44 贋金處分ノ困難ニ就テ諮問シ給ヘル勅語 明治天皇(第百二十二代)

贋金がんきん處分しょぶん困難こんなんつい諮問しもんたまヘル勅語ちょくご(明治二年九月二日 法規分類大全)

【謹譯】贋金がんきん天下てんか蔓延まんえんス。しばしば嚴禁げんきんアレトモ、いまこれしょスルほうス。かんあるい眞貨しんかもっ引替ひきかえンカ、これかんひらあくおしうルナリ。あるいことごとこれはいセンカ、しゅはなはおおシ。美惡びあくならびはいス、おいおこなハレス。あるいしつせっシテ元估げんこもっテコレヲハンカ、これやや人情にんじょうちかキモ、ほうスンハ、かえっ怒謗どぼうまねカン。貨幣かへい流通りゅうつう國家こっかよっやすんスルところナリ。しかルニ上下じょうげ困弊こんべい如此かくのごとく加之しかのみならず互市ご しさい紛紜ふんうんナキことあたハス。皇威こういそんスルまたすくナカラス。方今ほうこんなんさくこれすくヒ、公私こうし兩便りょうべんン。よろし商議しょうぎシテもっ上聞じょうぶんセヨ。

【字句謹解】◯贋金 にせがね。所謂いわゆる贋造がんぞう貨幣かへいのことで、當時とうじは幕府時代に無制限に發行はっこうした影響で非常にみだれてゐた。後文こうぶんに、「しゅはなはおおシ」とはいせられる如く、幾百種の紙貨幣しかへいが行はれてゐたのである。したがつて贋造がんぞう餘地よ ちおおいにあつた。〔註一〕參照 ◯天下ニ蔓延ス 天下じゅうにはびこりひろがつてゐた ◯之ニ處スル方 贋造がんぞうを禁じ通貨制度を安定させる方法 ◯眞貨ヲ以テ引替ンカ 贋造がんぞうのものにたいして正しい貨幣で引替ひきかえおこなつたならばの意で、これを實行じっこうすればますます多くなるのは目に見えてゐる。ゆえに「かんひらあくおしうルナリ」とおおせられた。かいは指導すること ◯美惡竝ニ廢ス 眞貨しんか贋貨がんか共に全廢ぜんぱいする意で、これは何かそれに代るものがなければ實行じっこう出來るものではない。ゆえに「おいおこなハレス」とおおせられてゐる ◯質ヲ折シテ 內容となつてゐる質を分析しての意。その內に含まれてゐるだけの金屬きんぞく價値か ちで買ひとること ◯元估 元價げんか ◯怒謗ヲ速カン 非難を受けるであらう。〔註二〕參照 ◯上下困弊 社會しゃかいの上下が贋貨がんかの横行でおおいに苦しむ事。これは國內の事情に就いておおせられたのである。〔註三〕參照 ◯互市ノ際 海外かいがい諸國しょこくとの交易こうえきの時 ◯紛紜ナキ事能ハス いろいろの困難を生ぜざるを得ない。これは國際こくさい關係かんけいに就いておおせられた ◯商議 各自がこの問題を論じ合ふ。〔註四〕參照。

〔註一〕贋金 維新いしん當時とうじ我國わがくにに流通してゐた貨幣の種類は鑄造ちゅうぞう貨幣と紙幣とに分かれ、前者は金貨・銀貨・銅・眞鍮しんちゅうてつ諸錢しょせん、後者は金さつ・銀札・米札べいさつなどで、諸藩しょはん發行はっこうしたものを合算すると、千六百九十四種に達してゐる。その種類は、

(一)金貨―大判おおばん・一りょう小判こばん・二ばん・二朱判しゅばん。(二)銀貨―一分判・一朱判・丁銀ちょうぎん豆板銀まめいたぎん。(三)銅・眞鍮しんちゅうてつ諸錢しょせん永錢えいせん・銅一文錢もんせん眞鍮しんちゅう文錢(寬永通寶)・眞鍮しんちゅうとうせん(天保通寶)・銅四文錢もんせん文久通寶)・てつ四文錢(寬永通寶)・てつ一文錢(寬永通寶)など。(四)紙幣―金札・銀札・米札べいさつ錢札せんさつ永札えいさつ傘札かさふだ紐絲札ひもいたさつ轆轤ろくろさつなど

