49 地租改正ノ勅語 明治天皇(第百二十二代)

地租ち そ改正かいせい勅語ちょくご(明治六年七月二十八日 太政官日誌)

【謹譯】ちんおもフニ、租稅そぜいくに大事だいじ人民じんみん休戚きゅうせきかかところナリ。從前じゅうぜんほう一ナラス、寬苛かんか輕重けいちょうおおむへいス。よっこれ改正かいせいセントほっシ、すなわ所司しょし群議ぐんぎリ、地方官ちほうかん衆論しゅうろんつくシ、さら內閣ないかく諸臣しょしん辯論べんろん裁定さいていシ、これ公平こうへいかく一ニセシメ、地租ち そ改正法かいせいほう頒布はんぷス。庶希こいねがわく厚薄こうはくへいナク、たみ勞逸ろういつへんナカラシメヨ。主者つかさどるもの奉行ぶぎょうセヨ。

【字句謹解】◯休戚 喜憂きゆうの意 ◯從前其ノ法一ナラス 今までは地租ち その基準が確定せず、現物げんぶつ納稅のうぜいもあり豐凶ほうきょうによつて變化へんかがあつたこと。なほ〔註一〕參照 ◯寬苛 寬大かんだいな部分もあり嚴格げんかくな場所もあつたこと ◯所司 その方面を專門せんもんとする役人 ◯辯論裁定 論じ合つて採りきめる ◯公平畫一 地による區別くべつなく全部同一な方法のもと租稅そぜいを集めること。これは金納きんのう・法定地價ち かの千分の三に一定した意 ◯ 地租ち そのこと ◯勞逸の偏 苦勞くろうするたみ安樂あんらくするたみとの區別くべつがないやうにとおおせられたのである ◯主者 その方面の役人 ◯奉行 實施じっしする。

〔註一〕從前其ノ法一ナラス 明治維新いしんの結果、財政方面も中央集權しゅうけんとなり、全國の租稅そぜい國庫こっこおさめるやうになると、地租ち そすなわち主として田租でんそ國家こっか收入しゅうにゅうの大部分を占める事になつた。明治元年歲計さいけいを見ると、租稅そぜい收入しゅうにゅう總額そうがくは三百六十萬圓まんえんで、そのうち地租ち そが二百萬圓まんえんを占め、海關稅かいかんぜい開市港場かいしこうじょう諸稅しょぜい運上うんじょう冥加みょうがなどの諸稅しょぜいであつた。明治六年度の租稅そぜい收入しゅうにゅうは、六千五百萬圓まんえん、同期の歲出さいしゅつは六千二百萬圓まんえんであり、地租ち そ收入しゅうにゅうは六千萬圓まんえんであることを考へれば、地租ち その財政上に占める地位が判明する。

 明治初年に於ける地租ち そ金納きんのう物納ぶつのうとに分かれ、田畑でんばたぜいは米・大豆などの所謂いわゆる現物げんぶつ納稅のうぜいであつた。明治五年二月に地券ちけん發行はっこうし、地租ち そ收納しゅうのう規則を發布はっぷし、六年七月に本勅ほんちょくはっして地租ち そ改正條例じょうれい及び施行しこう規則を制定した。これは我國わがくに地租ち そ法規ほうき上に於ける重大な改正である。

(一)今まで田租でんそとしての現物げんぶつ(米納)をすべ金納きんのうにした事。(二)課稅かぜいの標準を、從來じゅうらい收穫しゅうかく(土地の石高)を基礎とし時に豐凶ほうきょうにより變化へんかしたのをはいし、今後は土地の原價げんか(法定價格)を標準とした事。(三)課稅かぜい程度を地價ち か百分の三とした事。

右の三特徵とくちょうがあつた。

 更に明治八年三月第百三十三 ごう布告ふこくで、市街地地租ち そ地價ち かの百分の三を稅率ぜいりつとし、十三種の新稅しんぜいを設け、舊幕きゅうばく時代から行はれた諸雜稅ざつぜいはいした。なほ『減租げんそ勅語ちょくご』(明治十年一月四日、三條實美公年譜)は本勅ほんちょくと直接關係かんけいを持つものとして注目される。(『思想社會篇』参照)

【大意謹述】かえりみるに、租稅そぜい國家こっかの重大事であるのみでなく、國民の喜憂きゆうに直接關係かんけいする所である。しかるに過去に於いての方法はかく一でなく、寬大かんだいな場所、苛酷かこくな地方、重い場合、かるい部分とふ具合にほとんど平均のよろしきを得てゐない。ゆえちんはこのてんを改正しようと考へ、その方面の役人の意見をちょうし、つ各地方官の考へをも聞き、內閣に於ける諸大臣と共に協議して最後案を決定した。すなわち全國に向つて公平に稅率ぜいりつを定め、ここ地租ち そ改正法を實施じっしする。ちんは國民がこの規定を十分守ることにつて、地租ち そについての不平なく、國民が場所によつて苦勞くろうする者と安樂あんらくする者との區別くべつを生じないやう希望する。かかりの役人はこのむねしたがつて施行しこうしなければならない。

【備考】明治十八年、內閣制度の變更へんこうせられる迄、明治天皇みずからは寸土すんどゆうたまはず、功臣こうしんにのみ土地をあたへられた。十八年の時、それは恐れ多いといふので、全國官有林かんゆうりんいて、皇室財產ざいさんとしたのである。こんな具合で、明治天皇は、只管ひたすら愛民あいみんの一てん大御心おおみこころを注がれた。田租でんそ改正の如きも、矢張やはり、愛民の御思召おんおぼしめしによる。

 田租でんそ改正については、明治三年、神田かんだ孝平こうへい建議けんぎし、翌四年、大久保おおくぼ利通としみちたてまつり、五年、神奈川かながわ縣令けんれい陸奥む つ宗光むねみつまた田稅でんぜいを改正すべき意見を捧呈ほうていした。陸奥む つは、主として

(一)在來ざいらい石高こくだか反別はんべつ石盛こくもり免檢地めんけんち檢見け みとう一切の舊法きゅうほうをやめ、現在の田畑でんばた實價じっかによつて、その幾分いくぶん課稅かぜいし、年期ねんきを定めて、地租ち そとすべき事。(二)在來ざいらいの上・中・下でんしょうこん一し、ただその土地の良否りょうひ肥瘠ひせきについて眞價しんかを定め、そのあたいよっ稅額ぜいがくを定めること。

建議けんぎしたのである。ここに至つて、陸奥む つの意見はれられ、租稅頭そぜいのかみに任命され、地租ち そ改正の事業に從事じゅうじしたのである。その結果出來たのが地租ち そ改正條例じょうれいだつた。