゅうし計算をげる。

收入源 明治二十六年國庫剰餘金 23,439,086圓/公債金 116,804,926圓/軍費獻納金 160,800圓/陸海軍恤兵獻納金 2,788,740圓/雜收入 1,519,305圓/臺灣及び澎湖島諸收入 935,679圓/特別資金繰入 78,957,164圓

合計 225,230,127圓

支出 總支出 200,475,508圓

差引 二十九年一般會計繰越 24,752,619圓

〔注意〕日淸にっしん戰役せんえきは二億えん戰費せんぴを要したが、しもせき講和こうわ條約じょうやくによつての償金しょうきん二億テエルほか山東さんとう半島はんとう還附金かんぷきんその他を合せて二億三千五百まんテエルを獲得し、我が經濟けいざい界は活氣かっきていした。本會議ほんかいぎに於いて多年たねん藩閥はんばつ政府攻擊こうげきが、全く中止せられ、擧國きょこくのもとに臨時軍費ぐんぴ卽決そっけつ承認を見たのは、日本國民の特質による。なほ本勅ほんちょくに交渉あるものは、

(一)日淸にっしん宣戰せんせん詔勅しょうちょく(明治二十七年八月二日、官報)(二)臨時議會ぎかい廣島ひろしま召集しょうしゅうスルノ詔勅(明治二十七年九月二十二日、官報)(三)第七臨時帝國ていこく議會ぎかい閉院式ノ勅語ちょくご(明治二十七年十月二十二日、官報)(四)第八帝國議會開院式ノ勅語(明治二十七年十二月二十四日、官報)(五)第九帝國議會開院式ノ勅語(明治二十八年十二月二十八日、官報)などで、『軍事外交篇』参照さんしょうのこと。

【大意謹述】ちん貴族院及び衆議院各員かくいんたいし、ここに所感しょかんを告げる。

 ちん今囘こんかい臨時帝國ていこく議會ぎかいここに開催し、特別に國務こくむ大臣に命じて、現在是非必要な陸海軍軍費ぐんぴの特別支出にかんする案を提出させることにした。

 ちん淸國しんこくが、我が帝國ていこくと共に、東洋全體ぜんたいの平和を保つべき責任をかえりみないで、今日こんにちの事態を見るに至つたのをこの上もなく殘念ざんねんに思つてゐる。しかし朝鮮の獨立どくりつと東洋平和のために、これが妨害者と戰端せんたんを開いた以上、最早もはや當初とうしょの目的を達しなくては、ほこおさめられない。ちんわが帝國ていこく臣民しんみんが共に力をつくし心を合せて、ちんの目的を完成し、光輝こうきある勝利もとに東洋平和を再び以前の狀態じょうたいふくし、我が帝國ていこく榮譽えいよを高く中外ちゅうがいに押しひろめんことを望む。兩院りょういん議員は、懸命になつて勉勵べんれいしなくてはならない。

【備考】第七臨時議會ぎかいが開かれる前、第六議會ぎかいは第五議會ぎかい解散のあとを受けて開かれたのである。當時とうじ、第六議會ぎかいでは、すぐに政府不信任案ふしんにんあんが決議せられ、つづいて彈劾だんがい上奏案じょうそうあん可決といふことになつた。左樣そ うすると、內閣は再び議會ぎかい解散するよりほかにく道がない。このてんについて、陛下は深く憂慮ゆうりょせられ、「議會ぎかい政治は少し早過ぎたのではなからうか」と佐々木高行たかゆきおおせられたことがあつた。それは明治二十七年一月の頃だと拜聞はいぶんする。

 また第五議會ぎかい樣子ようすについても、明治天皇御心みこころとどめさせたまひ、始終しじゅう侍從じじゅう差遣さけんして議事ぎ じ傍聽ぼうちょうせしめ、激論などがあつた際には、ただちに電話を以てこれ奏聞そうもんせしめたもうた。したがつて議會ぎかいの事情を詳しく承知しょうちあらせられ、これを正導せいどうするについて、始終しじゅう叡慮えいりょろうせられたのである。以上は當時とうじ櫻井さくらい內大臣ないだいじん祕書官ひしょかん實話じつわで、しん恐懼きょうくへない。第七臨時議會ぎかいあたり、國家重大の時機に臨んで、特に議員に諭さとたもうたのは、在來ざいらいの例を顧慮こりょあそばされ、只管ひたすら、政府と議會ぎかいの協和を望ませられた事によると拜察はいさつする。この聖諭せいゆ恐懼きょうくして、議會ぎかいが一路、擧國きょこく邁進まいしんしたのは、ここに申すまでもない。