で、明治八年大藏省おおくらしょうの調査によれば、明治二年度に於ける貨幣の流通總額そうがくは一億四千六百萬圓まんえんに達してゐたといふ。

〔註二〕當局の憂慮 明治政府の基礎が未だ確定せず、中央集權しゅうけんじつが完備しない當時とうじでは、未だ德川とくがわ三百年の恩顧おんこを忘れ得ない人々が多く、政府の本質を理解しないで、事每ことごと反對はんたいする者も少くはなかつた。ゆえ幣制へいせい問題で一歩をあやまれば、政府の前途はやみであるから、當局者とうきょくしゃは極度に警戒したのである。

〔註三〕上下困弊 明治政府は鎖國さこく制度を撤廢てっぱいしたため、諸外國の物品がうしおのやうに流れ込んでた。鎖國さこく制度のもとに於いてすら金の海外かいがい流出に苦しんだ我國わがくにであつた。新政府に至つて、この問題が表面にあらはれ困惑したのは當然とうぜんである。幕末當時とうじの日本では金一銀十六であつたがそれにたいし、金一銀十六あるいは金一銀十五でゆける外國人がこれ壓倒あっとうしようとしたのは當然とうぜんである。かくて我が金貨は市場から影をひそめ、きゅう銀貨の良質なものも續々ぞくぞく海外に流出した。明治二年正月の一箇月間だけでも、横濱よこはまから海外に輸出した一銀貨が約二百萬枚まんまいに及んだといふ。その結果、當然とうぜん物價ぶっか暴騰ぼうとうとなり、國民經濟けいざい上に非常なあく影響を及ぼした。本勅ほんちょくはその對策たいさくの必要からはっせられたと拜察はいさつする。

〔註四〕商議 明治政府の幣制へいせいについて當局とうきょくはいろいろ智慧ち えしぼつた。明治二年三月に參與さんよ大隈おおくま太郞たろう(重信)・造幣ぞうへい判事はんじ久世く ぜ治作じさく建議けんぎにより、貨幣の形を圓形えんけいとし、十進法しんほうを採用し、三年十一月には太政官だじょうかん裁定さいていとして、本位ほんいえん銀貨・補助五十せん銀貨・補助二十錢銀貨・補助十錢銀貨・補助五錢銀貨・補助十えん金貨・補助五圓金貨・補助二圓半金貨・一銅貨・半銀銅貨・一りん銅貨の品位ひんい量目りょうもくを決定公表した。しかるに、この銀貨中心の所謂いわゆる銀本位にたいして、きに財政研究のため歐米おうべいに出張した大藏おおくら少輔しょうふ伊藤いとう博文ひろぶみきん本位を主張し、世界の大勢たいせい說明せつめいしたので、政府は四年五月十日の貨幣法で、斷然だんぜんこれを採用した。新貨しんか條例じょうれいと世にしょうせられるのがこれである。今その內容についての說明せつめいを引用する。

皇國こうこく往古おうこより他邦たほう貿易の事少なく、貨幣の制度未だ精密せいみつならず。品類ひんるい各種にして價位か いまた一定せず。今の概略をげんには、慶長金けんちょうきんあり、享保金きょうほきんあり、門司も じきんあり、大小判だいしょうはんきんあり、一金あり、二分金あり、二しゅ金あり、一銀あり、一朱銀あり、とうせんあり、大小數種すうしゅの銅せんあり、一時通用の貨幣は枚擧まいきょいとまあらず。はなはだしきは一こくぐん限りの貨幣ありて、今に至る迄わずかの一部を通用し、他方に通用せざるものあり。おのおの品類ひんるい區々まちまちにして、方圓ほうえん大小あたいことにし、混在こんざい雜駁ざつばくの質をおなじうせず。

