35-5 重大時機に當り三策を群臣に諮詢するの詔 孝明天皇(第百二十一代)

重大時機じゅうだいじきあたり三さく群臣ぐんしん諮詢しじゅんするのみことのり(第五段)(文久二年五月 孝明天皇紀)

其一曰、欲令大樹率大小名上洛、議治國家、攘夷戎、上慰祖神之震怒、下從義臣歸嚮、啓萬民和育之基、比天下於泰山之安。

其二曰、依豐太閤之故典、使沿海之大藩五國、稱五大老、爲咨決國政、防禦夷戎之所置、則環海之武備、堅固確然、必有攘夷之功。

其三曰、令一橋刑部卿援大樹、越前前中將任大老職、輔佐幕府。內外之政、當不受左袵之辱。此萬人之望、恐不違。

朕意決于此三事。是以下使於關東。蓋欲使幕府選三事中之一以行也。是以周詢群臣。群臣無忌憚、各啓沃心丹、宜奏讜言。

【謹譯】の一にいわく、大樹たいじゅをして大小名だいしょうみょうひきゐて上洛じょうらくし、して國家こっかおさめ、夷戎いじゅうはらひ、かみ祖神そじん震怒しんどなぐさめ、しも義臣ぎしん歸嚮きこうしたがひ、萬民ばんみん和育わいくもといひらき、天下てんか泰山たいざんやすきにせしめむとほっす。

の二にいわく、豐太閤ほうたいこう故典こてんり、沿海えんかい大藩たいはんこくをして、五大老たいろうしょうせしめ、はかつて國政こくせいけっし、夷戎いじゅう防禦ぼうぎょするの所置しょちをなさしめば、すなわ環海かんかい武備ぶ び堅固けんご確然かくぜんかならず攘夷じょういこうあらん。

の三にいわく、一橋ひとつばし刑部卿ぎょうぶのきょうをして大樹たいじゅたすけ、越前えちぜん前中將さきのちゅうじょうをして大老たいろうしょくにんじ、幕府ばくふ輔佐ほ させしむ。內外ないがいまつりごとまさ左袵さじんはずかしめけざるべし。萬人ばんにんのぞみおそらくはたがはじ。

ちんの三けっす。これもっ使つかい關東かんとうくだす。けだ幕府ばくふをして三ちゅうの一をえらばしめ、もっおこなはしめんとほっするなり。これもっあまねく群臣ぐんしんはかる。群臣ぐんしん忌憚きたんなく、おのおの心丹しんたん啓沃けいよくし、よろしく讜言とうげんそうすべし。

【字句謹解】◯上洛 京師けいしのぼること ◯祖神の震怒 祖先そせんのこの上もなく大きな怒り ◯義臣の歸嚮 忠義ちゅうぎに厚い臣下しんかの考へ ◯萬民和育の基 天下の萬民ばんみん和氣わ き靄々あいあいとして幕府の命にしたがふことの基礎 ◯泰山の安き 泰山たいざん支那し な山名さんめい、日本の富士山の如く有名な大山たいさん、この意は、諸外國が如何い かなる難題を持つてようとも、天下は微動だにもしない程、確實かくじつな基礎を持つてゐる意 ◯豐太閤 豐臣とよとみ秀吉ひでよしの事をいふ ◯故典 過去の制度 ◯沿海 海岸線かいがんせんにそうてゐる意 ◯五大老 五人の大老たいろう。〔註一〕參照 ◯環海の武備 日本をとり海上かいじょう武備ぶ び ◯堅固確然 武備ぶ びが堅く確實かくじつなこと ◯一橋刑部卿 德川とくがわ慶喜よしのぶのこと ◯越前前中將 松平まつだいら春嶽しゅんがくのこと ◯左袵の辱 外人に負けて風俗が野蠻やばん化すること。我國わがくにが外國のめにほろぼされる意 ◯使を關東に下す この時の勅使ちょくし大原おおはら左衞門督さえもんのかみ重德しげのりで、護衞ごえいには島津しまづ久光ひさみつわずか六百の兵を以てしたがつた ◯忌憚なく 遠慮なくの意 ◯心丹を啓沃し 心中をすつかり打ち明ける ◯讜言 正しいよいげんの意味。〔註二〕參照。

