51 元老院・大審院ヲ設置シ地方官ヲ召集スルノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

元老院げんろういん大審院たいしんいん設置せっち地方官ちほうかん召集しょうしゅうスルノ勅語ちょくご(明治八年四月十四日 太政官日誌)

【謹譯】ちん卽位そくいはじめしゅトシテ群臣ぐんしんかいシ、五もっ神明しんめいちかヒ、國是こくぜさだメ、萬民ばんみん保全ほぜんみちもとム。さいわい祖宗そそうれい群臣ぐんしんちからトニたよリ、もっ今日こんにち小康しょうこうタリ。かえりみルニ中興ちゅうこうあさク、內外ないがいことまさ振作しんさ更張こうちょうスヘキものすくなシトセス。ちんいま誓文せいもん擴充かくじゅうシ、ここ元老院ごんろういんもうケ、もっ立法りっぽうみなもとひろメ、大審院たいしんいんキ、もっ審判しんぱんけんかたクシ、また地方官ちほうかん召集しょうしゅうシ、もっ民情みんじょうつう公益こうえきはかリ、漸次ぜんじ國家こっか立憲りっけん政體せいたいテ、なんじ衆庶しゅうしょともけいよらントほっス。なんじ衆庶しゅうしょあるいきゅうなずルルことク、またあるいすすムニかるスニきゅうナルことク、ちんむねたいシテ翼賛よくさんスルところアレ。

【字句謹解】◯五事ヲ以テ神明ニ誓ヒ 五箇條かじょう御誓文ごせいもんおこなはせられた事。〔註一〕參照 ◯國是ヲ定メ くにとして今後進むべき方針を決定する ◯萬民保全ノ道 國民こくみん全部が生命財產ざいさんに心配なく各自のぎょうにいそしむべき手段 ◯祖宗ノ靈 御祖先ごそせん代々の天皇御靈みたま ◯小康 平和な時 ◯中興 衰へてゐた皇威こうい恢復かいふくすること。ここでは明治維新いしんを指す ◯振作更張 共に今までゆるんでゐたものを改めてふるおこし、緊張させる事 ◯擴充 押しひろめる ◯元老院 國家こっか功勞こうろうあり元老げんろうとなつた人々が集合して國事こくじ論議する場所。〔註二〕參照 ◯大審院 裁判所の最高位にあるもの ◯審判ノ權 裁判けんのこと ◯公益ヲ圖リ 一般國民の利益りえきを問題とし考慮こうりょする ◯立憲ノ政體 ここでは代議だいぎ政體せいたいの意 ◯其ノ慶ニ賴ント欲ス そのにあづからうとする ◯舊ニ泥ミ故ニ慣ルル ふるい習慣からだっし切れないで、新しいことをすべて嫌ふ意 ◯進ムニ輕ク爲スニ急ナル事 輕擧けいきょ盲動もうどうして愼重しんちょうな態度を忘れること ◯翼賛 賛成して補助する。

〔註一〕五事 五箇條かじょう御誓文ごせいもんとは、

一、ひろ會議かいぎおこし、萬機ばんき公論こうろんけっすべし。

一、上下しょうかこころを一にして、さかん經綸けいりんおこなふべし。

一、官武かんぶ庶民しょみんいたまでおのおのこころざしげ、人心じんしんをしてざらしめんことをようす。

一、舊來きゅうらい陋習ろうしゅうやぶり、天地てんち公道こうどうもとづくべし。

一、智識ちしき世界せかいもとめ、おおい皇基こうき振起しんきすべし。

のことで、その謹譯きんやく・意義に就いては『思想社會しゃかい篇』参照さんしょうのこと。

〔註二〕元老院 元老院げんろういんの設置は、前勅ぜんちょくの「議院憲法」と共に立憲りっけん政治への前驅ぜんくであつた。大久保おおくぼ利通としみち臺灣たいわん征伐せいばつ計畫けいかくするや、木戸き ど孝允こういん斷然だんぜんこれ反對はんたいして挂冠けいかんし、政府の實權じっけんは二三の長州人ちょうしゅうじんを除けば大久保を中心とした薩派さっぱの手にしたかんがあつた。ところが臺灣たいわん征伐せいばつ處理しょりに失敗するに及んで、政府の威信いしん失墜しっついさせ、民心みんしん益々ますます惡化あっかする傾向があつた。この時に在野ざいや井上馨いのうえかおる在朝ざいちょう伊藤いとう博文ひろぶみとが大久保・木戸・板垣などの妥協提携を持ち出し、三者の了解を得て、八年一月に所謂いわゆる「大阪會議かいぎ」が開かれ、

