35-3 重大時機に當り三策を群臣に諮詢するの詔 孝明天皇(第百二十一代)

重大時機じゅうだいじきあたり三さく群臣ぐんしん諮詢しじゅんするのみことのり(第三段)(文久二年五月 孝明天皇紀)

旣而頃日、列藩有獻謀議者。如薩長二藩、殊親來奏事。且山陽・南海・西國之忠士、旣蜂起密奏云。幕吏奸徒日多、正議委地。而蔑王家睦夷戎、物貨濫出、國用乏耗、萬民困弊之極、殆至受夷戎之管轄。不日而可知也。冀擧旌旗、奉鸞輿於函嶺、誅幕府之奸吏。或曰、爲除太平浸潤、游惰之弊、誅京師之奸徒。又曰、不顧幕府、下攘夷之令於五畿七道之諸藩。如其衆議、畢雖出忠誠憂國之至情、事甚激烈、使喩薩長之輩鎭壓。其他召幕老久世大和守、往復歷日、未告唯諾。而先行昨臘所喩之大赦

【謹譯】すでにして頃日このごろ列藩れっぱん謀議ぼうぎけんずるものあり。薩長さっちょうはんごとき、ことしたしくきたりてことそうす。山陽さんよう南海なんかい西國さいごく忠士ちゅうしすで蜂起ほうき密奏みっそうしてふ。幕吏ばくり奸徒かんとおおく、正義せいぎす。しかして王家おうけないがしろにし、夷戎いじゅうむつぶ。物貨ぶっか濫出らんしゅつ國用こくよう乏耗ぼうこう萬民ばんみん困弊こんぺいきょくほとん夷戎いじゅう管轄かんかつくるにいたるは、ならずしてるべきなり。ねがはくば旌旗せいき鸞輿らんよ函嶺かんれいほうじ、幕府ばくふ奸吏かんりちゅうせんと。あるいいわく、太平たいへい浸潤しんじゅん游惰ゆうだへいのぞめに、京師けいし奸徒かんとちゅうせんと。またいわく、幕府ばくふかえりみずして、攘夷じょういれいを五どう諸藩しょはんくださんと。衆議しゅうぎごとき、ことごと忠誠ちゅうせい憂國ゆうこく至情しじょうづといえども、ことはなは激烈げきれつにして、薩長さっちょうはいさとして鎭壓ちんあつせしむ。幕老ばくろう久世く ぜ大和守やまとのかみすも、往復おうふくけみし、いま唯諾いだくげず。しかして作臘さくろうさとところ大赦たいしゃおこなふ。

【字句謹解】◯謀議を獻ずる者あり 國難こくなんに際しての方針を奏上そうじょうする者がある ◯忠士 當時とうじ諸國の忠臣ちゅうしんは、(一)幕府改造、(二)公武こうぶ合體がったい、(三)討幕とうばくの三方面に分かれて各自に活躍してゐた。(一)は水戸み と長州ちょうしゅう藩士りょうはんし及び宇都宮うつのみや藩士はんしなどがかぞへられ、(二)は幕府の計畫けいかくによつて行はれた和宮かずのみや御降嫁ごこうか問題があり、長藩ちょうはん薩藩さっぱんの運動もある、(三)は出羽で わの人淸川きよかわろう中山家なかやまけ元侍もとさむらい田中たなか河內介かわちのすけ筑前ちくぜん久留米く る め水天宮すいてんぐう祠官しかん眞木ま き和泉いずみ筑前ちくぜん藩士はんし平野ひらの次郞じろう肥後ひ ご藩士宮部みやべ鼎藏ていぞう豐後ぶんご竹田たけだ藩士小河おがわ一敏かずとし薩摩さつま藩士有馬ありましん七などの運動があつた ◯蜂起 各所で勢力ること ◯奸徒 眼中がんちゅうに幕府のみあつて朝廷のない人々 ◯正義地に委す 正しい論議は人々からかえりみられない意 ◯王家を蔑にし 朝廷を無視む しする ◯夷戎と睦ぶ 諸外國と勅許ちょっきょを得ない間に條約じょうやく締結ていけつしたこと ◯物貨濫出 物品や貨幣がどしどし海外かいがいに流出する事。〔註一〕參照 ◯國用乏耗 國用こくように是非必要なものが不足し、その材料もなくなる ◯萬民困弊 國民一般が非常に生活に苦しむ ◯夷戎の管轄を受くる 經濟けいざい的に諸外國の支配を受けること ◯日ならずして知る 遠い將來しょうらいの問題ではなく、やがてただちに知れるであらう ◯旌旗を擧げ 旌旗せいきは軍旗のことで皇軍こうぐん擧兵きょへいして討幕とうばくすることを意味する ◯鸞輿を函嶺に奉じ 關東かんとう方面にまで御親征ごしんせいたてまつる意。鸞輿らんよは天子の御乘物おのりもの函嶺かんれい箱根山はこねやまのこと ◯太平浸潤 長い間の太平が人々の心の底までにみ込み緊張の度をゆるめさせる意 ◯游惰の弊 自己の職務になまける弊害へいがい ◯五畿七道の諸藩 日本國中の諸侯しょこうのこと。〔註二〕參照 ◯衆議 これらの人々の論 ◯事甚だ激烈 あまりに過激であること ◯幕老 幕府の老中ろうじゅう ◯往復日を歷し 使者の往復に日數にっすうついやすこと ◯唯諾 承知の返事。

