53-2 國會開設ノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

國會こっかい開設かいせつ勅語ちょくご(第二段)(明治十四年十月十二日 三條實美公年譜)

【謹譯】かえりミルニ立國りっこくたいくにおのおのよろしキヲことニス。非常ひじょう事業じぎょうじつ輕擧けいきょ便べんナラス。そう照臨しょうりんシテかみリ。遺烈いれつ洪謨こうぼひろメ、古今ここん變通へんつうシテだんシテこれおこなフ、せめちんリ。まさ明治めいじ二十三ねんシ、議員ぎいん國會こっかいひらキ、もっちん初志しょしサントス。いま在廷ざいてい臣僚しんりょうめいシ、スニ時日じじつもっテシ、經畫けいかくせめあたラシム。組織そしき權限けんげんいたっテハ、ちんみずかちゅうさいシ、ときおよび公布こうふスルところアラントス。

【字句謹解】◯立國ノ體 くにつて立つ基本の意で、我が國體こくたいおうじた正しい道のこと ◯宜キヲ殊ニス 正しいと思ふてん相違そういがある。くにで正しくともくにでは正しくないことがあるとのおおせである ◯輕擧ニ便ナラス 輕々かるがるしくおこなふものではない ◯我カ祖 主として天照大御神あまてらすおおみかみ以後神武じんむ天皇までを申したてまつる ◯我カ宗 主として綏靖すいぜい天皇以下孝明こうめい天皇までを申したてまつる ◯照臨シテ上ニ在リ 上天じょうてんつて現在でも我が日本の統治者を保護せられてゐる意 ◯遺烈ヲ揚ケ 皇祖こうそ皇宗こうそうが後世にのこされた立派な御功業ごこうぎょうを受けぐこと ◯洪謨ヲ弘メ 偉大な御方針ごほうしんひろめる ◯古今ヲ變通シテ 古今の時世じせいかえりみ、現在の人情に最も適したやうにして行ふ意 ◯斷シテ之ヲ行フ 堅い決心のもとに行ふ ◯責朕カ躬ニ在リ 代議制體だいぎせいたいが失敗すれば、それが國體こくたいがっせず、祖宗そそう御憤怒ごふんぬを買へば、すべてはちんに責任があるとのおおせである ◯朕カ初志 最初五箇條かじょう御誓文ごせいもんの第一におおせられたもの ◯在廷臣僚 ちょうにある諸臣しょしん ◯經畫 計畫けいかくの意 ◯衷ヲ裁シ 中正ちゅうせいの道によつて裁斷さいだんする ◯公布 一般に發布はっぷする。〔註一〕參照

〔註一〕公布 本勅ほんちょく國會こっかい開設の時期を明治二十三年と決定されると、今まで全國ぜんこく風靡ふうびした民權派みんけんはたちまほこおさめて一その準備に熱中し、政黨せいとう組織に著手ちゃくしゅした。この當時とうじ結成された政黨せいとうは次の三種である。

(一)自由じゆうとう國會こっかい期成きせい同盟どうめいの中心となつた政黨せいとうで、黨首とうしゅ板垣いたがき退助たいすけであつた。(二)改進黨かいしんとう大隈おおくま重信しげのぶとうで組織された。(三)帝政黨ていせいとう

ここに於いて天下は自由・改進兩黨りょうとう對立たいりつとなり、以後五十年の今日こんにちに至るまで政友會せいゆうかい(自由黨の流れ)・民政黨みんせいとう(改進黨の流れ)の基礎を作つた。兩黨りょうとう綱領こうりょうの一部を示す。

(イ)自由とう 

◯自由とう盟約めいやく (一)吾黨わがとうは自由を擴充かくじゅうし、權利けんり保全ほぜんし、幸福こうふく增進ぞうしんし、社會しゃかいの改良をはかるべし。(二)吾黨わがとう善美ぜんびなる立憲りっけん政體せいたいを確立することを希望するものとす。(三)吾黨わがとうは日本國に於て、吾黨わがとうと主義をおなじくするものと一致協合きょうごうして、以て吾黨わがとうの目的を達すべし。

◯自由とう結成盟約 第一條/我黨わがとうわが日本人民の自由を擴充かくじゅうし、權利けんり伸張しんちょうし、及びこれを保存せしむるものあいがっしてこれを組織す。第二條/我黨わがとう國家こっかの進歩をはかり、人民の幸福こうふく增益ぞうえきすることをつとむべし。第三條/我黨わがとうわが日本國民のまさ同權どうけんなるべきを信ず。第四條/我黨わがとうわが日本國は立憲りっけん政體せいたいよろしきをるものなるを信ず。

(ロ)改進黨かいしんとう 

第一章/我黨わがとうなづけて立憲りっけん改進黨かいしんとうしょうす。第二章/我黨わがとう帝國ていこく臣民しんみんにして、左の冀望きぼうを有するものを以てこれ團結だんけつす。(一)王室の尊榮そんえいを保ち、人民の幸福こうふくまっとうする事。(二)內治ないちの改良を主とし、國權こっけん擴張かくちょうに及ぼす事。(三)中央干渉の政略をはぶき、地方自治の基礎を建つる事。(四)社會しゃかい進歩のしたがひ、選擧權せんきょけん伸濶しんかつする事。(五)外國がいこくたいし、勉めて政略上の交渉を薄くし、通商關係かんけいを厚くする事。(六)貨幣の制は硬貨の主義をする事。

【大意謹述】一歩を進めてかえりみると、建國けんこく本義ほんぎ各國かっこくつてことなり、の國で正しいと思ふ方針もくにでは正しくない場合がある。ゆえ代議制だいぎせいの開始はすこぶる我が國體こくたい上から愼重しんちょうに考ふべき重要事であり、いたずらに輕々かるがるしく決しるものではない。現在でも我が皇室の御祖先ごそせんの方々の御威靈ごいれいは、上天じょうてんにましまして皇室を守られ監視かんししてをられる。ちんはこの御祖先ごそせんのこされた偉大な功業こうぎょうを一そう輝かすために、また皇室の大方針をひろめるために、古今を通じて考へ、政治上の態樣たいよう、方式を時勢じせいに合ふやうにやわらげ、非常な決心のもとに代議制を行はんとするのである。これから生ずる全責任はちんにある。ちんは明治二十三年に議員を召集しょうしゅうして國會こっかいを開き、それを通してちんが最初から持つてゐた萬機ばんき公論こうろんに決する方法をまっとうせんことを國民に向ひ宣言する。それについて、今、在朝ざいちょうの諸大臣・諸臣しょしんに命じて、各種の必要な計畫けいかくと準備と行ふだけの時日じじつを十分にあたへる。國會こっかいの組織及び權限けんげんなどに就いては、ちん親しく中正ちゅうせいの道によつて裁決さいけつし、る時期に一般に告げ知らせるであらう。

【備考】本勅ほんちょくおおせられた如く、「立國りっこくたいくにおのおのよろしキヲことニス」といふことが、根本的な重要意義である。當時とうじ、政府及び野黨やとうの一部は、多く歐米おうべい文化追隨ついずいに傾き、一歐米おうべいの代議制を鵜呑う のみにするやうな傾向が多かつた。明治天皇におかせられては、特にこのてん御心みこころを注がれ、「ちんみずかちゅうさいシ」云々うんぬんおおせられて、中庸ちゅうよう中正ちゅうせいの道に起つべきむねを明白に御敎示ごきょうじなされたのである。