55 內閣組織改定ノ詔勅 明治天皇(第百二十二代)

內閣ないかく組織そしき改定かいてい詔勅しょうちょく(明治十八年十二月二十三日 官報

【謹譯】ちんおもフニ、經國けいこくようハ、かんせいさだメテ機關きかんおのおのところルニリ。內閣ないかく萬機ばんき親裁しんさいもっぱとう簡捷かんしょうようスヘシ。いま組織そしきあらたメ、諸大臣しょだいじんヲシテおのおの重責じゅうせきあたラシメ、フルニ內閣ないかく總理そうり大臣だいじんもっテシ、もっ從前じゅうぜん各省かくしょう太政官だじょうかん隷屬れいぞくシ、上申じょうしん下行げこう經由けいゆ繁復はんぷくナルノへいまぬがレシム。すなわ各部かくぶいたりテハ、官守かんしゅあきらかニシもっ濫弊らんぺいのぞキ、選叙せんじょくわしクシもっ才能さいのうチ、繁文はんぶんはぶもっ淹滯えんたいつうシ、冗費じょうひせっもっ急要きゅうようケ、規律きりつげんニシもっ官紀かんきおごそかニシ、徐々じょじょもっ施政しせい整理せいりはかラントス。ちん諸大臣しょだいじんのぞところナリ。中興ちゅうこうせい、一タヒハすすミ一タヒハ退しりぞクヘカラス。じつつとメ、こうあがもくリ、永遠えいえんクヘカラシム。諸大臣しょだいじんおのおのちんたいシテ奉行ぶぎょうスルところアレ。

【字句謹解】◯經國ノ要 國政こくせい要點ようてんの意 ◯官其ノ制ヲ定メテ 政府が一定の制度を確立して ◯內閣 中央政府の最高機關きかん天皇直隷ちょくれいし、萬機ばんき翼賛よくさんし、大政たいせい會議かいぎする所 ◯萬機親裁 國政こくせいの全部にたいして天皇御名み なもとに親しく裁斷さいだんする ◯簡捷 手輕てがるですばやいこと ◯其ノ重責ニ當ラシメ の部分の責任を持せること ◯內閣總理大臣 內閣全部を總括そうかつする大臣の意。〔註一〕參照 ◯太政官 各省を總括そうかつする役所。〔註二〕參照 ◯隷屬 絕對ぜったい服從ふくじゅうする意 ◯上申 しもの意見をかみつたへる事 ◯下行 かみの意見をしもつたへること ◯經由繁復ナルノ弊 上申じょうしん下行げこう手續てつづきおおいに混み入つてゐる弊害へいがい ◯官守 各部の規定 ◯濫弊 規律のない弊害へいがい ◯選叙 人材登用の道の事。〔註三〕參照 ◯繁文ヲ省キ 手續てつづき上の混雜こんざつをはぶく ◯淹滯ヲ通シ 才能がありながら下位に留つてゐる人々を適所に任ずる事 ◯冗費 無駄な費用 ◯一タヒハ進ミ一タヒハ退クヘカラス 一進一退があつてはならない。すなわち確かな目的のもとに一歩づつ堅實けんじに進まなければならないとの意。〔註四〕參照 ◯華ヲ去リ 表面のみ華々はなばなしくて內容のともなはないのを避ける ◯實ヲ務メ 主として實質じっしつ本位にする ◯綱擧リ目張リ こうは方針の大要たいようもくはその細目さいもく。以上にしたがつた細目さいもくの內容をよく整理實行じっこうするの意味 ◯奉行スル所アレ よろしく施行しこうしてほしい。