〔註一〕金銀貨の流出 當時とうじ諸外國との通商つうしょうの結果、生產せいさん條件じょうけんことつてゐるそれらの國々は、日本に新しい市場を開拓し、そこから諸商品が一に日本に輸入ゆにゅうされた。そのため我が國從來じゅうらいの商人中、破產はさん者が續出ぞくしゅつすると同時に金銀貨が多く流出した。

〔註二〕五畿七道 五とは京都及びその附近ふきんの諸國の意で、大和やまと河內かわち和泉いずみ攝津せっつ山城やましろのこと。七どうとは東海道とうかいどう東山道とうさんどう北陸道ほくりくどう山陰道さんいんどう山陽道さんようどう南海道なんかいどう西海道さいかいどうのこと。

【大意謹述】くするうちに近頃、國防こくぼう保全策を言上ごんじょうする諸侯しょこうすくなくない。薩摩さつま長州ちょうしゅうの二はんなどは、そのうちでも特別に家臣かしん上洛じょうらくして、いろいろと奏上そうじょうした。その上、山陽さんよう南海なんかい西國さいごく地方の忠義ちゅうぎに厚い各藩の有志ゆうしは、もうすでに諸方に起ちあがり、ひそかにこんな風に告げる者がある。「幕府には朝廷をかえりみない惡人あくにんどもが日々に多くなり、正義は地にちて、しかも反省致しません。幕府の惡人あくにんどもは朝廷を輕蔑けいべつし、けがらはしい外夷がいいを親しんで物品・貨幣が續々ぞくぞく海外かいがいへ流出し、國民の日常是非ぜ ひ用ゐる物が少くなり、國民がこの上もなく經濟けいざい上に苦しんでをります。その結果、經濟けいざい的に外夷がいいの支配を我國わがくにが受けるのも、決して遠い將來しょうらいではないとぞんじます。そこで我々は幕府に巢⻝す く惡人あくにんばらをちゅうする目的で、皇軍こうぐんを編成し、關東かんとう方面の御親征ごしんせいをなされんことを切望致します」と。

 る者は、「長い間の太平で骨のずいにまでみ込んだ職務不熱心の弊害へいがいを一そうするために、京都に居る幕府側の惡人共あくにんどもちゅうしませう」とひ、又は、「朝命ちょうめいほうじない幕府をかえりみることなく、天下中てんかじゅう各地の諸侯しょこう外夷がいい絕對ぜったい排斥はいせきの命を下さなければなりません」と奏上そうじょうする。以上の者共ものどもの意見は根本は國を愛する至情しじょうから出たと思ふが、手段があまりに過激で實行じっこうは思ひもよらず、ゆえちん薩長さっちょうはんのものに命じ、十分な了解のもとにそれらの騒ぎをしずめさせたのであつた。ちんはそこで幕府の老中ろうじゅうである久世く ぜ大和守やまとのかみすことに決したものの、使者の往復に時日じじつついやし、現在は未だその承諾した返事を得ず、幕府では昨年末に諭達ゆたつした大赦たいしゃだけをおこなつたのである。