そもそも貨幣の眼目がんもくたる量目りょうもく性合せいごうとに至りては、ほと辨知べんちすべからず。新舊しんきゅう互ひに雜用ざつようし、品目ひんもくおのずから低下し、あいだあるい贋造がんぞうへいあり、つい今日こんにちはなはだじきに馴致じゅんちせり。偶々たまたま良性の貨幣は、いたずら富豪ふごう庫中こちゅう寶物ほうもつとなり、あるいは外國へ輸出ゆしゅつせしもまた少からず。ついに諸品換用かんようの能力を失ひ、日常便利のみちふさぎ、流通の公益こうえきほとんどえんとするに至る。じつれ天下一般の窮厄きゅうやくにして、萬民ばんみん痛心つうしんあるいこれより大なるものなし。今緣由えんゆ尋繹じんえきするに、全く一定の價位か いなくして、善惡ぜんあく良否りょうひ雜用ざつようするの舊弊きゅうへいより生ずることなり。方今ほうこん貿易のみち彌々いよいよさかんなる時にあたり、舊弊きゅうへいを改めて數量すうりょう眞正しんせいを設けず、何を以て流動のみちを開き、富國ふこくもといを立てんや。れ政府の責任にして、しか燃眉ねんびの急務たり。ゆえに去る明治がん戊辰ぼしんの年より早くこうおこし、莫大の經費けいひいとはず、大阪に於てあらた造幣寮ぞうへいりょう建置けんちし、壯大そうだいなる機械を備へ、ひろ宇內うだい各國の貨幣の眞理しんりを察知し、金銀の性質量目りょうもくより、割合の等差とうさ鑄造ちゅうぞうの方法に至る迄、つまびらかに普通のせいを比較照量しょうりょうし、以て精密せいみつの通用貨幣を鑄造ちゅうぞうし、在來ざいらいの貨幣にあわせて一般の流通をたすけんとするの都合をはかり、すで開寮かいりょう儀典ぎてんを完了せり。されどもさきへる如く、區々まちまちに各種の貨幣多ければ、現狀げんじょう諸品の價値か ち錯亂さくらんし、萬民ばんみんの迷惑なることなれば、全然新舊しんきゅうを交換して在來ざいらいの通貨をことごと改鑄かいちゅうし、すべ品類ひんるいを一定せしめんとの御趣意ごしゅいなり。つ貨幣は天下萬民ばんみん通寶つうほうたる趣旨にもとづき、地金じがね持參じさんして引換ひきかえを望む者へは、すみやか改鑄かいちゅうしたる通用貨幣を渡すべし。されば今人こんじん古來こらい舊習きゅうしゅうおそひ、重代じゅうだい寶物ほうもつとせば、古金銀こきんぎんの財も財とならずして、全く地金じがねようの物となるべければ早々交換流通して、貨幣の眞理しんりを失はざるやう注意すべきこと肝要かんようなり。過去あらたに造幣寮を設けしも、ひとへに萬民ばんみん保護に任ずるの職分しょくぶんつくすのほかあるにあらざれば、萬民ばんみんまた會得えとくし、各々おのおのの務めを勉勵べんれいして天賦てんぶの職をつくすべし。よって今ここの次第を掲示し、あわせて新貨幣の眞型しんけいうつし、量目りょうもく品位ひんいを添へ、地金じがね引換の規則等詳細に附錄ふろくし、あまねく國內に頒布はんぷ豫告よこくするものなり。」

 この布告ふこくと共に貨幣例目れいもく量目りょうもく公差表こうさひょう・新貨幣通用制限などが公布こうふされ、多少の改正をて明治八年六月二十五日に貨幣條例じょうれい改稱かいしょうして布告ふこくした。

