41 鍋島直正ニ蝦夷開拓督務ヲ命シ給ヘル詔 明治天皇(第百二十二代)

鍋島なべしま直正なおまさ蝦夷え ぞ開拓かいたく督務とくむめいたまヘルみことのり(明治二年六月 法規分類大全)

【謹譯】蝦夷え ぞ開拓かいたくハ、皇威こうい隆替りゅうたいかんスルところ、一じつゆるがせニスカラス。なんじ直正なおまさふか國家こっかおもきになヒ、もっこれにんセンコトヲフ。その憂國ゆうこく濟民さいみん至情しじょうちん嘉納かのうヘス。なおおそル、なんじ高年こうねんにわか殊方しゅほうおもむクコトヲ。しかレトモちんこれなんじまかス。はじめ北顧ほっこうれいナカラン。よっ督務とくむめいス。他日たじつ皇威こうい北彊ほっきょうのぶル、なんじ方寸ほうすんうちニアルノミ。なんじ直正なおまさ懋哉つとめよや

【字句謹解】◯蝦夷開拓 北海道ほっかいどうの開拓 ◯隆替 盛んな事と衰へる事 ◯忽ニスヘカラス 輕々かるがるしくして置けない ◯直正 きゅう佐賀さ が藩主はんしゅ閑叟公かんそうこうとして世上せじょうに知られてゐる。幕末時代には公武こうぶの間に周旋しゅうせんして、國家につくし、海防かいぼうの事にも銳意えいいした。明治元年議定ぎじょうとなり、二年、さつちょうと共に版籍はんせき奉還ほうかんひょうたてまつり、四年薨去こうきょした ◯濟民 民を救ふ ◯高年 老年ろうねんに同じ ◯殊方 風俗・氣候きこうなどの全くことなる地方 ◯北顧 北海道について顧慮こりょする義 ◯督務 開拓事業をとくする事だが、ここでは開拓長官。〔註一〕參照 ◯北彊 北方の國境こっきょう ◯方寸ノ間 胸の中心う ちの事 ◯懋哉 勉强べんきょうするがよろしいの意。

〔註一〕督務 明治二年八月十五日、蝦夷え ぞ ちを改めて、十一箇國かこく渡島おしま後志しりべし石狩いしかり天鹽てしお北見きたみ膽振いぶり日高ひたか十勝とかち釧路くしろ根室ねむろ千島ちしまとした。その開拓長官に鍋島なべしま直正なおまさを任用して、大納言だいなごんとしたのである。同年十一月、治所ちしょ札幌さっぽろに置き、翌年(三年)二月、開拓使かいたくしわかつて樺太からふと開拓使を置き、また北海道開拓次官じかんとして、黑田くろだ淸隆きよたかを任命した。

【大意謹述】北海道を開拓することは、日本に取つて最も大切で、これを一日でもおろそかにして置くと、國威こくいを損ずる事とならざるを得ない。なんじ直正なおまさ國家こっか重責じゅうせきあたり、みずから進んで、開拓の任にあたらうといふのは、その憂國ゆうこく精神せいしんにおいて、民を救ふ至情しじょうにおいて、ちんの最もとする所である。ただここに一つ、心配なのは、なんじ老年ろうねんを以てまるで風俗・氣候きこうことなる地方におもむくことだ。が、なんじの切なるひにより、一切をなんじに委任する。それによつて、日本は北門ほくもんのことを心配する必要がなくなるであらう。つてここなんじを開拓長官に任命する。他日たじつ皇威こういを北方の國境こっきょうべるのは、なんじの胸のうちにあることで、なんじくち一つで、どうでもなる。なんじ直正なおまさ、任務の重きを思ひ特に奮發ふんぱつし、勉强べんきょうせよ。

【備考】日本の國威こくいが北方の國境こっきょうに伸びはじめたのは、まさにこの時を以て、その第一歩としなければならぬ。勿論もちろん鍋島なべしま開拓長官によつて、第一歩をけられたといふだけで、その經營けいえい上、いく曲折きょくせつて、今日こんにちのやうになつたのである。かの幕末の江戸政府がほとん北門ほくもんかえりみなかつた事に想ひ及ぶと、本詔ほんしょうはいして、無限の感慨かんがいく。