〔註一〕內閣總理大臣 本勅ほんちょくただちに組織せられた我が國最初の內閣制度の閣僚かくりょう名を左に示す。

內閣ないかく總理そうり大臣兼宮內くない大臣 伯爵 伊藤博文ひろぶみ(長州、四十五歲)/外務大臣 伯爵 井上かおる(長州、五十一歲)/內務大臣 伯爵 山縣やまがた有朋ありとも(長州、四十八歲)/大藏おおくら大臣 伯爵 松方まつかた正義まさよし(薩州、五十一歲)/陸軍大臣 伯爵 大山いわお(薩州、四十四歲)/海軍大臣 伯爵 西郷從道つぐみち(薩州、四十三歲)/司法大臣 伯爵 山田顯義あきよし(長州、四十二歲)/文部大臣 子爵 森有禮ゆうれい(薩州、三十九歲)/農商務大臣 子爵 谷干城たてき(土州、五十歲)/逓信ていしん大臣 子爵 榎本えのもと武揚ぶよう幕臣、五十歲)/內閣顧問 伯爵 黑田くろだ淸隆きよたか(薩州、四十六歲)

及び內大臣ないだいじんは三じょう實美さねとみであつた。

〔註二〕太政官 この最初の內閣制度直前に於ける我が最高部の官制かんせいを次に示す。

太政だじょう大臣 三じょう實美さねとみ左大臣 熾仁たるひと親王しんのう

參議さんぎ宮內卿くないきょう 伊藤博文/同 外務卿 井上かおる/同 內務卿 山縣やまがた有朋ありとも/同 大藏おおくら卿 松方まつかた正義まさよし/同 陸軍卿 大山いわお/同 海軍卿 川村純義すみよし/同 司法卿 山田顯義あきよし/同 文部卿 大木喬任たかとう/同 農商務卿 西郷從道つぐみち/同 逓信ていしん卿 佐々木高行たかゆき

〔註三〕選敍 選敍せんじょの方法に就いて伊藤總理そうりは深く意をとどめ、標準を左記に決した。この規定が我が國官界かんかいに及した影響は大きいものがある。

(一)文官ぶんかん登用にかんする試驗しけんを普通・高等の二種に分つ。(二)判任官はんにんかんは普通試驗しけんたるもの、奏任官そうにんかんは高等試驗しけんたるものとす。(三)勅任官ちょくにんかん試驗しけんの外に置き、自由任用となす。(四)官立かんりつ大學だいがく卒業生は試驗しけんずして奏任官そうにんかんに任ず。

〔註四〕一タヒハ進ミ一タヒハ退クヘカラス 國會こっかい開設の詔勅しょうちょく渙發かんぱつ後、政治熱がおおいに起り、我國わがくにに於ける二大政黨せいとうぐ組織されたが、明治十六・七年に於ける政府の彈壓だんあつに逢ひ政黨せいとう受難の時代に直面した。時に藩閥はんばつ政府の中心人物たる伊藤博文は、諸般しょはんの制度改革に意を致し、第一に華族かぞくれいの制定で人氣にんきを取り、次に本詔ほんしょうはいする內閣組織につて憲法實施じっしの準備をなした。華族令の制定に就てはここでは次の詔勅しょうちょくげるにとどめる。

◯五しゃく制定の詔勅しょうちょく(明治十七年十月七日、官報

ちんおもふに、華族かぞく勳冑くんちゅうくに瞻望せんぼうなり。よろしくさずくるに榮爵えいしゃくを以てし、もっ寵光ちょうこうを示すべし。文武ぶんぶ諸臣しょしん中興ちゅうこう偉業いぎょう翼賛よくさんし、くに大勞たいろうある者、よろしくひとしく優列ゆうれつのぼし、もっ殊典しゅてんあきらかにすべし。ここに五しゃくのべ有禮ゆうれいちっす。卿等けいらますまなんじ忠貞ちゅうていあつくし、なんじ子孫しそんをして世々よ よさしめよ。」

第二の內閣組織の件は明らかに立憲りっけん政治創定そうていの準備として行はれた。本詔ほんしょうの直前に、『太政官だじょうかんたっし』を以て「今般こんぱん太政だじょう大臣・左右さ う大臣・參議さんぎ・各省卿しょうきょう職制しょくせいはいし、更に內閣總理そうり大臣及び宮內くない・外務・內務・大藏おおくら・陸軍・海軍・司法・文部・農商務・逓信ていしんの諸大臣を置く。內閣總理そうり大臣及び外務・內務・大藏おおくた・陸軍・海軍・司法・文部・農商務・逓信ていしんの諸大臣を以て內閣を組織す。」