 次に明治の紙幣を一げんすれば、

(一)太政官だじょうかんさつ明治元年四月)—十兩札りょうさつ・五兩札・一兩札・一分札ぶさつ・一朱札しゅさつわかれ、明治二年五月までに四千八百萬兩まんりょうに達した。(二)民部省みんぶしょうさつ(二年九月)—二・一分・二しゅ・一朱に分れ、三年十月までに七百五十萬兩まんりょうに達した。(三)大藏省おおくらしょう兌換だっかん證券しょうけん(四年十月)—十りょう・五兩・一兩に分れ、五年二月までには六百八十萬兩まんりょうに達した。(四)開拓使かいたくし兌換だっかん證券しょうけん(五年一月)—十えん・五圓・一圓・五十せん・二十錢・十錢に分れ、發行額はっこうがくは二百五十萬圓まんえんであつた。(五)新紙幣(四年十二月)—百えん・五十圓・十圓・五圓・二圓・一圓・半圓・二十せん・十錢に分れ、十二年までには一億二千萬圓まんえんに達した。その他に銀行紙幣もあつた。

【大意謹述】贋造がんぞう貨幣が現在天下中にはびこりひろがつてゐる。政府では嚴重げんじゅうにそれを禁止する命令を再三はっしたが、それを根絕こんぜつさせる確乎かっことした方針を未だ立てる事は出來ない。政府が正貨せいかと引換へるのも一方法であらうけれども、それは惡心あくしんいだく者を益々ますます增長ぞうちょうさせ、善人をもわるい方へ導く結果を招く危險きけんがある。次にこれ全廢ぜんぱいする手段も考へられる。が、現在流通してゐる種類があまりにも多く、贋造がんぞうと共に正しいものまではいするのは道理に合したことではない。更にげんに流通してゐる貨幣の性質を分析して、元價げんかで買ひ上げる方法があり、これは大分だいぶ人情とがっしてゐるけれども、十分に良法を考へないと、飛んでもない非難を招くであらう。

 一たい、貨幣がよく國民に流通すれば、それだけ國民の經濟けいざい生活が活潑かっぱつになるので、國家は安定する。それなのに現在の如く、贋造がんぞう貨幣及び多種のものが流通してをれば、社會しゃかいの上下共におおいに苦しみ、更に他國との交易にあたつて各種の問題が起つて面倒なことにならないとは限らない。我が皇室の國際間における威嚴いげんも、これにつて損ずることが少くないであらう。現にこれらを完全にすくひ、公私共に便利をるためには如何い かなる方法に採るのが良いであらうか。このてんを十分に論議して、相談のまとまり次第、ちん奏上そうじょうせよ。

【備考】以上は當時とうじ、明治政府に取つて最大の困難な問題だつた。その一ぱんは以上の記事によつてもあきらかである。ほこの難局に直面して、相當そうとう貢獻こうけんをした大隈おおくま重信しげのぶの談話(『大隈伯昔日譚』)所載)は最もくその頃の眞相しんそう穿うがつつてゐる。それに於て、貨幣問題の紛糾ふんきゅうするところ、由來ゆらい、久しきを述べ、「思ふに、貨幣の良惡りょうあく國運こくうん隆汙りゅうおかんするすくなしとせず。さかのぼりてきゅう幕府の情況じょうきょうを見るに、天正てんしょう慶長けいちょうの頃に際し、(中略)鑄造ちゅうぞうせし貨幣は、いわゆる慶長判けいちょうばんにして、の品質はほとんどたぐまれなりとしょうす。のち治平ちへいあいぎ、四みん無事にれ、奢侈しゃしふうようやく起りて、國帑こくど窮乏きゅうぼうを告げ、新鑄しんちゅうもしくは改鑄かいちゅうの貨幣は日一日、劣惡れつあくおもむき、また底止ていしする所を知らざる程なりし。くだりて享保きょうほの時に至り、德川とくがわ中興ちゅうこうしゅを以てしょうせらるる吉宗よしむね兵馬へいばけんを握りて世に臨むに及び、俄然がぜん立ちて積年せきねん弊政へいせい釐革りかくし、百ぱんの制度を改新し、貨幣の如きも、改鑄かいちゅうして慶長判けいちょうばんと優劣なからしめたり。いわゆる享保判きょうほばんなるものすなわれなり。しかれども惡風あくふう除却じょきゃくがたく、吉宗よしむね薨後こうごたちまちに改鑄かいちゅう事更ことさらに行はれ、貨幣の品位益々ますます劣惡れつあくおもむけり。くの如き場合には、貨幣の改鑄かいちゅうを以て一の財源とし、國帑こくど窮乏きゅうぼうへば、ただちにこれ實行じっこうし、劣惡れつあくの貨幣を以て、在來ざいらい良貨りょうかと交換し、餘分よぶんの差を以て益金えききんすの弊風へいふうあいぎて行はれたりき。加之くわうるに、全國大小幾百の諸藩も、かの尊王そんのう攘夷じょういろんさかんに起りて、內外騒然たる時に際しては、自ら兵器を整へ、軍隊をりて封內ほうない防務ぼうむに任ぜざるべからずといえども、如何いかんせん、二百すう十年らいの太平にれ、驕奢きょうしゃふけり、財帑ざいどすで窮乏きゅうぼうを告げ、平時へいじ供用きょうようすらほ不足に苦しむの時なりしを以て、ついこれおうずるあたはざりしを。ここおい各々おのおの衰ふるにじょうじて、貨幣の僞造ぎぞう贋造がんぞうくわだて、の急をすくふに至りたりき」と話說わせつしてゐる。