〔註一〕五大老 豐臣とよとみ時代の五大老たいろうとは、德川とくがわ家康いえやす前田まえだ利家としいえ宇喜多う き だ秀家ひでいえ毛利もうり輝元てるもと小早川こばやかわ隆景たかかげのちに小早川氏を除いて上杉うえすぎ氏を加へた。大老たいろうとは將軍しょうぐん輔佐ほ さ役の意である。

〔註二〕讜言を徵せらる 朝廷から右の三じょう下附か ふして諸侯しょこうの意見をちょうされることを知つた幕府は、づ先手を打つてその前に急に慶喜よしのぶ將軍しょうぐん後見こうけんとし、松平まつだいら春嶽しゅんがくを政治總裁そうさいとした。時に勅使ちょくし及び島津しまづ久光ひさみつは七月十九日に江戸にり、右の三じょう下達げたつすると共に、次の二十五じょうから成る幕府改造案を提示した。

(第一)勅命ちょくめいあるにつて、八月中旬頃までに越前侯えちぜんこうは一人の閣老かくろうを伴つて上洛じょうらくすること。(第二)慶喜よしのぶ春嶽しゅんがく兩人りょうにん大柄たいへいを取つた上は、實意じついを以て大政たいせい評定ひょうじょうし、外國としてはならぬこと。(第三)大赦たいしゃれいはっして、安政あんせい大獄たいごく連座れんざした一切の者を放つこと。(第四)京都所司代しょしだい、大阪城代じょうだい共に人望がないので更迭こうてつさせること。(第五)從來じゅうらい朝廷と幕府との關係かんけいつなぐ制度にかんして、名分めいぶんの正しくないものを更生こうせいすること。(第六)將軍しょうぐんは一代に一度は必ず上洛じょうらくすること。(第七)朝廷にたてまつる文書のたいを改めること。(第八)勅使ちょくしたいする待遇を改めること。(第九)和宮かずのみやたいする禮節れいせつを一そう厚くすること。(第十)和宮かずのみやの希望もあり明春みょうしゅんは必ず將軍しょうぐん上洛じょうらくすること。(第十一)朝廷の御料ごりょうを更に十萬石まんごく增加ぞうかし、公卿く げへの賜與し よをも增加ぞうかすること。(第十二)官吏かんり正料せいりょうを正すこと。(第十三)水戸み と齊昭なりあき官位かんい追贈ついそうすること。(第十四)井伊い い掃部頭かもんのかみ罪科ざいかただすこと。(第十五)京都所司代しょしだいであつた酒井さかい若狭守わかさのかみ及び、間部まなべ下總守しもふさのかみ隱居いんきょさせること。(第十六)安藤あんどう對馬守つしまのかみの罪を一そう重くさせること。(第十七)九條くじょう氏を隱居いんきょ謹愼きんしんさせ、その家臣かしんばっすること。(第十八)外交の事は內政ないせい治定ちじょうのちにすること。(第十九)諸侯しょこう參覲さんきん遠國えんごく中國ちゅうごく近國きんごくの三者に區別くべつし、年數ねんすう等をするか、又は妻子をくにかえらしめること。(第二十)諸侯しょこう課稅かぜいを禁ずること。(第二十一)年限ねんげんして諸侯しょこう海防かいぼうじつげさせること。(第二十二)大阪の警衞けいえいげんにすること。(第二十三)京都の警衞けいえい大藩たいはん四五に命じて交番こうばんに勤めさせること。(第二十四)老中ろうじゅうの家で外國人に應接おうせつしてはならない。十萬石まんごく以上三十萬石まんごく以下の大名から外樣とざま譜代ふだい各四人づつをして外事がいじあたらせ、外國がいこく奉行ぶぎょうの命をほうずること。(第二十五)關白かんぱく近衞このえ氏が辭職じしょくの風あるので、鷹司たかつかさ氏にこれかわらせること。