との旨を發布はっぷし、〔註一〕に記した閣僚かくりょうを選定した。〔註三〕に記した選敍せんじょの法にかんする規定以外に、伊藤首相のおこなつた「官紀かんき五章」は(一)官守かんしゅを明らかにすること、(二)選敍せんじょくわしくすること、(三)繁文はんぶんはぶくこと、(四)冗費じょうひを節すること、(五)規律をげんにすることとあり、空氣くうき刷新さっしんの目的が全く本勅ほんちょくと一致してゐるのを見る。なほ本勅ほんちょく關係かんけいして『三じょう實美さねとみニ下シ給ヘル勅語ちょくご』(明治十九年一月十三日、三條實美公年譜)がある。

【大意謹述】おもふに、國政こくせいの根本は、官制かんせい確實かくじつに定めて各部分が適當てきとうにその機能を發揮はっきしなければならない。政府の最高機關きかんとして天皇直屬ちょくぞくする內閣は、天皇御名み なに於いて國政こくせい萬端ばんたん裁定さいていし、各方面を統一して、手輕てがるに事務を行ふ必要がある。この目的のもとに、今囘こんかい、內閣の組織を改造した。すなわち諸大臣に各管轄かんかつ方面についての重い責任を持たせ、その統一者として內閣總理そうり大臣を上に置き、今まで各省が太政官だじょうかん服從ふくじゅうして意見の上達じょうたつ、上部の意志がしもつたはることなどに就いて非常に複雜ふくざつ手續てつづきを要した所の弊害へいがいを除くやうにする。すなわち、各部共に官規かんき明瞭めいりょうにして在來ざいらいみだれてゐたへいを除き、人材登用を公平周到にして才能ある人物を適所に置き、萬事ばんじ官僚かくりょう趣味から生ずる手數てすうはぶいて下位にある賢才けんさいを登用したい。また無駄な費用は一切節約して是非行はなければならないものに限りこれを支出し、規律を嚴格げんかくに、官の規定を一そう尊重せしめ、一歩づつ國政こくせい實行じっこうする上に於いての整理へ進みゆく意志のもとに、以上の改造を行ふのである。ちんあらたに任命した諸大臣に希望するてんもこれにほかならない。

 王政おうせい復古ふっこの政治は、過去に行はれた如く、ちょう四ではならず、輕率けいそつに進んでただちに退くやうではならない。各方面の形式上の修飾を去り、內容本位にして、根本方針の確立した上で、細目さいもくを秩序立てて行ひ、一度確定したものは完成に至るまで永くつづけて行くやうにする。諸大臣はちんがここに內閣改造を命ずる意をよく了解し、この意志のもとに各方面を取締ることが必要である。

【備考】當時とうじ官制かんせい改革につれて、發表はっぴょうした文官ぶんかん任用令は、各方面の情實じょうじつを防ぎ、人材を比較的に登庸とうようすべき道を開く上に相當そうとう效果こうかがあつた。が、それは、要するに、明治時代だけのことで、それ以後はかえって人材登用の桎梏しっこくたるのかんがある。ドイツ流に、萬事ばんじ、規約づめでゆくといふのが、當時とうじの伊藤の考へであつたらうが、規則づくめも、度をすごすと、よくない。ここに反省しなければならぬてんがあつた。

 思ふに、明治天皇御思召おぼしめしは、伊藤らの考へと少しくことなつておはした事と拜察はいさつする。本勅ほんちょくはいすると、

(一)繁文はんぶんへいを去ること。(二)周到公平に人材を用ふること。(三)官紀かんき振肅しんしゅくすること。(四)各省の機能を十分發揮はっきすること。(五)施政しせいの整理に努力すること。

などがげられ、特に

を去つてじつけ」

おおせられてゐる。このてんに就て、當時とうじの諸大臣は、十分に聖旨せいし諒解りょうかいたてまつり、奉戴ほうたいじつげようとしたか、どうか。伊藤のくちは、むしろ「じつを去つてにつく」といふやうな弊害へいがいはなかつたか、繁文はんぶん褥禮じょくれいおちいつて、官僚かんりょう的に流れなかつたか、どうか、本勅ほんちょくはいするにつけて、感慨かんがい無量むりょうである。