 以上の傾向は、明治初期に至り、一そうはなはだしきを加へたのである。「幕府の一銀・二分銀・太政官だじょうかんの一分銀・二分銀とことさらにの貨幣の鑄造元ちゅうぞうもと稱呼しょうこして、以て、太政官鑄造ちゅうぞうにかかる一銀・二分銀を嫌惡けんおするに至る。特にの大小諸藩に於て行ひきたりし貨幣の僞造ぎぞう贋造がんぞう德川とくがわ幕府の全くほろびて王政あらたなるの時にあたりても、ほ依然として行はれ、ため惡貨あっか滔々とうとうとして天下に流布る ふするに至れり。これに加ふるに、明治の初年に際し、時の窘急きんきゅうすくはんがため、すう萬圓まんえん不換ふかん紙幣を發行はっこうせしを以て價格かかく非常に下落するに至り、幣制へいせい紛亂ふんらんここきょくに達せり」と大隈おおくま老侯ろうこう慨嘆がいたんしてゐる。

 そのあく影響は、各方面に及んだ。それは(第一)內地の商業地にわるい影響をあたへた事。(第二)貿易上に不便不利をあたへた事。

などで、外人は種類の多い僞造ぎぞう贋造がんぞうの貨幣を眞貨しんか區別くべつ出來ぬため、種々しゅじゅの苦情を申込んだ。この難局にあたつて解決に努力したのが大隈おおくま重信しげのぶである。その談話によると、「は第一著として、江戸及び大阪に於て發行はっこうしつつある劣貨れっか鑄造ちゅうぞうを停止し、金銀座きんぎんざを閉鎖し、極印ごくいん打壞だかいし、つ貨幣の鑄造ちゅうぞう關係かんけいある職員の如きはことごとこれ免黜めんちゅつし、はなはだしきは、金銀座の官吏かんりを捕へて、一これ拘留こうりゅうし、以てしんを立て、を示して、貨幣にたいする政略の嚴格げんかくなるを知らしめ、他方にはすみやか造幣局ぞうへいきょくの建築を落成せしめて、正貨せいか鑄造ちゅうぞう著手ちゃくしゅせんとし、在來ざいらい會計官かいけいかん計畫けいかくせし種々しゅじゅの建築の工事を停止して、の全力を造幣局の建築に注がしむる事とせり」とある。ほ外交方面でも、歐米おうべい使臣ししん數囘すうかい談判だんぱんを重ねて、當方とうほうの誠意をようや諒得りょうとくせしめ、かくして幣政へいせい紛亂ふんらんを整理したのである。ここに至り明治天皇は始めて宸襟しんきんやすんぜられたのであつた。