 以上、二十五箇條かじょうを承認せざるを得ない程幕府のいきおいは衰へてゐた。當時とうじ無事に使命を果した歸途き と生麥なまむぎ事件に於いて島津しまづ氏が進んで攘夷じょういじつを示したのは有名である。かくして幕府はすで有名ゆうめい無實むじつの存在となつた。

【大意謹述】第一策。將軍しょうぐん大小名だいしょうみょうを引率して京都にのぼり、一同議論を重ねた結果、確實かくじつ國論こくろんを定めるべきである。その方針のもとに國家を安定し、外夷がいい勢力を一そうし去り、御祖先ごそせんのこの上もなく大きないかりをなぐさたてまつると共に、忠義ちゅうぎに厚い臣下しんかの意のおもむく所にしたがひ、國民全部が何の不滿ふまんもなく治められる基礎を開かねばならぬ。かくして外部から如何ど んな問題が突發とっぱつしようとも、天下は微動だにもしないやうにさせる。

 第二策。豐臣とよとみ秀吉ひでよしかつ實行じっこうした制度を中心として、海岸線かいがんせんに領地を所有する大藩たいはんこくを五大老たいろうしょうせしめ、その人々に相談して國を治める基準、外人どもの侵入をふせぐ方法をれば、日本の周圍しゅういに於ける海上かいじょう武備ぶ びは堅く確實かくじつになり、必ず外人打ちはらひのこうそうするであらう。

第三策。一橋ひとつばし刑部卿ぎょうぶきょう(德川慶喜)を將軍しょうぐん輔佐ほ さとし、越前えちぜん前中將さきのちゅうじょう松平春嶽)を大老たいろうに任じて、幕政ばくせいの最高指導とさせれば、內治ないち外交がいこう共に伸張しんちょうし、外國人に負けるやうなことは萬々ばんばんないであらう。これは恐らくは幕府側でも心ある人々が考へてゐたものと想像しても間違まちがいあるまい。

 幕府改造に就いてのちんの意見は、以上の三さくに決した。ちんは今、使者を關東かんとうに派遣し幕府自身にこの三策中の一を選ばせ、實行じっこうさせたいと切に思ふ。それに就いてここにすべての群臣ぐんしんに相談するのであるから、群臣ぐんしん一同は何の遠慮もなく、各自忠誠ちゅうせいの心を打ちあけてぜんにして正しいを申しでなければならない。

【備考】當時とうじ孝明こうめい天皇如何い か國難こくなんについて、大御心おおみこころなやませたもうたかが、切に拜察はいさつせられる。これを思ふと昭和しょうわ維新いしんを直前に控へてゐる今日こんにち感慨かんがい深きものが多い。本詔ほんしょう國家こっか振興しんこうさくは、いずれかといふと餘程よほど幕府に向つて遠慮せられ、比較的に實行じっこうやすい案を提示せられてゐる。幕府の失態しったいしゅつせる當時とうじに於ても、かく寬大かんだい處置しょちに出られたのは、有難ありがた大御心おおみこころであつた。要するに、率直にいへば、よし、幕府當局とうきょくが誠意を以てこれ奉戴ほうたいしようとも、最早もはや、その機能が老廢ろうはいしてゐたのであるから、反撥はんぱつ力もなく、推進力もなく、要するに、幕府みずからその地位をするのほかなかつたとはねばならぬ。

 げん當時とうじの幕府は、以上三さく奉承ほうしょうし、一橋ひとつばし慶喜よしのぶ將軍しょうぐん後見こうけんとし、越前侯えちぜんこう松平まつだいら春嶽しゅんがく大政たいせいゆだねた。春嶽しゅんがく横井よこい小楠しょうなんの意見を用ひ、參覲さんきん交代こうたい制を簡易にし、諸侯しょこうしちを解放して歸國きこうさせた。が、それによつて問題はまだ解決せず、幕府は一そう行詰ゆきづまつてしまつたのである。けだ時勢じせい急潮きゅうちょう天皇御親政ごしんせいの時代を逼出しっしゅつせねばやまなかつたのだ。今日こんにち旣成きせい政黨せいとう有樣ありさを見ると當時とうじの幕府に髣髴ほうふつたるところがなしとしない。