48 三條實美ニ國費節約ヲ仰セラレシ勅諭 明治天皇(第百二十二代)

じょう實美さねとみ國費こくひ節約せつやくおおセラレシ勅諭ちょくゆ(明治六年五月 太政官日誌)

【謹譯】ちん前日ぜんじつ囘祿かいろくわざわいヒ、宮殿きゅうでんこれため蕩盡とうじんストいえどモ、いま國用こくよう夥多か たときさいシ、造築ぞうちくこともとヨリこれすみやかニスルヲねがハス。ちん居室きょしつため民產みんさんそんシ、黎庶れいしょくるしマシムルコトなかルヘシ。なんじ實美さねとみたいセヨ。

【字句謹解】◯囘祿ノ災 囘祿かいろくは『左傳さでん』にある語で火のかみのこと。てんじて火災の義となる ◯蕩盡 跡方あとかたもなく失はれること ◯國用夥多ノ時 多方面に國家こっかとしての出費が非常に多い時 ◯之ヲ丞ニスルヲ希ハス これ國費こくひを指す。すみやかにするはすみやかにするに同じ ◯朕カ居室 宮城きゅうじょうのこと ◯民產ヲ損シ 人民の資財 ◯黎庶 一般國民のこと。

【大意謹述】先日、火災のために宮殿が跡方あとかたもなくけ失せたが、現在、諸方面に國費こくひ支出が非常に多く重なつてゐる時、宮殿の造築に國費を使用するのをちんは元より望まないと同時にこれを速かにする必要もない。ゆえちんの平常る場所を作るため、國民の資財を損じ、一般臣民しんみんを苦しめてはならない。なんじ實美さねとみよ。ちんの意を了解して適當てきとう處理しょりせよ。

【備考】本勅ほんちょくにある通り、明治天皇當時とうじ皇居新築を見合はしたまひ、明治二十二年一月迄、赤坂あかさか離宮りきゅうかり皇居として御起臥ご き がなされた。赤坂離宮は、昔の紀州きしゅう德川とくがわ家の邸宅ていたくで、相當そうとう立派ではあるが、皇居としては手狹てぜまであるので、後、增築ぞうちくされた。これより先、當局とうきょくでは、明治十六年七月、皇居造營ぞうえいの事に決し、豫算よさん八百萬圓まんえん豫備よ び費二百萬圓まんえん和洋わよう折衷せっちゅうの建築をむね奏上そうじょうすると、明治天皇は、「そんな大規模の宮殿を作るに及ばぬ。また西洋かんようがない。よって二百五十萬圓まんえんと限定して、全部日本てとし、質素第一とせよ」とおおせられた。それで皇居御造營係ごぞうえいがかりでは、右の叡旨えいしほうじて皇居建築に著手ちゃくしゅしたのである。

 のち伊藤いとう博文ひろぶみ宮內卿くないきょうとなつた時、「現在のやうではあまりに規模が小さく、工事を進める上にも具合がわるうございます」と申上げ、ようやく御許可を得て百四十萬圓まんえん增額ぞうがくし、年限ねんげんを短縮して完成した。それが今の宮城きゅうじょう(改築前の宮內省を含む)である。ここ恐懼きょうくへぬのは、明治天皇が日常御起臥ご き がになる奥御殿おくごてんの極めて質素な一だ。そこには何の裝飾そうしょくもなく、普通人民の住居すまいの如く、質素である。明治天皇如何い かを以て質素のはんを示されたかが拜察はいさつされる。