(一)政府の二三權力けんりょくを持たせることを避け、元老院げんろういんを設けて立法上の手續てつづき鄭重ていちょうにし、他日たじつ國會こっかいおこす時の準備をすること。(二)裁判の基礎を鞏固きょうこにし、司法けん獨立どくりつを確保する必要上、大審院たいしんいんを設けること。(三)上下の民情みんじょう疎通そつうするため、地方長官會議かいぎ召集しょうしゅうすること。(四)參議省卿さんぎしょうきょうを分離し、參議さんぎは內閣につて君主輔弼ほひつの責にあたらしめ、省卿しょうきょうは行政事務を取扱はせること。

條件じょうけんとして三者は握手した。板垣は同志の後藤ごとう象二郞しょうじろう元老院げんろういん副議長に推薦し、島津しまづ久光ひさみつ左大臣となり、熾仁たるひと親王しんのうを議長にほうじ、ここに本勅ほんちょくが下されたのである。

〔注意〕本勅ほんちょくつて開かられた元老院げんろういんかんしては、の如き勅語ちょくごがある。

(一)元老院げんろういん開院式かいいんしき勅語ちょくご(明治八年七月五日、太政官日誌)(二)元老院げんろういん議長熾仁たるひと親王しんのう國憲こっけん起草きそうヲ命スルノ勅語(明治九年九月六日、三條實美公年譜)

がある。その閉院へいいんしたのは帝國ていこく議會ぎかい開會かいかいの明治二十三年で、その際、みことのりはっせられた。

(三)元老院げんろういん閉院へいいん詔勅しょうちょく(明治二十三年十月二十日、官報

【大意謹述】ちんは、卽位そくいの始め、群臣ぐんしんかいして五箇條かじょうかみ御前みまえに誓ひ、將來しょうらい國家こっか方針を決定して、國民こくみんが何の不安もなくおのおのぎょうはげむべき方法を採つた。さいわひにして我が皇室の御先祖ごせんぞ御威靈ごいれいと、諸臣しょしんの努力とを以て、今日こんにちの平和を得たのである。しかかえりみれば王政おうせい復古ふっこ號令ごうれい以來いらいいまあさく、內外多事た じ、一そう緊張しておおいに政治を振興しんこうしなければならぬ。ちんここに五箇條かじょう神前しんぜんに誓つた意味をひろく押しひろめて、今囘こんかいあらた元老院げんろういんを設け、それによっ國法こくほうの基礎を鞏固きょうこにし、一方大審院たいしんいんを置いて國家の裁判けんを確立し、更に地方官を定期に集めて、國民の政府にたいする希望を上達じょうたつせしめ、一般の利益りえきを考慮し、一歩づつ次第に代議制度に近付き、汝等なんじら諸臣しょしん及び全國民と共にその利にあづからうと考へる。諸臣しょしん及び一般國民はいたずら舊習きゅうしゅうからだっし切らないで新しい設備を嫌ふことなく、又輕擧けいきょ盲動もうどうして漸進ぜんしんを忘れることなく、中庸ちゅうようの道を進むちん趣意しゅいく了解し、今囘こんかい兩院りょういんの設置目的に賛成して、それを效果こうかあらしめるやう協力せよ。

【備考】當時とうじ上述じょうじゅつの大阪會議かいぎで、木戸き ど孝允こういんみずから筆を執つて畫定かくていした改革案を圖表ずひょうあらはしたものがる。それは左の如きものであつた。

天皇陛下―(左・右)內閣太政大臣―(上)元老院げんろういん大審院たいしんいん・行政―(下)地方官

 以上の趣旨がのち具體化ぐたいかされ、左右兩院りょういんをやめて、元老げんろう大審たいしん二院の設置を見た。當時とうじ元老院げんろういん議員官となつた最初の人々は、

かつ 安芳やすよし・山口尙芳なおよし鳥尾とりお小彌太こ や た・三浦梧樓ごろう・津田 いづる河野こうの敏鎌としかま・加藤弘之ひろゆき・後藤象二郞しょうじろう由利ゆ り公正きみまさ福岡ふくおか孝弟こうてい陸奥む つ宗光むねみつ・松岡時敏ときとし副島そえじま種臣たねおみ・吉井友實ともざね

らで、第二囘目かいめに任命せられたのは、

熾仁たるひと親王しんのう柳原やなぎはら前光さきみつ・佐野常民つねたみ黑田くろだ淸綱きよつな長谷は せ信篤のぶあつ大給おおぎゅう つね壬生み ぶ基修もとのぶ秋月あきづき種樹たねき・佐々木高行たかゆき齋藤さいとう利行としゆき

らの人々である。以上のうちかつ副島そえじま福岡ふくおかの三人は議官の任を拜辭はいじしたとつたへられる。その開院せられたのは、八年七月五日だつた。