40 輔相・議定・參與ヲ登庸シ給ヘル詔 明治天皇(第百二十二代)

輔相ほしょう議定ぎじょう參與さんよ登庸とうようたまヘルみことのり(明治二年五月 明治政覽)

【謹譯】ちんおもフニ、治亂ちらん安危あんきもとハ、任用にんよう其人そのひとルトサルトニアリ。ゆえいまつつしンテ列祖れっそれいク。公撰こうせんほうもうケ、さら輔相ほしょう議定ぎじょう參與さんよ登庸とうようス。神靈しんれい降鑑こうかんあやまちナカランコトヲス。なんじしゅうソレほうセヨ。

【字句謹解】◯治亂 よく治る事とみだれる事 ◯安危 國家こっかやすらかな場合とあやうい場合 ◯列祖 皇室の御祖先ごそせん及び歷代れきだい天皇 ◯公撰 人材を公平に登庸とうようする意味のもとに、明治天皇政廳せいちょうに望まれ、三等官以上の者に朝廷の重臣・顯官けんかんを投票法により撰擧せんきょせしめられた事。〔註一〕參照 ◯輔相 大臣・宰相さいしょうの事、議政ぎせいうちから、二人をえらんで兼任せしめるやうになつてゐた ◯議定 親王しんのう諸王しょおう公卿く げ諸侯しょこううちから任用 ◯參與 公卿く げ諸侯しょこう大夫たいふ士庶人ししょにん中から任用 ◯神靈 御祖先ごそせん歷代れきだい天皇御威靈ごいれい ◯降鑑 天から人間界の事を見守る。

〔注意〕公撰 當時とうじ維新いしん草創そうそうの時代であつたから、政府は公議・輿論よろんを重んずるむねを宣言し、大久保おおくぼ利通としみち建議けんぎを用ひて、各方面の人材を公撰こうせんにより公平に網羅もうらすることに努めた。利通としみちは「公撰こうせんづ大臣より始めよ」とつてゐる。さて公撰こうせんの順序は、當時とうじ布告ふこくの如く出てゐる。

公撰こうせん次第しだい

時刻におのおの序次じょじを以て著座ちゃくざただ正服せいふくの事。/ぎに辨官事べんかんじ詔書しょうしょむ。/次ぎに辨官事べんかんじ入札箱を案上あんじょうに置く。ただ史官しかんかたわら著座ちゃくざ。/次ぎにおのおのぐべきの人名を記して箱に納む。/次ぎに出御しゅつぎょ。(天皇陛下)/次ぎに參與さんよ箱を御座ぎょざの前に出してこれひらき、すうけんす。(史官之を記す)/次ぎに入御にゅうぎょ。/次ぎに議定ぎじょう參與さんよ入札おわる。辨官事べんかんじ輔相ほしょうの前において、これひらき、すうけんす。(史官之を記す)

 以上の如き順序で、公撰こうせんが行はれた。それは、在來ざいらいほとんど類例のない事であつたから、一耳目じもくあらたにし、人心じんしんに快い感じをあたへた。恐らく、行政官吏かんりが投票をおこなつたのは、これが始めてであつたらう。同時にこれがまた終りとなつた。それは、政府において、投票に反對はんたいしたものが多いめであつた。

 投票の結果、三じょう實美さねとみ輔相ほしょうとなつた。議定ぎじょうは、岩倉いわくら具視ともみ德大寺とくだいじ實則さねのり鍋島なべしま直正なおまさで、參與さんよは、東久世ひがしくぜ通禧みちとみ木戸き ど孝允こういん大久保おおくぼ利通としみち後藤ごとう元曄もとてる副島そえじま種臣たねおみ板垣いたがき正形まさかたらである。諸官しょかん撰任せんにんした。

 神祇官じんぎかん知事ち じ中山なかやま忠能ただやす副知事ふくちじ福羽ふくば美靜びせい民部官みんぶかん知事松平まつだいら慶永よしなが・副知事廣澤ひろざわ眞臣まおみ軍務官ぐんむかん知事嘉彰よしあきら親王しんのう・副知事大村おおむら永敏ながとし會計官かいけいかん知事萬里小路までのこうじ博房ひろふさ・副知事大隈おおくま重信しげのぶ外國官がいこくかん知事伊達だ て宗城むねき・副知事寺島てらじま宗則むねのり刑法官けいほうかん知事正親町おおぎまちじょう實愛さねなる・副知事佐々木さ さ き高行たかゆき學校がっこう知事山內やまのうち豐信とよのぶ內廷職ないていしょく知事中御門なかみかど經之つねゆき上局じょうきょく議長大原おおはら重德しげのり・副議長阿野あ の公誠こうせい留守る す長官ちょうかん鷹司たかつかさ輔熈すけひろ次官じかん岩下いわした方平まさひら東京府知事大木おおき喬任たかとう

 のち、明治二年七月、官制かんせい大改革があつて重要地位にある人々の顏觸かおぶれかわつたが、それはここに略する。この時、公議所こうぎしょはいせられて、集議院しゅうぎいんとなり、待詔局たいしょうきょくはいし、待詔院たいしょういんを置いた。大久保おおくぼ利通としみち板垣いたがき正形まさかた木戸き ど孝允こういん後藤ごとう元曄もとはるは、當時とうじ待詔院たいしょういん學士がくし(後、出仕と改む)に任命せられた。

【大意謹述】思ふに、國家の治亂ちらん安危あんきもととなるのは、人物任用の如何いかんにある。ちんはこのてんに重きを置き、今つつしんで、皇祖こうそ皇宗こうそう御威靈ごいれいの前に奉告ほうこくする。ここに立派な人物を公平に任用するため、公撰こうせんの法を設け、それによつて輔相ほしょう議定ぎじょう參與さんよたるべきものを登庸とうようする事に決定した。この際、御祖先ごそせん御威靈ごいれいは必ず天にゐてこれを見守りたまひ、公撰こうせんむねに合するやう、御導おみちびき下さるべきことを信ずる。なんじ文武官ぶんぶかんは、深くこのむね諒解りょうかいし、至公しこう至平しへいであれ。

【備考】公撰こうせんといふ事は、じつに一大英斷えいだんであつた。その精神せいしん趣旨においては、至平しへい至公しこうである。ただ、運用・活用は投票けんを有する者の素質・內容如何いかんによつて、おのづからよくもなり、しくもなる。が、公撰こうせん心持こころもち始終しじゅう失はずに進むといふことは、いつの世でも、必要なことにちがひない。明治天皇思召おぼしめしまたこのてんにあつたのであらうと拜察はいさつする。